シン・九州 転 参~とある次元の物語~
転 亡命
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2023年9月4日(月) 7:43am
始業式の朝、武と丈を「いってらっしゃい、気をつけてネ」と笑顔で送り出したら、青く広い熊本の空を見上げて大ぉきく深呼吸。
澄んだ空気を肺に満たすたびに、心も躰も澄んでいく、なんてね。
もう、すい炎の痛みも消え失せた。
昨日修理してもらった型古の洗濯機がちゃんと回りだすのを見届けて、
型古古の液晶テレビで KHKの おはよう九州 を見ながら朝ごはんの片づけにかかる。「あっ、守下アナだ」
ニュースキャスター 守下 恵梨奈がマジメな顔で伝えてる。
「...次のニュースです。先日のビールに続き、いよいよ国産の日本酒と焼酎がUSKカードで交換できるようになりました。どちらも一升が40アゴですが、数量限定のため予約申請が必要です。詳細は連邦ホームページで確認してください。なお、洋酒の輸入については引き続き連邦政府が審議中で、まだ暫くあの味はお預けのようです。
つづいて、ワールド ワンポイント ニュースです。
世界各地で同時多発的に起きている地下水の枯渇がさらに悪化しているようです。いま流れている大国の映像のように、今まで一度も枯れたことの無い井戸がもう何ヶ月も底を見せたまま枯れ果てて、その周りの池や沼も干上がるという現象が世界各地で増えているようです。
また、麦国では映像のように、農業用水をめぐり銃撃戦で死者が出るほどの紛争が各地で勃発し、あとを絶ちません。
各国では、水の確保が喫緊の重要政策となっているようです。
専門家は気候危機と人口爆発が大きく関わっているのでは、と警鐘を鳴らしています。
それでは、お別れは門司港の映像です。良く晴れて対岸の海峡ゆめタワーがハッキリと見えていますネ。5月にあの埠頭で起きた下関動乱以降、ジャバンとの国交は...」
あの日、数万人もの難民の中にいたあの5月26日
ビックライト・ドローンに映し出された巨大な大統領に導かれて、亡命難民の河は迎えにきた連邦艦隊へと流れていった。
私と武と丈は、海兵さんの誘導で輸送艦『由布院』へ向かった。
近づきつつ見上げていくほどに巨大な銀色の船。
船首に大きく紫色で USK 由布院 の文字。
みんな、見上げて口を開けたまま由布院の横っ腹に開いた大きな四角い入口へと吸い込まれていった。
艦に入ると、目の前に現れたアリーナのような広ぉい格納庫を見て、武が「空っぽじゃん」と呟くと、誘導係の若いイケメン海兵が笑顔で
「いつでんここには飛行機や戦車が入っとっとバッテン、今日は大事な人たちば運ぶケン、どけたと」
と焼けた肌にキラッと輝く白い歯で武に答えた。胸には 大栗 の名札。
初めて生で聞く九州弁に武も丈も大喜び。
私も久しぶりのイケメンに、キラキラの瞳でトキメく。
イケメン海兵の「船酔いはドゲんですか?」のアプローチに
「弱いんです私」とハニかむと、イケメンは笑顔で...フライトデッキに上がる階段を...指さしやがった。"チッ"
広ぉいデッキに出ると、春の空と優しい午後の日差しと潮の香が心地いい。
穏やかな気持ちに包まれて、思わず大ぉきく深呼吸をしたら、
すえた臭いの塊を吸い込んで...ムせた。
"えっ?"
