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怪談『雪女』-ミステリー解釈-

 僕は、小泉八雲の名著”怪談”に収録されている、『雪女』を読むと、まるでミステリー小説を読んでいるような気持ちになります。
 そこで、『雪女』の物語を深堀りし、ミステリーの要素を洗い出すため、小泉八雲の英語の原文と、複数の日本語訳者の文を読み比べてみました。

 すると、読めば読むほどヘンな物語であると感じます。


まずは物語の概要から。
1.年老いた樵の茂作と若い樵の巳之吉が、山での作業中、猛吹雪に遭遇した。
2.村に帰るために渡河しようとしたが、渡し舟が向こう岸にあり、渡河できなかった。
3.やむなく、渡し守の小屋に避難したところ、雪女が現れ、茂作を殺した。しかし、巳之吉は見逃してくれた。
4.巳之吉は、雪女に出会ったことを誰にも話さない約束をした。
5.時が経ち、巳之吉は山から帰る途中、旅の途中のお雪に出会い、家に連れ帰った。
6.巳之吉とお雪は夫婦になり、子供ができた。
7.数年後、巳之吉はお雪に、雪女に会ったことを話してしまった。
8.お雪は怒り、靄(もや)になって消えた。

物語の解説に入る前に、年老いた樵の”茂作”、若い樵の”巳之吉”の関係性について整理する必要があります。

ある訳本では、巳之吉を「年季奉公人」、別の訳本では「茂作の雇い人」、また別の訳本には「手伝い」とあります。
小泉八雲の原文では、「apprentice」なので、どれも間違ってはいないと思います。
しかし、訳に”時代と国”を加味すると、3つのうち、どの訳し方がその物語を生んだ時代背景に合致しているかが見えてきます。

apprenticeは中世ヨーロッパにおいて、ある”一定期間”内、ギルドで親方が雇う”見習い”ですが、見習いとしての給料を貰って働いています。
しかし、江戸時代の日本において、”一定期間”働きに出る若者は、あらかじめ、雇い主から前借りのお金を親が貰い、その金額に応じて、”一定期間”がどのくらいの長さなのか、決められます。
すでに料金は親が貰っているので、多くの場合、奉公人に給料は支払われません。もちろん、衣食住は雇い主の方で用意します。

小泉八雲はギリシャ生まれのアイルランド育ちですから、雪女の話を聞いた際、”一定期間”に着目し、「ヨーロッパで言う、ギルドの見習い(徒弟)に似ているな」と考え、apprenticeという単語を当てたと思われます。

つまり、若い樵の巳之吉は、茂作配下で無給で働いている「年季奉公人」が正しいと思われます。


さて、物語ですが、項目1,2は二人が遭難に至る経過です。
問題は項目3の、小屋の様子の描写から雪女の登場に至るシーン。
雪女は、吹雪の中、巳之吉と茂作が避難した小屋の”中”に現れます。
そのときの気温ですが、”初めのうちはさほど寒いとも感じなかった”と描写されています。ただし、風は強かったようです。描写では”小屋は海上の船のように揺れた”とあります。原文では”junk at sea”です。

ちなみに、”junk”とは、小型の帆船のこと。辞書に出ていないと思うのですが、日中戦争の戦記を読むと、日本兵が、「あのジャンクを奪って渡河するぞ」などというシーンが多くあります。しかし、日本軍では、米英や自国(日本)の小型船舶のことは”ジャンク”と呼びません。ですから、僕は『雪女』の原文を読むまで、junkは中国の河川用の小型船だと思っていたのですが、西洋人からすると、中国、また河川に限らず、東洋の小型帆船をみんな”junk”と呼んでいたんだなぁ、と勉強になりました。

さて、”junk at sea”、これ、誰の感想を描写したものなのでしょうか?
この時点で雪女は登場しておらず、巳之吉と茂作しかいません。そして茂作は死んでいるのですから、当然、巳之吉の感想です。
すると、巳之吉はどこかの海上で小型の帆船に乗ったことがあるはずです。そうでなければ、junk at seaという比喩は出てきません。
その部分に留意した上で、話を進めます。

