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中平康「学生野郎と仲間たち」

シネマヴェーラ渋谷で、中平康「学生野郎と仲間たち」 原作は曽野綾子「キャンパス110番」 脚色は山内久。

私大でチャラい生活を謳歌してる同級生たちの中で、苦学生で優等生のヒロイン(芦川いづみ)が彼氏(伊藤孝雄)いるのにバイト先のボンボンに処女を奪われてしまう無残。アップテンポで喜劇調なのに観ていて鬱になってしまう、これは安保闘争の裏の顔、大学全入時代を皮肉った青春群像映画。

国費で運営されている大学の場合、学費も研究費も奨学金も国庫から支給・返納されるはず。翻って雨後の筍のようにどんどん増え続ける私大の存在はやがて大学同士で学生の奪い合い、本分である学究そっちのけで就職のための卒業証書付与に陥る教育界の矛盾を警告した作品と思うw

女子寮のリーダー格でドクロマークのツナギで爆走する中原早苗がいざ学費4割値上げと学長がスピーチした途端反対闘争に入る。お前は闘争よりまず勉強しろよ!学費仕送りしてる親が泣くぞ!とムカムカするのも束の間、優等生の方が地獄を見る理不尽なこの世。

この作品の感想で中原早苗のことカッコいいという意見があるけど、悪い冗談だろw懸命にバイトして勉強もして成績トップなのに親と折り合い悪く金欠でバイト先のボンボンに手籠めにされた芦川いづみとの劇的な対比なんだよね。正直者がバカを見てリアルバカが世にのさばる。

ちょっと毒の効いた群像喜劇のように見せかけ悲劇のヒロイン芦川いづみはとことん悲惨だ。一方で学費を値上げする仲谷昇には一理あって「こんな貧弱な教育環境で大学教育が出来るのか?」という疑問が学費値上げの理由。少なくとも真剣に学ぶ気があれば少し考え込むだろw

結局はその道に進まなかったけど大学院に進むつもりで大学に入った私から見れば程度の差こそあれ、大学に一体何しに来てんの?と今更ながら当たり前の苛立ちを思い起こさせる不愉快な描写が特に前半部に集中して描かれ、そのほとんどに早苗が絡んでるの、カッコ悪い(笑)

中平監督は前半で観客を鬱になる方向に煽って後半で一気にカタルシス!が一つの型だと思うんだけど何の瑕疵もない大学生の鏡のようないづみが死んで女子寮で葬式出した後、学長を辞めて米国に旅立つ仲谷の飛行機に早苗が「くたばれロッキード!」は心が全然、込もって無い。

現在の大学教育の置かれた袋小路。私が学生だった頃と違い国立大の学費はどんどん上がり私大と大差ないと言う。一方で難関大学を目指す進学校に入れるため中学時代から猛勉強で塾に通信教育に金かかって仕方ない。結果、高学歴の子弟じゃないと高学歴、良い就職できない、即ち学歴・収入格差の再生産。

大学生は、貴重な青春時代だから良く学び良く遊べでそれは良いとは思うんだけど、全く勉強してる素振りのない早苗を見るにつけ、本作から60年後の日本の大学教育が受けている厄災、例えば日大事件のように大学って何のためにあるの?まさか営利目的じゃないよねって矛盾を既に予見してる。

曽野綾子の原作「キャンパス110番」は未読なのだが、あらすじはオシャレなノミエ(本作で中原早苗が演じる)が東北出身の松子(岩崎ちえ)と学内で起る問題を鮮やかに解決していくお話らしいが、映画ではノミエはまるで何も解決しないばかりか級友と仲違いの連続。

ノミエと言う女子大生像の描き方が正反対だと(←決めつけるなよw)これが曽野綾子原作と騙っていいのかよ、とさえ思ってしまうが、まあ何が言いたいかといえば、普段の中平作品のようなスカッと爽やかな読後感が無く、芦川いづみがキリストの如く生贄にされてしまった。

さて(←さて、じゃねーよw)映画本編の感想はと言えば、明らかに大学教育のあるべき姿と現実の矛盾を、本来だったらヒロインのはずのノミエを一見すると陽な極悪ヒールキャラに置いて、日陰のようにキャンパスに咲く可哀想ないづみに思いを馳せる、基本しみじみした作品だ。

