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芭蕉と哲学1 

俳諧の歴史は、室町時代末期に詠まれた連歌に端を発する。明智光秀が主、信長を討った動機を表したとされる京都愛宕山の蓮歌の会での発句が気になり登山も兼ねその現地を訪れたこともあったがそんなことが俳句の門外漢であった私も時に応じて一句二句とひねったりする動機となった。
このNoteでは過って正岡子規を論じたことがあるが今回は、松尾芭蕉の作句の哲学的内面を少し書いてみることにした。

連歌から五・七・五の発句を独立させたのがいわゆる俳句である。その後、江戸時代に芭蕉によって本格的な詩文芸として俳諧が誕生し、後に正岡子規の手に渡り、一般向けの文芸として大成した歴史がある。

俳句に対して和歌の短縮バージョンとしての思いを多くの人が抱くだろうが、芭蕉が生み出した十七字の俳諧には哲学的エッセンスが詰まっているという論評を多くの識者が語っているのだ。

俳句は、十七音からなる世界を眼前に創りだしてみせるところに短形詩として世界にかんたる魅力があるのだろう。
俳句には独特の「季語」と「切れ」がある。
季語は季節を示す語であるが、この語は自然の世界を取り込む役割をもっている。
「切れ(切れ字)」は俳句が一つの「間」を含むことを示している。
間は詫び寂び、不完全である」という美意識にも通じますが、余白のように、何か足りない部分があってこそ、美しさが際立つという東洋殊に日本人の独特な見方でもあるのです。
ですから、この「間」が、別次元の、あるいは哲学の超越論的な意義をもっていると考えられるのです。

このことから、俳句表現では現実や日常を離れることは出来ないが、一方で、ある種の 精神性・理念性をもっているといえるのです。
これを通して俳句の芸術性あるいは創造性をみることができ る。この不思議さを秘めた宇宙や世界をわずか十七音で現前化させるのが俳句の 真実性なのです。  

超越論はカント哲学では、個々の対象に直接かかわるのではなく、それらをこえた見地から、認識を成立させる主観の側の先天的な諸条件を問題にするあり方をいいます。
認識が成立している条件をさかのぼって探索することがカントのいう「超越論的」の意味といわれている。カントにとって超越論的とは、いま現に働いている自分の意識を超越したところ、つまり一段の高みからその意識を考察する態度のことをいうのだろう。

カントのいうところの『純粋理性批判』はその名のとおり理性批判である。理性はとくに人間に特有な働きとして考えられ、たんに自然界を中心とした経験にもとづく思索ではなく、それを超えて、経験に縛られない ( つまり純粋な ) 理性独自の思索をもたらす。そこに大いなるイデー ( 理念 ) の世界が広がると考えるのだ。

哲学の役割を経験や表象を思想へと変えることだといえば、この意味において俳句は哲学的と言えるのだろう。

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