そして、段々と寒くなり、強風で小屋の戸が開いている。
巳之吉は目覚め、茂作を見ると、雪女が屈みこむようにして、息を吹きかけている。

雪女は、どこに潜んでいたのでしょう?
”雪女”という名称の通り、雪の屋外にいても凍えることはないのでしょうか?
しかし、よく読むと、『雪女』物語全編を通じて、雪女は降雪の屋外にいる描写は一つもありません。
ラストシーンでも、雪女は雪になって消えたのではなく、”輝く白い靄(小泉八雲の原文では、bright white mist)”となり、消えています。それじゃ靄女ですよ。

雪女登場シーンでは、吹雪の屋外では現れず、茂作、巳之吉が避難した”小屋の中”に出現しています。
さらに、描写によると、”雪灯りに照らされた”真っ白な女が、年老いた樵に顔を近づけていた……とあります。
”雪灯り”があるということは、月が出ていたはずです。ご存知の方も多いと思いますが、月明かりが積もった雪に反射すると、結構明るいんですね。満月ならなおさらです。

つまり、雪は止み、戸が開いてしまうほどの強い風が吹いていたということ。
”雪女”は、雪が止んでから、登場しています。

すると、雪女は最初から小屋の中の物陰などに潜んでいた、と考えられます。それなら可能です。なぜなら、”初めのうちはさほど寒いとも感じなかった”と描写されているためです。

そして、雪女は、巳之吉の雇い主である、茂作だけを殺した……
巳之吉は、雪女のことを誰にも話さない条件で、命を助けてもらいます。

さて、項目5で、ありえない偶然がおこります。それは雪女である”お雪”との再会です。
巳之吉がお雪に聞くと、「江戸に向かうところです」とのこと。
妖怪雪女はなぜか、”江戸”を知っています。

ここで、話を少し戻します。
前段の通り、巳之吉はどこかで小型の帆船に乗ったことがあります。小型の帆船が航行できるのは、海ならば主に沿岸、もしくは波の静かな湾内です。
そして、小泉八雲が『雪女』の話を聞いたのは、武蔵の国の多摩の人から。物語の舞台も同様、現在の東京都です。『雪女』は北国ではなく、実は、東京都の話なのですね。

すると、巳之吉が帆船に乗ったのは、東京湾と推定できます。
一方、お雪(雪女)は「江戸に行けば、女中の仕事ができる」と言っています。
妖怪、または雪の精霊である雪女に、なぜ、そんなことわかるのでしょうか?

二人が初めて出会ったのは、吹雪の山中ではなく、”江戸”ではないでしょうか。

そのとき、少年巳之吉は船乗り、お雪は女中をしていた、と思われます。なお、原文によると、山中で雪女は巳之吉に対し、「you are so young… You are a pretty boy」と言ってますので、お雪の方が年上です。元々知り合いでなければ、山の中で遭遇した雪女に里で偶然出会うなど、不可能です。

つまり、出会ったのではなく、”落ち合った”。

その後、二人は巳之吉の家で母とともに暮らします。そして、子供も10人できます。

無給で樵の年季奉公をしていた、巳之吉のもとで、ですよ。
現実離れしているようですが、しかし、楽に生活できる理由があります。
それは、雇い主の茂作が死んだので、巳之吉が年季奉公を切り上げて家に戻っても、前借りを返す先が無く、まとまったお金がそのまま全額、巳之吉の母のフトコロに入ったからです。さらに、巳之吉と母が働いた分も新たな収入となってプラスされます。
この時点でサイフを握っていたのは、巳之吉の母と思われます。上手くやりくりしていたのでしょう。

それらを考えると、冒頭の”apprentice”をどう訳するかが、その後の巳之吉一家の暮らしを理解する上で、かなり重要なのです。

某翻訳本のように、単純に”手伝い”と訳してしまうと、このくだりで読み手に「樵の手伝いで、母と嫁と10人の子供を養ってたの?」という違和感が生じ、せっかくの小泉八雲の名作に”深み”が消えるどころか、物語として破綻してしまいます。子供向けの怪談としては成立するかもしれません。

さて、茂作を殺したのは、お雪(雪女)です。しかし、小泉八雲の天才的な筆により、”お雪は巳之吉に約束を破られて消えた、可愛そうなお嫁さん”という印象を読む人に与えています。

真実を描きつつも、筆力で真実の印象を薄くしている、ということ。今で言うと、となりのトトロで、どう考えてもサツキとメイは死霊、もしくは生霊の状態になっていなければ、後半の描写は意味不明なのに、見る人にそう感じさせない、のと似ています。ラストシーンで、おかあさんが、「あそこで、さつきとメイが笑っていたような気がする」と、答え合わせしているにも関わらず、見る人は”霊”という状態になっていることなど、これっぽっちも思いません。

