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昔話『蜘蛛の綾織』-ビジネス解釈-

日本の昔話『蜘蛛の綾織』について、ビジネス的に解釈してみました。

まずは、物語の概要から。
1.京の都の焙烙売りの男が、琵琶湖で溺れていた蜘蛛を助けた。
2.ある日、あやと名乗る女が男の家に来た。
3.あやは、泊めてもらったお礼に機を織るが、中を覗くなという条件をつけた。
4.あやの織物は品質が良く、飛ぶように売れた。
5.男は金持ちになり、あやに結婚を申し込む。あやは同意する。
6.男は、自堕落になる。
7.あやが過労でうたたねしたところ、男が覗く。すると、蜘蛛がいた。
8.あやは、和歌を残して出てゆく。
9.男はあやを追って、下野国の御亭山の綾織池に行く。
10.あやは、自分が琵琶湖で助けられた蜘蛛だといい、この池に古くから住んでいると告げる。
11.あやは本来の姿を見られたから、戻れないといい、男を置いて池の中に消えてゆく。

冒頭から変です。
項目1で、あやは琵琶湖で溺れていたことから、”水に弱い”という印象だったのですが、項目10では、綾織池の中に消えます。
あやは、”水に強い”です。古くから綾織池を住処にするくらい。

疑問1.では何故、”琵琶湖で溺れた”のでしょうか?

疑問2.琵琶湖は京の都(京都)にはありません。滋賀県(近江国)です。焙烙(焼き物の器)を売るときだけ、比叡山を越えて京に行ったのかもしれませんが、距離的に無理があります。
余談ですが、箱根の山を二回しか越えたことの無い東北人の僕は、この物語を調査するまで、琵琶湖は京都にあると思っていました。もしくは、十和田湖のように、複数県に跨っていると考えていました。しかしグーグルマップを見てビックリ。琵琶湖全域滋賀県ですよ。東北人あるあるですね。

さて、物語のほうは、項目3で、あやは機織をします。
疑問3.でも変です。蜘蛛に機織の技術があるのでしょうか?
男の家に機織の道具があるのも変ですが、使われていないものを借りてきた、もしくは前の女房が使っていたなどの解釈が可能です。しかし、機織技術については、一朝一夕に身につくものではないので、疑問として残ります。

項目11で、あやは、「本来の姿を見られたから、戻れない」と言います。

疑問4.琵琶湖で溺れたとき、蜘蛛の姿でした。男が「自分が蜘蛛になってもいい」と言った時点で、正体が蜘蛛だから戻れない、というのはスジが通りません。
醜い姿を見られてしまい、恥ずかしいと思ったのでしょうか?
しかし、例えば、女性が整形してそれを隠し、男性と結婚後に整形前の写真を見せても、男性が「それでも好きだ!」と言えば、丸く収まるはずです。

この物語は一見、『鶴の恩返し』をパクリ過ぎてツジツマが合わなくなった……というように思えますが、物語の転換点となった”絹織物”のビジネスとして解釈すると、謎は解けます。


あやの故郷である”こてやの綾織池”は今でも実在する場所です。
栃木県大田原市の御亭山(こてやさん)の頂上から少し降りたところに、綾織池があります。
その麓では”那須絹”が織られていました。

絹の美しさ、その用途による強さを決めるのは、”精練”という、糸を洗って不純物(セリシン)を取り除く技術によるものが大きいです。
このセリシンを洗い流す加減が職人技です。
その際に重要なのが、”水”。軟水でアルカリ性であることが美しい絹を作る条件。

すると、あやが、琵琶湖で苦しんだのに、綾織池では住めるほど居心地がいい理由がわかります。
つまり、”溺れる”というのは、水に弱いのではなく、水が合わない、ということ。
環境省のphの数値を調べたところ、琵琶湖はph8.1くらいのアルカリ。御亭山山麓を流れる那珂川のphは9.0を越えるくらいの場所もありました(河川なので、季節、場所によってばらつきがある)。
これは、綾織池の数値ではないので参考程度ですが、つまり、『琵琶湖の水で、品質の良い絹が作れない』という遠まわしな表現が、”溺れる”だと考えれば、あやが琵琶湖では溺れ、綾織池では溺れないという説明がつきます。

さて、物語に話を戻すと、表現したいのは明らかに『琵琶湖より、綾織池の方が水いい』ということ。また、『那須絹は、京に出せば大人気だ』。さらに『京の男はクズ』。徹底的にあやの地元側に贔屓した内容です。

