見出し画像

44.仙台から、心をこめて。


年明け早々から、重ためテーマの連載「3.11」編で、すいません。。
正月特番の合間に見る「テレビ東京」みたいな感覚でお付き合いくださいw

今回は東日本大震災の被災地「仙台」へ、「札幌」で集まった思いを届けることになった、という前回記事「43.」の続きになります。



下の写真は、「届ける先」となった仙台のイベントで、来場者に無料配布された冊子です。主催プロジェクトの大元がグラフィックデザインの会社のため、映画のパンフレットのようにすごくしっかりしてる。
その中の見開きページをわざわざ割いて、先方は札幌の僕らのイベント「クロスロードひだまり」について、特集を組んで載せてくださったのでした。

画像1

そこに寄稿された、先方のプロデューサーの方からの言葉。
今回は、そちらを記事に書いてみたいと思います。

被災地の状況や心境がよくわかる、文章だと思います。


******

SuPPORt from SaPPORo
〜ありがとう ー 仙台から心をこめて〜


震災から4ヶ月を過ぎた7月上旬、あるメールが届きました。差出人は、札幌市で音楽ライブとアートマーケットの複合イベント「クロスロードひだまり」を企画・運営されているフォーンズ合同会社の代表・久保田友和氏からでした。もちろん、まったく面識はありません。内容は被災地でアートイベントを行なっている団体を支援したいとの趣旨。

はじめは意味がよくわかりませんでした。なぜなら、私たちのような小さな団体の活動をどうして札幌の方が知ることができたのか、またはその逆、私たちもそうした活動を知る由もなかったからです。

しかし、続く内容に以下のことが記されておりました。かつて札幌で活動していたある女性アーティストが仙台に移住。東日本大震災後に、久保田氏が彼女の無事を確認した際、札幌在住時に参加していたようなイベントはあるかと尋ねると、「卸町アートフェスタ」を紹介されたとのこと。確かに、彼女は昨年のアートフェスタに参加していました。それで私たちのイベントを支援したい、との申し出のメールでした。

地元仙台ならびに近郊のアーティストを応援したいとの思いで立ち上げた「仙台SOHOプロジェクト」であり、「卸町アートフェスタ」ですが、このプロジェクトそのもの自体を応援したいという申し出に、当初は戸惑いを感じました。しかし、ご好意で、それも見ず知らずの人間にわざわざ連絡を入れてまで支援したいとのお気持ちを無下に断ることはできません。もちろん、この状況下でイベント運営の資金調達は通年以上に厳しい状況にあることも事実。

そこで、私たちのプロジェクトが貴団体から支援を受けることに相応しい団体であるのかどうか、をまずご判断いただき、その上でご支援されたい、ということであるなら謹んでお受けしたい旨の連絡を差し上げ、同プロジェクトの設立趣意書ならびに過去開催時に発行した情報誌等を送付いたしました。

数日後、再び連絡が入りました。資料をご高覧くださり、仙台SOHOプロジェクトの企画趣旨を深くご理解され、同じくイベント等の主催者であられるお立場からも、是非とも支援したい旨の文面でした。

支援金は大変ありがたく、本当に恐縮します。しかし、それ以上に嬉しかったことは、私たちを紹介してくださったアーティストからの

「卸町アートフェスタみたいなイベントがあってくれるから、元気になれる。特に発表の場を求めるクリエイターにとって、その価値をしっかりと出すことのできるイベントは本当にありがたく、そういうイベントこそ、つながって広がっていってほしい」

との言葉です。この言葉に、私たちは救われました。

往々に主催者側のひとりよがりなイベントが多い昨今、私たちの企画趣旨をご理解くださり、その上でのご参加、ご発言に勇気づけられました。この支援金を有効に活用するためにも、本イベントの会場費等に充填させていただき、アーティストの出展料を無料にさせていただくことができました。

あらためて深い感謝の意を表したいと思います。同様に、久保田氏の呼びかっけに賛同してくださった札幌の多くのアーティストにも、心より深く感謝の意を表します。個々に御礼を述べることは叶わないことですので、お名前を掲載させていただくことでお許しを頂戴したい所存です。

彼らは主催者である私たち「仙台SOHOプロジェクト」をご支援くださっただけではありません。私たちを通して、地元仙台のアーティストの方々を応援してくださったのです。私たちはただの触媒にしか過ぎません。しかし、今はその触媒であることに若干の自負を抱いております。

大震災以降、数多くのアーティストや美術関係者の方が被災地を応援しようと仙台に足を運んでくださいました。遠くはベトナム、東京、大阪、横浜、そして札幌からも。まさにアートが人々を引き寄せ、各地域をつなぎ、ここ仙台に集結し、さらに新たな展開を卸町から発信しようとしています。何かがつながり、何かが生まれ、そして何かが始まるーー数多くの人々の熱情をムーブメントとして胎動させるもの、これこそが「アート」の力であり、携わる多くの方々の思いの結晶であると確信します。

経験したことのない壮絶な揺れ、降り始めた雪に呪った神の不在、底深く不気味な地鳴り、融解する鉛が凝固した空、尊い命を一瞬のうちに飲み込んだ大津波、視覚を麻痺させる壮絶な光景、止むことのない余震への恐怖、遮断されたライフライン、闇、交錯する夢と現実の乖離、悪臭、寒さで眠れぬ夜、底をついたガソリン、情報の不確実性が生んだデマ、そして今も続く放射能の影…

永遠に忘れることのできない、この憎むべき大惨事の爪痕を乗り越え、明日に向けて新たな礎を築くためにも、この結晶の煌きを心の灯明として前進したいと思います。



仙台SOHOプロジェクト実行委員会
統括プロデューサー 竹野博思
(2011.10.22/会場配布情報誌・記)

******


この文面を、印刷前の校正段階で内容確認ということで見させていただいて、僕は胸が熱くなりました。

僕は「ひだまり」のイベントを「被災地のため」と謳い、そうすることで「札幌の表現者を救う」という目的も同時にもって開催した。
…こうやって言うとすごく勝手なように思われるかもしれないけれど、「被災地のため」だけじゃなくて、「僕らが僕らを救うため」というものでもあったのが事実です。

僕らは「僕らのために」動いた。それでも、そんな上であっても、先方はこんなにも手厚く対応をしてくれ、僕らの取り組みに惜しみなく感謝をしてくれている。。
僕らの思いを受け取っていただけたこと、素晴らしい対応をしてもらえたことで、救われたのは、むしろこちらの方なのに。
僕らの方こそ、ありがとうと言わせてもらいたい。


僕は、その感謝に応えられるほどの姿勢でいるだろうか?
先方の感謝に、向き合える自分でいられているか?
どこか「自分事」だけで考え、仙台は「対岸の火事」になってはいないか?
僕は、被災地の何をわかっているんだろう?


色んなことが頭の中で渦巻いて、それらがひとつの強い衝動になった。

…仙台に行こう。


何かに突き動かされるように、僕は直接「仙台」のイベントへ向かうことを決めたのでした。

画像2



つづく。


読んでいただき、ありがとうございました!
スキ・ご感想等いただけますと嬉しいです*

最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。