中平監督は早苗といづみのエピソードのぶつけ合いだけだと、まともに大学教育の批判と、理不尽な暗い暗い物語に終始してしまうことを避けるように、プログラムピクチャー然とした軽やかな見せ方もしているので、余り深く考えすぎずにさらっと観ればそれだけの話なのだが。

中平監督の作品には珍しく、様々なキャラの大学生が登場してそれぞれの物語を持つが、エゴの塊がぶつかり合うだけで相互理解には程遠く、表向きは同調したり黙ってやり過ごし心の中にモヤモヤを抱えている、観ているこっちもモヤモヤしてくる、ある意味中平監督っぽいw

長門裕之は映画研究部の部長で、映画と演劇に凝りまくって卒業危うし!ついでに行きつけの雀荘の出戻り淫乱娘(でも年上)に誘惑され過ちを犯してしまい学生結婚してマスオさんになる羽目に。でも演劇への夢が捨てきれない彼は、4年時になって再びキャンパスに現れた。

長門が、急行の止まらない小さな駅の駅長をしている父親と、上京して無駄に青春を過ごしている親不孝な息子(=自分)を、フランスはパリに舞台を変えて戯曲化。クラスメートに台本を読み聞かせ、カットを大学のホールのカーテンコールにつなぐ一連のカットの才気には鳥肌!

早苗については余り思い出したくないので省略(笑)彼女たちミーハーを引っかけては寝る超プレイボーイの岡田真澄の存在感が麗しい!80年代の軽薄短小を超先取りしたような甘いマスクとキザな台詞「チャオ!」とイタリア行きの船に乗り込む彼に、私はホンモノの粋を見た。

正直、いづみ以外の女学生には触れたくない。だっていづみが可哀想すぎるんだもん!彼女は金を稼ぐためウェイター見習のバイト。バー経営者のバカボンボンはいづみに一目惚れ。金欠が深刻になりコールガールに堕ちそうになったところをバカボンボンは救ってあげるのだが。

作品の流れを明から陰に劇的に変えるのが、伊藤が田舎の代議士の息子のクラスメートに誘われ料亭でコンパニオン待ってたら、その中にいづみがいるじゃないですか!という衝撃的な映像を、いづみと伊藤の優等生同士の恋が擦れ違っていくきっかけでインパクト出してる。

ある意味、早苗以下に唾棄すべき人物がいづみのBF伊藤孝雄で、彼は勉学に熱心で仲谷学長も東大大学院に進学を勧める。でも就職したい彼は斡旋を要求して仲谷と関係決裂。一方でいづみの苦境を根本的に救う手立てをしない、勉学だけしてもダメな奴はダメという見本だw

でもね(←でもね、じゃねーよw)いづみが悲惨な運命に痛めつけられて最後はバカボンボンと無理心中。ワンワン泣くだけの伊藤もどうかと思うが「あんたがしっかりしてなきゃいけなかったのよ!」罵声浴びせる早苗にマジ殺意感じた。その言葉、そっくりお前にくれてやる!

いづみは、若いくせして悪代官のようなバカボンボンに、強引に処女を奪われ大金を渡される。その金を困ってる伊藤にポンとくれてやるけど、彼女はもうお金なんてどうでもいい。バカボンボンも呪ってやりたいほど憎いけど何もできない小僧の伊藤にももうすっかり愛想が尽きた。

絶望したいづみは、バカボンボンの借りたホテルの1室、処女を散らされた部屋で、仏像のミニチュアでバカボンボンの後頭部を殴り殺し、ガスを充満させて睡眠薬服毒自殺。身寄りのないまま死んだいづみを供養しようと女子寮で葬式することになり、仲谷も弔問に訪れた。

カントを信奉する仲谷学長は筋金入りのマジメ男で、「学費値上げがいづみの死を招いた!」早苗のクレームを真に受け「私は学長を辞めます!」宣言。理事長が慰留するが、兼ねてから誘いを受けている米国の大学に行くという。早苗と仲谷では大学の持つ意味が全く違うのだ。

キャンパスでは男子大学生が就職活動に大わらわ。涼しい顔で「私たち女子は楽なもんよ」うそぶく早苗には最後まで殺意を持続(笑)仲谷が乗ったと思しきボーイング社製航空機を眺めながら早苗が「くたばれ、ロッキード!」と叫んだところで、どうして感情移入できようかw

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