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人生に役立つ哲学・その二

日本人は伝統的に恥の文化に住んでいました。「日本文化=恥の文化」と定義づけたのは、『菊 と刀』の著者であるルーズ・ベネディクトである 。

ベネディクトは、日本研究を通し、日 本の文化は外的な批判を意識することを意味して 「恥」と定義づけた。

これに対して、欧米の文化 を内的な良心を意識する「罪の文化」であると述 べています。

ベネディクトは、「真の罪の文化が内面的な 罪の自覚に基づいて善行を行うのに対して、真の 恥の文化は外面的強制力にもとづいて善行を行う」 と述べたうえで、「恥は他人の批評に対する反応で ある」と述べている 。

このような罪や恥に対することを基本に考えてみれば、ソクラテツの自死の意味も多少理解ができるかもしれない。

彼は命が助かるかもしれなかったのに、なぜ友人からの提案を受け入れなかったのか。

しかし、「ただ生きる」ことではなく、「善く生きる」ことを信条としていたソクラテスだったからこそ、死を受け入れたといえます。ソクラテスにとって、不正に生きることは罪であり、正義に反したことでした。
そして死ぬことに価値を見出した。
のです。

 ソクラテスが問答法という手法を取るようになった最初が「神託事件」でした。
当時のギリシアは、問題が起こると北西のデルフォイにある神託所へ出かけけ神託にかけました。

ある日、友人カイレポンが神託所で「ソクラテスよりも賢い者はいるのでしょうか」と尋ねたところ、巫女は「いかなるものもソクラテスより賢くはない」と答えました。

自分自身をそのように見なしたことはなかったソクラテスは神託の真意をはかるため、知識人を尋ね問答を繰り返し賢者を見出そうとしました。そんな行動を通し彼は一つの事実に気づいたのです。

知識人といわれた彼らは自分自身知恵があると自惚れていて、実際には知識や知恵があるのではなく、思い込みだけであったということです。
そして、ソクラテスは自分が知らないことについて「それを知っている」とは思っていない限り、彼らより知恵があることを知ったのです。

これらから、ソクラテスは神託の意味を、知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が人間たちの中で最も知恵ある知識人者であると解釈しました。これが、ソクラテスの 不知の自覚です。

問答を通したものに論駁と論破があります。相手の主張から相手が認めないこことを見出し相手の主張を論駁する」とは、相手の論の揚げ足をとることをいいます。
対して、「論破」は、理論立てた意見で相手を言い負かすことをいうので意味が違います
ソクラテツの論駁は有力者といわれる知識人が知らない事柄を実際に知らないと自覚するように促すためでありましたが、ソクラテスの問答を受けた有力者たちは、ソクラテスによって公衆の面前で恥をかかされた、と思ったのです。彼らは激怒します。

何時の時代でも若者には被害者意識があります。彼らの生き辛さを有力者が開けす知識の圧迫と捉えていた若者たちは、次第にソクラテスを支持するようになり、ソクラテスを真似て有力者を論駁するような者もあらわれました。ソクラテスの罪状の一つ「若者を堕落させる」とは、このことを指しています。

ソクラテスの真意は「無知であることを知っていること」が重要だということです。 要は、自分がいかにわかっていないかを自覚せよ」ということです。 言い換えると「知らないこと」よりも「知らないことを知らないこと」の方が罪だというのです。「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」ということを意味しています。彼は論駁を通して
知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいのです。

自らの無知を自覚することが真の認識に至る道であるとするソクラテスの真理探究への基本になる考え方であった。

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