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【微粒子を吸い込んで生きている】赤瀬川原平写真展「日常に散らばった芸術の微粒子」SCAI PIRAMIDE


赤瀬川原平さんの自宅から未公開の4万点ほどのリバーサルフィルムが出てきたそうだ。撮影期間は1985年〜2006年。


ちょっとわかりにくいけど六本木駅からは近い



中古カメラ病から始まり、トマソン、路上観察、考現学などなど、赤瀬川さんの芸術活動の後半生を語る上でカメラと写真は外せない。
私も写真集「正体不明」が赤瀬川さんとの出会いである。
1996年の受験勉強で訪れた図書館でその背表紙を見つけた。

ネオダダやアンデパンダン、千円札裁判、美学校、執筆活動と平行して80年代の後半から写真、カメラの活動が始まる。


4万枚のうちの、120点。
まだ、今後も楽しめるのかも知れない。
1人20点ほどのセレクトだが、濃い。



1985年〜2006年という、超芸術トマソンや東京路上観察日記、正体不明シリーズ、ライカ同盟などを出版していた時期の未発表のフィルムたち。

その4万点のフィルムを現代美術家である、伊藤存氏・風間サチコ氏・鈴木康広氏・中村裕太氏・蓮沼執太氏・毛利悠子氏の6人アーティストが1人20枚ほどセレクトし現像した写真そのものを展示する展覧会。


特に、鈴木康広氏は選んだ言葉は
本当に原平さんがそう言ったように思える。
ああ、原平さんらしいかもしれない。
この写真が1番好きだ。
よく見かける光景なんですけどね。
何気ない風景なのですが。



アーティストそれぞれに赤瀬川さんとの出会いの思い出があり、その文章は読んでみると様々でいて、でも赤瀬川さんの目のフィルターについてに言及している。
頷きながら読んだ。

そうなんだ。
赤瀬川さんの目、視点を通して、自分も見る世界が変わる。
誰も届かない孤高の存在ではなく、誰にでも視点を分けてくれたのだ。

芸術の微粒子=赤瀬川さんの視点と考えると
まさに
日常に散らばった芸術の微粒子=日常に散らばった赤瀬川さんの視点

なのだろう。

反芸術から超芸術へ走り抜けた、いや、歩き続けた赤瀬川原平さん。
亡くなって9年が経とうとしているが、私の日常にはいつも原平さんの視点、目が備わっている。

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