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光陰は百代の過客

夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過各なり。
そもそも天地は万物を宿す旅館のようなもの。来るものあり、去るものあり。
月日は永久に往きて帰らぬ旅人のようなもので、いつまでも留ることはない。
李白の「春夜桃李の園に宴するの序」の冒頭だ。「古文真宝(後集)」にも収録されている。
これをうけて芭蕉は「奥の細道」冒頭で「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なりとする。

「逆旅(げきりょ)」とは旅館とか宿屋の意味だが、これと「天地」とが、空間を表す言葉として対比されていて、「光陰」という時間経過を表す言葉が「過客」という時間経過を含意する言葉と対比されている。

「過客」とは「往(ゆ)いて帰らぬ旅人」と訳されている。「過」には何かがあるポイントをこえるという意味があり「越」などと違い、こえたポイントを逆に戻ることは予定されていないようなニュアンスがある。つまり過客とは「出発したらもう二度と戻っては来ない旅人」というニュアンスである。四季と自然の移ろいのなか、同じ出来事は二度と生じない一期一会の現象という意味合いで解釈すべきだろう。

そして「ゆきかふ」には「交差する」あるいは「あちらこちらからきて、またあちらこちらに行ってしまう」というニュアンスを読みとれば、「過ぎ去ってしまう」という意味合いになるので、「旅人」という言葉になっているのだろう。

実に、移ろい往く一瞬を、端的に切り取る俳句の作品集に相応しい文ではないか。そして、当然旅人には松尾芭蕉自身を重ねている。旅先で死んでしまった先人のことを書いているように、自分自身も過客――もう帰ってこないかもしれない旅に出る――という印象も与えている。

「過客」という言葉の意味をよくよく考えてこなかったことが悔やまれる松尾芭蕉は「だから旅に出よう。」と思った。

しかし、李白は「みんなで詩を作ろう。作らなかったら酒を飲ますぞ。」という。これは、同じ東洋人でありながら中国人と日本人の違いであろうか、

これらを別表現で述べれば、「時間の矢」であり「熱力学の第二法則」でいう変化の方向性だ。

若さにあふれ輝かしいものであった人生も輝きを失いやがて朽ちる時がある。
はかない人生は夢のようであり、喜び楽しむ時間はどれほどあるのでしょうか。
過去は低いエントロピーであった宇宙が過去と未来を区別できるようになり、熱力学第二法則でいいあらわせるようになった。
時間の矢 ( 英語: Arrow of Time, Time's Arrow )は、1927年に英国の天文学者 アーサー・エディントン が提唱した概念であり、 時間 の 「一方向性」または「非対称性」を表す言葉であり、 物理学の未解決問題 の一つである。

時間の矢とは"物事"が過去から未来へと展開することを指す。だが物事が未来から過去へ展開した事は今まで一度も"目撃"されていない。その理由としてエントロピーの概念が使われていたりする。

宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)へ必ず向かうという具合に。

だがにエントロピーは実際はそのような決まった流れを意味せず、確率の方と関係している。

だとしたらエントロピーと時間の矢の概念を単純に結びつける事はできないのではないのか。
過去から未来へ物事が展開するのは"確率的なもの"となってしまうからである。確率的なものであるのなら時間の矢は存在しているように見えるだけで実際は存在していないと言える。

存在していないのであれば熱力学第二法則の基本である宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)に向かうという部分は正確には正しくないことになる。(絶対的なものではないから)

とはいえ、あり得るかもしれないのに未来が過去に向かって展開したという"目撃例"は一切存在しない。どう見ても時間は過去から未来へと一方方向にしか進んでいないように思える。

よほど確率的に起きにくいのか

それとも全く別の原因があるのか

まず、時間の矢は"物理的"には存在しないと仮定する。これは、実際に物理法則に反しないので正しいのだろう。

時間の矢と熱力学第二法則との繋がりは科学者が勝手にそうだと主張しているだけである。なので時間の矢は存在しないと主張している科学者も普通にいるし、この件を書くのに参考とした識者もいう。

物理法則に反さない(時間の矢は存在しない)のであれば、なぜそれが目撃されることはないのか。その理由は、かなり単純だという。

過去に戻る過程で現在の"記憶"まで一緒に過去に戻るからで説明できる。つまり時間の巻き戻りは実際は頻繁に起きているのだろう。

いや本当に起きてるのかどうかは知らないが、そう仮定しても一切問題ないというのがポイント。

だが"人の記憶"まで一緒に過去の状態に戻るから、だからそれを観測する事はその宇宙内(現実)では単純に不可能というわけである。

そしてもしそれを観測できる可能性があるとしたら、それは時間の矢の向きが変わったわけではなく全く別の原因である。

シミュレーション仮説との関連か、たまたま偶然か

例えばたまたま凄い偶然が重なり、ある人から見た範囲で時間の矢の向きが逆向きになった"かのように"全ての分子が動き、物事が未来から過去へ展開しているかのように見えるという具合である。