とたんに、腹にすい炎の痛みが走る。
次々にデッキへ上がってくる人たちから立ち昇る浮浪臭。
さっきまで全然感じなかったのに。
恐怖や不安は感覚を鈍らせるんだ、たぶん。
クルナ事変の恐怖や不安は、ジャバンの感覚を鈍らせたんだ、きっと。
デッキはちょっと臭う笑顔の人たちに埋め尽くされ、やがて ボォォォーーー と大音量 重低音で響き渡る汽笛を合図に、ゆっくりと動き出した。
あちこちで「おおぉ」「やったぁ」と歓声が挙がる。
すえた臭いと潮の香が混ざった30分を、ひきつった笑顔とすい炎の痛みで過ごすと、由布院 は 小倉港 にゆっくりと接岸した。
大統領令で関門開門作戦が発動されると、九州連邦 外務省 帰化亡命局は、小倉港に隣接する総合展示場に急ごしらえの亡命難民保護施設をしつらえた。ところが、おそらく海軍と連携が取れていなかったのであろう、難民輸送の第一便となったドック型輸送揚陸艦『別府』が小倉港に接岸して、艦の腹から出てきた難民を最初は笑顔で眺めていた局員たちは、切れ目なく流れ出てくる難民の河に真顔になり、目の前に迫る河の先頭に慌てふためいた。
10ヵ所にも満たない、大きく手書きで"亡命窓口"と書かれた目印に押し寄せた難民たちは、堰き止められ、うしろから押され、施設の入口は怒号と悲鳴に包まれた。入りきれない人の河は広い駐車場で幾重にも折れ曲がり、その動きをようやく止めた。
「おーぃ、どうなってんだぁ」「まだかぁー」「いつまでかかるのぉ」
絶望の下関ほどの恐怖ではなかったが、それでも先行きが不安な駐車場組の叫びは続いた。
そして、帰化亡命局が動く、ここから、素早く。
北九州市全域からボランティアをかき集め続け、亡命窓口を100ヵ所へと増やし、難民全員に、おにぎりと味噌汁を配給して、整理券と亡命申請書を配布すると、説明員と誘導員をドンドンと増やしていった。
施設中に流れるFMラジオ KIP では、申請書の書き方や、いまどこで何が配給されているか、食堂やトイレはどこか、救急医の場所と待ち時間、刻々と変わる施設の状況や手続き中の整理番号などなど、DJサトミがドンドンと情報を追加していった。
北九州市民のボランティアが目の前で飛び回る姿を見続けた難民たちの中には、亡命手続きを終えると自ら志願してボランティアに加わる者もいた。
そして、なんとたった48時間でおよそ1万世帯の亡命手続きを完了させたのである。のちに 小倉の48時間 と語り継がれる大偉業であった。
まぁ、亡命局もサトミもAIミチザネのサポートを受けてはいたが...
5月26日(金) 23:31
「整理番号4649をお持ちの方は187窓口までお越しください。整理番号46...」 ハッっと三角座りで目を覚まし、"あれ、もう夜?"
整理券4649をジッと見て、"あぁお尻が痛い"
私のお腹に俯せる丈と、足の下で丸ぁるくなって眠っている武を起こすと...起きない、またか...周りを見回すとまだまだたくさんの人が待ってる、急がないと。
5月26日 夕方
輸送艦『由布院』を降りてこの広ぉい駐車場に誘導されると、先着の人たちが行儀よく並ぶ長ぁい列の後ろに、私たちの河が連なった。
アスファルトにへたり込んで暫くすると、割烹着で真ん丸笑顔のお婆ぁさんが私たち3人の前に「どがんね」と腰を下ろした。
目の前におにぎりがタンと積まれたお盆をドンッと置き、湯気が立ち昇るお味噌汁を紙コップにコポッコポッコポッと注いでる。
胸に手書きで イチコ の名札。
3人並んで目を剥いてそれ見つめ、「どうぞぉ」イチコ婆ぁさんの優しい声におにぎりへ飛びつく武と丈。「コラぁ~」とふたりを羽交い絞めにする私。
「よかよか、たくさぁん食べんば」
こぼれそうになる涙でイチコ婆ぁさんの笑顔が歪み、口一杯におにぎりを頬張ると涙が噴き出した。
横で武と丈が、両手に次のおにぎりを掴み、モグモグとおにぎりを頬ばる口の周りには海苔のカケラが貼りついてる。ぉいぉい
「3人で来たと?」とイチコ婆ぁさんの優しい声に、コクッコクッと頷くたびに涙と鼻水がこぼれる。
「よう来んしゃったぁ、大変やったろぉ、偉かねぇ、もぉ心配なかバイ」
いつのまにか大声で泣いていた。
泣きながら、食べながら、もう2日もお風呂に入っていない顔に涙と鼻水を流しながら、イチコ婆ぁさんにツラかった身の上話を吐き出していた。
「あらあら、泣くか食べるか話すか、どれかにせんば」とイチコ婆ぁさんは泣き散らかす私の背中を微笑みながらサスってくれた。
人心地ついて周りを見渡すと、たくさんの割烹着お婆ぁさんの前で、たくさんの家族が泣き崩れながら話し込んでいる。
なんなんだろう、この満たされる気持ちは。
「そしたらね」と笑顔で立ち上がったイチコ婆ぁさんを涙で見送ると、泣き止むころには3人とも駐車場の硬いアスファルトの上で寝入ってしまった。
5月26日 23:39
武と丈をひきズリだした私に「あらあらあら」と2人のおばさまが駆け寄り、息子たちを大事そうに抱きかかえてくれた。
Tシャツには手書きで大きく ボランティア の文字。
私の「すみません」に、2人の笑顔と「よかと」がハモってる。
"いま...12時前か"
優しい時間が流れていた月夜の駐車場から施設に一歩入ると、そこは目が眩むほどに明るい 戦場 だった。
亡命窓口のうしろでは、数えきれないほどの職員とボランティアが動き回り、窓口に近づいていくと飛び交う怒号がデカくなりハッキリしてくる。
"怖ぁ〜 えっ、いま真夜中...だよね?"