話を戻します。
お雪が来て5年後に、母は亡くなります。このタイミングで、家計のサイフは母からお雪に移行したことでしょう。

そしてエンディングの項目7。お雪は、巳之吉が”雪女”の話をした途端、消えてしまいます。
変です。巳之吉は、”雪女本人に、雪女を見た”と言っただけなので、一見、なぜ消えるのか理解に苦しみます。雪女は、”話すなって言ったじゃない。他の人に話したらダメよ”と言えばいいだけです。
巳之吉は他人に話したワケではありません。また、雪女とお嫁さんは”同じ顔”なのですから、バレない、と思う方が変です。

しかし、ミステリー解釈であれば、簡単に説明できます。ミステリーのありふれた結末、”お決まりのパターン”と言っても過言ではない。

 つまり、犯人同士の仲間割れです。

年季奉公の前借りも底をつきはじめる、10人の子供も食べさせなければならない。さらに、母が亡くなったので、働き手が一人減っています。
物語によると、巳之吉と母の役割分担はこうです。”巳之吉が山で木を切り、母が売りに行く”
母が亡くなり、お雪は働いていないので、そのどちらも巳之吉がやることになります。

それがどれだけ大変なことなのか、描写を読めば想像できます。
家から山の仕事場まで、小泉八雲の原文では、片道5マイル(約8km)の距離だと記述されています。訳書では二里。すると、往復するだけで16km。

巳之吉は8km歩き、現場で木を切るという重労働をし、帰路の8kmは、切った木材を背負って歩かねばなりません。山道ですよ。しかも、帰り着いてから、その木材を売りに出かける……激務です。
山中で一泊して帰るという可能性もありますが、それならば冒頭の遭難シーンで、宿泊に使用している小屋に避難すればいいのでは? という疑問が残るので、宿泊はせず、仕事が終わったら帰宅していると思われます。

一方のお雪ですが、お雪が働いていないことを示唆する描写として、怪談『雪女』には、こうあります。”農夫の女は早く年を取る、しかしお雪は十人の子供の母となったあとでも、村へ来た日と同じように若くて、みずみずしく見えた”
巳之吉の母が薪を売って働いている描写はありますが、お雪にはありません。せいぜい、家庭内の針仕事ですが、これは売り上げになりません。もっとも、子供が10人いるのですから、仕方の無いことではあります。
すると当然、農夫の嫁と違い、外で働かないために日焼けもせず、若々しく見えたことでしょう。

それらの状況を考え合わせると、巳之吉が”雪女本人(お雪)に、雪女を見た”と言って、お雪が出て行かねばならないケースが、見えてきます。

家計が圧迫され、また激務で疲労し、徐々に余裕を失ってゆく巳之吉は、のうのうとしているお雪と口論してしまい、つい、言ってしまったのではないでしょうか?
それは、お雪が反論できない言葉でした。

「茂作を殺したのは、雪女だ。お前にそっくりだったぜ」と。

物語上、実行犯は、雪女に扮したお雪一人です。もし、巳之吉が裏切ったらどうなるか……
この時代、間違いなく、市中引き回しの上、打ち首、獄門でしょう。

お雪は子どもを捨て、身一つで逃げるしかありません。

※※※

巳之吉は、タダで茂作にコキ使われ、ほとほと嫌気がさしていました。そこに、江戸から郷里に帰るという、お雪が家に立ち寄ってくれたのです。巳之吉は、お雪に現在の境遇を訴え、そして、ドス黒い計画を打ち明けるのです。
そして、成功した暁には、一緒に豊かに暮らそう……

すでに、江戸で巳之吉と男女の関係にあったお雪は、コクリと頷き、その計画を実行してしまいます。お雪と巳之吉は誰にも言わない約束を交わし、偶然を装って里で再会します。