その場合こそエントロピーの概念によって説明できる。

目撃例がない理由は、"確率的"に目撃するのはほぼ不可能だからというわけである。

つまり時間の矢の概念は物理(エントロピー)とは関係しておらず、意識と直接関係していると考えられるからである。

というわけで時間の矢の正体は、意識の基本的な作用の一つである。

これが熱力学第二法則の哲学的な意味での真の正体じゃないだろうか。

だから"物理法則もどき"なのではないかと思うわけである。

つまり宇宙の立場で考えると常にエネルギーは一定で全てはただ物理法則に従っているだけなので、エントロピー(過去や未来)と呼んでいるものは"人"が意識の作用と関連した現象に論理的(数学的)な意味を与えているだけというわけである。

そしてこの意識の作用は最も基本的だが最も重要で、これ無しでは絶対に現実が成り立たない

なぜなら未来から過去へ時間が進むと"知識"が一方的に失われていくだけなので現実を"認識"することが出来なくなる。

(つまり現実の認識とは知識の増加を意味すると言える)

もし逆向きの時間の矢を"実感"できるのであればそれは先ほど言ったように時間が巻き戻ってるっぽく見えるだけでしかない。

本当の意味で"時間"が未来から過去へ進んでいない。

つまりこの宇宙に"時間の矢という概念"が存在する理由は、意識こそが宇宙において本質的なものといえるからかもしれないわけである。

時間の矢が存在するかどうかは重要ではなく、その概念を認識する存在がいるのが最も重要なポイントということ。

というわけで時間の矢の結論は理解という概念が宇宙において何を意味するのかということに帰結する。
また、このような説明に出会いました。
物理学的に時間を考えると、 時間は過去方向も未来方向もほとんど変わらないのです。
たとえば2個のボールが衝突する様子を考えてみましょう。 二つのボールはたがいに接近した後、衝突して、はなれてゆきます。 この現象をビデオで撮影します。 この映像を逆向きに再生しても、物理法則に反するところはなにもありません。 すべての物理理論は、時間について対称なのです。
K中間子という素粒子の崩壊現象では理論的に時間反転対称性の破れが予想されていますが、実験的に検証されていません。 仮に時間反転対称性の破れがあったとしても、日常的にみる過去と未来の時間方向のちがいを生み出すものではありません。

熱力学第2法則では、乱雑さの度合を示すエントロピーという量が未来に向かって増大すると述べています。 これが過去と未来の非対称性の原因なのではないのと考える人もいるかもしれません。 しかし、これは経験則であり、なぜエントロピーが増大するかはよくわかっていません。

またまた元に戻りますが、なぜ時間は未来方向にしか流れないのでしょうか。
たとえば、この世界が映画のテープのような世界だと考えば、 ひとつの疑問が生じます。 なぜこれほどまでに、二つの方向に非対称性が存在するのでしょうか。
片方のはしにはビッグバンが存在し、もう片方向は、無限に続いています。

多世界的解釈

多世界解釈と時間の矢の関係についての考えを参照します。
多世界解釈では、異なる時間に属する世界は、多世界の一種とみなします。 また、多世界解釈では、映画のテープのようにひとつの歴史があるのではありません。
くもの巣のように、さまざまな歴史が広がっていきます。 各世界には、時刻というインデックスが割りふられるわけではありません。 各世界の差異のみが存在します。
たとえば、その世界の時計が時刻 t を指している世界を考えてみましょう。 この世界から遷移する世界は、可能性として、さまざまな世界が考えられます。 それらのほとんどの世界の時計では時刻 t + 1 を指していますが、 一部の世界では、 t - 1 を指しているかもしれません。
しかし、その世界の時計が時刻 t + 1 を指している世界が圧倒的に多いので、 私たちはほとんどの場合に時間の進行を観測します。 これが多世界解釈による時間の矢の説明です。 エントロピーの大きい世界は、エントロピーの小さい世界より多いので、 エントロピーの大きい世界へ遷移しやすいのです。しかし、将来エントロピーが最大値を示したときに、 このような世界間の遷移が発生したとしても、時刻の進行は観測できないでしょう。 つまり、エントロピーが最大の世界では、正しく機能する時計は存在しないと考えてられています。

矢印の方向に従うにつれて、世界の状態に乱雑な要素がますます見つかるようであれば、矢印は未来を指している。乱雑な要素が減っていくならば、矢印は過去に向いている。これが物理学で知られている唯一の区別である。
素人ながら、もし時間が逆転、すなわち宇宙が収縮に向かうのであれば人間の意識もどんどん収縮しそれを確認できないのだろう。行きかう時も旅人なり何か詩的なイメージを持つが時の流れも本質は今も謎のままだ。


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