そこらじゅうで鳴る電話と、あちこちで相手を怒鳴る声は途切れず、外で聴こえてたFMの音はどっかに隠れた。思わずあとずさった私に
「怖がらんでよかよ、一人ん亡命者ば受け入れっとでんスゴか手続きのかかっとバッテン、いまは何万人っち亡命さすっとやケン、そりゃこがんイクサんごたなったい。そいけん、怖がらんとあそこん窓口に行きんしゃい」
と、丈を抱えたおばさまが指さす窓口へ恐る恐ると向かった。
目の下が黒くて顔が長ぁいマドグチのオジさんに、もう1時間くらい九州ベンでメッチャ怒られながら、ママは「すいません、すいません」ってシンセイショを直してる。
ボクはママの左ガワのソデを握りながらキョロってて、お兄ちゃんは右ガワですこしセキしてる。どっちもちょっと心配。
静かな外のオバァちゃんたちは笑顔でゆっくりだったけど、ウルサイなかの人たちはみんなコワい顔で急いでる。
ボウメイしたらママはどっちになるんだろ。ママは...笑顔が良いナ。
あっ、ママがやっと終わったみたい。
「コイが仮の証明書やケン、失くさんと。明日か明後日かわからんバッテン、放送で整理券の番号ば呼ばれたらあそこん受け取り窓口に来んしゃい。よかねっ」
「はい。あっ、あの、近くに病院はありますか?」
「こん施設の隣に小倉記念病院のあっとバッテン、USKカードがなかと掛かれんケン、いまは救急医しかなかバイ」
「ん? USK...カード?」
「その『亡命者ガイドブック』に書いてあるケン、読んどかんね」
"なによこの、馬づらハゲちゃびん こんなちっちゃナ字 こんな疲れた脳みそで読めねぇつーの、修羅場超えてきたんだからもうちょっとさぁ..."
「なんね」と馬づらの冷たい視線
「あっ いえ、はい まずは、ねっ、読んでみます」と笑顔 "チッキショォー"
5月27日(土) 0:46am
大きく手書きで『申請済みの方 →』の矢印に進んで入口をくぐると、なんか超ぉデカイ施設。だけど、トイレもお風呂もどこに行っても、行列ギョウレツまたぎょうれつ。"はぁ〜"
『控室 →』の張り紙に沿って歩いていくと、さすが元展示会場、バカみたいに高い天井のバカみたいに広い会場がいくつもあって、ひとつの会場に何千もの人が寝っ転がってる。
はぁぁ、こりゃ室じゃねぇよ、難民にプライバシーは無いってかぁ。
ようやくまだ空きがあるダダッ広い控室に辿り着いて、寝てる人たちの横を静かぁに歩いて、3人分の寝床スペースを見つけた。うーーん...臭い
まぁそれでも、横になって寝られるのはありがたいありがたい。
息子たちの寝相を心配しつつ、横になったとたん深ぁい眠りに、落ちた。
5月27日 5:24am
「...はい、京子さんはシングルマザーばってん心の優しか強かお母さんタイ。キャバクラで働いとったケン、綺麗か顔ばシトッとやけど、少ぉしすい炎の痛みのあるごた言いよっタイ。そこば気ぃつけた方がよかね。武君は少しセキばしよらしたケン、喘息やなかかねぇ。丈君は可愛いかぁ、そいに頭の良さそうやったケン...」
イチコは、スマホで AIミチザネ に昨日のシルバー協力隊の報告をして朝のお勤めを終わらせた。
他の年寄りと同じように、なんの悪意もなく。
転 四 「こん国ではお母さんは立派な仕事やケン」 につづく
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