そんなに京の都をこき下ろして、綾織池側になんの得があるのか?
それは競争相手、つまり京の都には、天下の西陣織があるためでしょう。
西陣織は高品質ですが、生糸は中国から輸入したものを使用していました。
ところが、徳川家康が1606年、大幅に輸入を制限し、また業者の割り当て量も定めたので輸入生糸が手に入りにくくなり、西陣織の生産量がガクンと低くなります。

それが原因で国内の生糸を使うことになりますが、それにより品質が低下したにも関わらず、価格は維持したい。今でもありがちです。
そして、生糸の輸入量は低下しますが、需要は下がっていません。モノがあれば売れるのです。
あやの住む下野だけではなく、美濃、近江など各国から、あやのような”技術者”が京にやってきたはずです。

その際、競争相手を蹴落とすため、綾織池側はちょっとヤラシイ手段を使います。
つまり、直接名指しで非難はしないけれど、さりげなくこき下ろす。琵琶湖の水は絹に向いてないことを”臭わせる”程度に。モヤっとするアレですね。今でもネットで時折見かけるような気がします……哀れナリ……

その後、関東はさらに増産。その中でも桐生は爆発的な伸びを見せます。さらに東北にまで養蚕、機織は広まりました。



上記を踏まえると、冒頭であげた疑問は解決します。
疑問1.では何故、”琵琶湖で溺れた”のでしょうか?
→琵琶湖の水質(絹の精練に向いているかどうか)を揶揄しています。

疑問2.琵琶湖は京の都(京都)にはありません。滋賀県(近江国)です。焙烙(焼き物の器)を売るときだけ、比叡山を越えて京に行ったのかもしれませんが、距離的に無理があります。
→綾織池側の”イメージ”です。
この物語の”視点”は京の焙烙売りの男ですが、エピソードを主導しているのは、きっかけからラストシーンに至るまで、明らかに、あや(綾織池側)です。ですから、琵琶湖がピックアップされているのは、下野国の御亭山(栃木県大田原市)の人から見た”絹の精練に使う京の水”となります。つまり、イメージです。「京の水と言ったら、琵琶湖だろう」みたいな。いえいえ、琵琶湖は近江国ですよ……
とすれば、「京で焙烙売りをする男が、琵琶湖で蜘蛛を助けた」などという、琵琶湖と京の距離感、交通を無視した描写も納得できます。たぶん、綾織池側は僕と同じく、琵琶湖が京都にあると思っていたのではないでしょうか。

疑問3.でも変です。蜘蛛に機織の技術があるのでしょうか?
→あります。あやは、御亭山地域における、那須絹の技術者です。

疑問4.最後に男は、「自分が蜘蛛になってもいい」と言った時点で、正体が蜘蛛だから戻れない、というのはスジが通りません。
→蜘蛛の姿ではなく、”機織している姿”つまり、「機織の技術」を見られたくないのです。これは、絹の光沢、柔らかさ、伸び、模様を出すための門外不出のテクニックだったと思われます。

『鶴の恩返し』でも機織の場面を見るな、と言われますが、鶴が逃げて物語が終わるので、”鶴の姿を見られたから逃げた”と思われがちです。
しかし、『蜘蛛の綾織』は、逃げた先まで焙烙売りの男が追ったため、あやの背負っているモノが垣間見え、覗かれたことが原因で逃げなければならない理由が推理できます。


ちなみに、もう一つヒントにした昔話で、『鬼怒沼の機織姫』があります。
この物語では、機織姫は蜘蛛や鶴などに変身しません。ただ、通りがかりの人に”覗かれただけ”で殺そうと追いかけてきます。
つまり、姿ではなく、”機織の場面”を覗かれることこそが、男の”罪”なのですね。
ちなみに、『鬼怒沼の機織姫』においても、機織姫が織っているのは那須絹です。


さて、『蜘蛛の綾織』はビジネス解釈でツジツマが合う物語だということがわかります。
一般的には”異種婚姻譚”のカテゴリにはいる、機織系物語のテンプレと思われがちです。
しかし、養蚕、機織、産業を題材として言い伝えられるとき、テンプレどころか、登場人物たちの動きは、非常に合理的です。

現代でも、ビジネス的に合理的な動きをすれば、同じ業種であればどこの会社でも同じような組織、働き方になりますよね。しかし、これを”テンプレ”とは表現しません。つまり『蜘蛛の綾織』も同様です。


そう考えるとき、『蜘蛛の綾織』をはじめとする機織系物語の中で働く人が、その類似性を受け入れつつ、独自性を守ろうとし、そこに恋愛が絡んだ感情の問題が、教訓としてはるか昔から日本各地に、いろいろな形で語り継がれていたのではないかと、思われてならないのです。

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