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【現代美術をコレクションすることの難しさ】1997年ポンピドゥ美術館展 la collection 東京都現代美術館の図録を読み直して

1997年 東京都現代美術館 ポンピドゥ美術館展 la collection の図録を読み直して。

2022年夏、ルートヴィヒ美術館展開催の国立新美術館で出会った言葉、

"「まだ価値の定まってない美術を税金で買うことは難しいことは理解している。」
「だから個人コレクターが買って然るべき時期に公共に公開していく。」
「個人コレクターの役割はそれだと考えている。いくらで買ったか、などどうでも良いのです。」

こう答えていたルートヴィヒ夫妻。
この考え方には非常に感銘を受けた。"

と、前回の投稿で記載したのだが、その「価値の定まってない美術に税金を」、のところで思い出す体験があり、その頃、1997年頃の東京都現代美術館の図録を読み返して見たのだ。

キャッチコピーは「いい絵がいっぱい ポンピドゥ美術館展」だったと思う

前書きに興味深い文章が寄せられていたので、それについて思うことを書き残したい。

【まず自分が体験した1994年か1995年ごろの話を前提として】


95年開館の現代美術館がその前にロイ・リキテンシュタインのヘアリボンの少女を購入した時、絶賛中学生だった私は「おお!現代美術にも力いれてる!」とその当時尖った判断に少なからず歓喜した。

数億円と言う値段に目を瞑って。

まだ納税者でもない自分には正に他人事だったのだろう。アメリカのポップアートが日本の美術館の所蔵になる!と素直に喜んだ。現代美術館への憧れを高めたのだった。

しかしそれは朝刊の3面記事にも載るような出来事だった。

私は美術館の出来事が新聞の3面記事に載ることがただ嬉しかった。それが批判めいた書き方だったのかも判断がつかないまま。
現代美術館にも通い始め、ヘアリボンの少女とも会った。「これか!大きいな、やっぱり本物を見ないと分からないな」と思ったのだ。

高校生になり、油絵を一時的習った際、そこのお師匠さんが所謂現代美術に対し良く思ってはいない事を知り、公立の美術館の購入品に苦言を呈していたのを聞き(あぁ、あの作品の購入は必ず万人に喜びを持って受け入れられた事では無いんだ)と知るわけです。
そう思うとその当時はいつでも常設展で会えた「ヘアリボンの少女」もすこしケチがついてしまうと言うか、10代の影響受けやすい心に小さな影をおとした。(今はもう消えたけど)

東京都現代美術館の開館から25年が過ぎ、リキテンシュタインの「ヘアリボンの少女」がある美術館、って凄い価値がある事だと思う。(金銭的な価値ではなくてね)
ポップアート、現代美術への理解も進んだ事もあるだろう。

リキテンシュタインなぞ、80年代から既に価値があっただろう、と思うかもしれないが95年当時の日本の美術シーン、とくに公立美術館のコレクション方針はオープンにもなってなかったし、オープンにされてても知る術が無かった。公式HPもあるかないかの頃だ。なかなか理解されることが難しかったと思う。
村上隆や奈良美智が出てくるのはその後だ。森村泰昌さんだってやっと認知度が上がって数年しか経ってない頃だ。

【ポンピドゥ美術館展の図録の話に戻ろう】


なぜポンピドゥセンターの展覧会が97年に都現美で実現したのか、が記載してあり、その内容が非常にリアルで面白かったのだ。展覧会の開催の大変さが伺い知れる。

1.本家ポンピドゥセンターが大改修するよ、その期間美術館閉めるから展示品貸せるよ。

2.日本の前衛という展覧会を都美術館と協力してポンピドゥセンターで開催したよね(色々大揉めして大変だったけどね)

3.都現美の工事中にポンピドゥセンターの人が来日して見に来てくれたよ!そして「ここにポンピドゥセンターの作品飾りたい!」ってなったよ

と。上記の前提があり、展覧会が実現したことが書いてある。

この頃はまだ都美術館の別館要素が強かった都現代美術館。
上野でやる様な展覧会をただ現美でやっただけに過ぎなかったのかもしれない。(実際、2000年代にもポンピドゥセンター展が開催されているが、それは上野の都美術館だ)

ただ、確実に現代美術館のアイデンティティを育んでいて、「同時代の美術をどうコレクションしていくのか」ということに悩む記載がある。
そこに「税金で価値の定まっていないものを収集する事の難しさ」について触れているのだ。まさに先日のルートヴィヒ美術館展で目の当たりにした言葉だった。

素晴らしい内容でした。

きっと、リキテンシュタインの作品を購入したことへの苦労もあったのかな、と。
近代でもない、古典でもなく現代を冠にした美術館。もしかすると、とても難しいことにチャレンジしたのかもしれない。

それでもこの美術館の設立を目指し、コレクションを形成し、20年以上様々な展示を行う事が出来てきた。

この初期の頃の図録の文章を書いた学芸員さん矢口國夫さんはもう他界されてしまったけれど、私はリキテンシュタインのヘアリボンの少女と、あの時期この東京で会えて良かったな、と思っている。

歴史的な文脈的に「残す」ことももちろん公的な機関の使命かもしれないが、人、1人の心にもコレクションは刻まれていく。
そんな役割も果たしてくれている、と伝えたい。

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