ところが、幸せもつかの間、巳之吉が口走った言葉で、お雪は、自らの命の危険を感じてしまうのです……
すると、怪談『雪女』の結末も、納得出来ます。

『……もうそれっきり、お雪の姿は、二度と見ることが無かった』

※※※

『雪女』は『怪談』に収録されている他の作品に比べて現実味を帯びた、かなり特殊な物語です。

怪談の要素は、お雪が消える最後のシーンだけで、それ以外はすべて現実として説明することが出来ます。
また、巳之吉の立場やお雪の言葉、避難した小屋の広さ、家から職場までの距離、仕事の役割分担など、およそ怪談とはかけ離れた、具体的な数値を交えた記述が目立ちます。
そのように、詳細に数値を記録している物語は、『怪談』では、『雪女』だけです。

まるで、誰かが”現場検証”したかのようです。

小泉八雲の書き方、単語の選び方も慎重です。
もしかすると、小泉八雲は『怪談』としてまとめつつ、気がついていたのではないでしょうか。


その昔、武蔵の国で発生した”事件”のことを……

※※※


追記:日本語訳の変化について

 さて、この記事を書くにあたって、怪談『雪女』の日本語訳3冊と、英語の原文を参考にしたのですが、本文に書いた通り、訳し方によって読み手の理解度が異なります。

 物語では、巳之吉の立場が重要性を帯びています。

 小泉八雲の原文では、巳之吉の立場は”apprentice”です。ある訳本では「年季奉公人」、別の訳本では「茂作の雇い人」、また別の訳本には「手伝い」となっていることは、冒頭で述べましたが、この3つ、意味合いがゼンゼン違います。

 ”主従”という視点ではいずれも、茂作が主、巳之吉が従ですが、本文の通り、その”従い方”が全く違うのです。
 なぜこんなに違うのだろうと興味を持ち、訳書各々の初版発行年月を調べてみました。

 すると、僕が”正しい”と考えた「年季奉公人」は、昭和12年1月。
 「雇い人」は昭和50年3月。
 問題外と思った「手伝い」は、平成2年6月でした。

 これは、訳者が生きた時代の、常識が翻訳に反映されたものと考えます。  
 まず問題外の「手伝い」平成2年。この当時、バブル崩壊直前でまだ日本は浮かれていますが、当時の大蔵省は締め付けを始めていました。
 正規雇用、契約社員はもちろん、フリーターでも余裕で生活できた時代で、企業は人を求め、労働者側が”強い”時代でした。

「手伝い」は、ややもすると、巳之吉が”自主的に”茂作を手伝っている、ような誤解を生みかねませんが、訳した時代背景を考えると、訳者がそう思ったのも、百歩譲ってほんの少し理解できます。しかし、物語上、悪訳であることには違いありません。

 次に、昭和50年の「雇い人」。昭和50年はいざなぎ景気が終わり、労働条件は安定していたものの、雇用は前年より30%も落ち込んでいます。今や死語となった”終身雇用”が当たり前の時代ではありましたが、まだ労働者の立場は弱く、雇っている企業、雇われている人の差は明確でした。
 訳者の「雇い人」という言葉は、その背景を如実にあらわしています。

 さて、名訳「年季奉公人」。これは昭和12年。1月の発行ですから、昭和11年に翻訳は終わっていたものと思います。
 昭和11年は226事件の年で、昭和12年には、首謀者の一人で青年将校たちの精神的支柱であった、北一輝が処刑されています。日本中、その話題でもちきりだったことでしょう。
 決起した歩兵第三連隊の将校によると、農村出身の初年兵の話で、「姉は身売りした……」などということは、多くあったと証言しています。

『雪女』では、男性(巳之吉)が「年季奉公」しているので、陰惨な雰囲気は抑えられていますが、女性が女郎屋に「年季奉公」するケースも多くありました。これは、当時の言葉で「身売り」と言われました。ただし、奉公する”一定期間”の長さは決まっています。

 つまり、翻訳された昭和12年、「年季奉公」は歴史用語ではなく、リアルな用語だったのです。

 その時代に生きた翻訳者は、「小泉八雲は、日本の年季奉公のことを、欧州でいう、ギルドで”一定期間”雇い主の元で働く見習い(徒弟)、という解釈をしたのではないか」と、自分の生きる時代の常識と、小泉八雲の生きた国、時代に思いを重ねて訳したものと思われます。

 怪談『雪女』。

 これは、日本語で詳細に雪女の伝承を伝えた武蔵の国多摩の人と、それを英語で正しく描写した小泉八雲、そして時代に思いを重ねた翻訳者によって、物語の奥深さ、リアルさが今に伝えられた物語と言えるのではないでしょうか。

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