見出し画像

人生に役立つ哲学・番外編

この表題で進めた記事も最後となる。
最期は近代の思想界でもその影響度は10指に入るであろうハイデガーにページを割こう。

ハイデガーは「自分の存在に忠実に」がその哲学の主題なのだろう。あまりにも自分という存在が「重い」。ですから気休めに他律についしがみついてしまう。
これが「非本来性」、つまり他者に埋没した「ダス・マン・非本来性と」いうあり方です。では、自分らしい生き方、本来性とは何なのだろう。
「ひと・他人」に判断を委ねるのではなく、自分のあり方を自分で責任をもって選択していくことであり、「おのれ固有の存在を気遣う」とハイデガーは言います。
キリスト教圏では西欧の伝統的価値観「神に忠実に」というところを、ハイデガーは「自分の存在に忠実に」というのです。

折しも、ハイデガーが思索に入った時代におこった第一次大戦は、西欧社会に深い傷を負わせ、戦後の将来に大いなる不安を投げかけました。
そんな時代の空気に、ハイデガーが投げかけた「正しい生き方」への問いが「刺さった」のでしょう、彼の思想を時代が受け入れたのでした。

人々が信頼し、有ると思っていたものの全てが実は「無」でしかなかったのです。
一体「存在」とは何を意味するのかー無でしかなかったと、
そう捉えられた、ハイデガーの「存在の問い」は、それ自体が生の新しい基盤を求める切実な問いだったことがわかります。

アウグスティヌスの時間論では ー「そ れにしても現在の時間は何処から来て何処を通って、 何処に過ぎ去ってゆくのか」を問います。
時間論とは存在論そのものです。
現在という時間は瞬間で数学的には限りなく分割された最小部分(微分)です。
限りなく無(0)に近いものでありながら無限の作用、現象の起点となる。
ですから、哲学では時間を生命と捉え存在そのものとするのでしょう。

さて、時間は何処から来るのー もちろん未来からです。何処を 通ってーもちろん現在を通って。何処へーもちろん過去へです。
ですから 「それはまだないもの’無)から来て、ひろがりのないもの(無)」を通って、「もう ないもの(無)」へと去ってゆきます 。
アウグスティヌスのこの時間把握は,時間は過去から未来へ流れ去るという 常識的な時間論とは反対に、未来から過去へ流れ去るという逆方向性を示すこ とです。

人間は過去ではなく、未来に向かつて生きるべきであるという未来志向の主 体的な人間観に立つ宗教家や実存哲学者は基本的に常識とは反対の時閣の流れを主張します。
この方が「時聞は生命である」という哲学的時間の本質に 合致するからである。
来るは「未来」からであり、去るは 「過去」へである。将に来ようとするものが来れば即ち存在に達すればそれは 現在であるが、その現在は成立するや否や直ちに非存在(無)へと過ぎ去り行く。
こ の絶え間い無から無への流動推移が時なのだ。

「無」とは私たちの周りに存在するものを考えるための思考的土台であり、哲学的観点からすると「無」は何もないというよりもむしろ、何か新しいものを生み出すための確かな概念的存在なのでしょう。

無は存在の証明のための概念とすれば、ここに時の「不可逆性Jも成立つ。要するに有より無へ、存在より非存在へ向うのが時の最も根源的方向時間性 で本質なのだとすれば、それもありなのだ。

実存哲学を説くハイデッガーは、本来の自己を「死への存在」として自覚し て、かかる先駆的覚悟をもって投企的に生きることを実存として捉 えたのだ。
実存主義の立場からは根源的本来的な時間性の第一義的現象は、将来であるる。

ハイデガーの哲学も無の概念を昇華し煩悩にまみれて生きるという悩みそのものを昇華、即ち悟りへいざなう禅の思想に似ているといっても過言はないだろう。

私たちは生きている中で他への繋がり、他なるものの「存在」を負わされ、単独者としては存在しえないものです。
このような生の根本的な現実から逃げることが出来ないのが事実です。
ですから私たちには、そのことを真正面から引き受けるか、それを避けるかという二つの選択肢しかないわけです。
例えば前者を選べば孤独で険しい道となるでしょう。然しその途上で灯のない暗い道に差し掛かったとしても哲学の語る言葉が道を照らすことは請け合いです。

ハイデガーの述べた言葉で特に関心を持たれたものを抽出しながら少し書き出してみたい。
単純なものこそ、変わらないもの、偉大なるものの謎を宿している」・・・東洋とくに禅の哲学を思い起こし興味深い言葉だ。

偉大に思索する者は、偉大に迷うに違いない」・・・アリストテレスの不知の知。

死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる」・・・死の覚悟がある者だけが、「良心の呼び声」に応えることができる。

禅の哲学的見解を確認したい方はNot、私のブログ禅の公案を御覧ください。禅の世界 公案 阿部肇一|浅原録郎|note


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?