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生産性なにそれの世界

消費税がまた上げられてしまった。

今の世の中、余裕の無い雰囲気が蔓延していると思う。

AIが発達して、ただでさえ、過当競争なのに、また仕事が無くなるという心配を人々はしている。

テクノロジーが発達して、本当なら人は仕事の量が減って、余暇をその分楽しめるはずなのに、実際はその逆で、社会全体的に殺伐としてきている気がするのはおかしいではないか。

AIで仕事が減ったとしよう。仕事の総量が減るのは悪い事ではないはずだ。悪いのは、仕事量が減ることと、給料が減ることが相関していることだ。仕事が無くなるのが心配なのではなく、充分なお金が無くなることが心配なのである。

つまり、テクノロジーの発達に、社会のシステムの「発達」が追いついていないわけだ。

システムの見直しが必要である。テクノロジーが、人々の余暇を作り出すのを、保障できるための「社会的な」システム、これを私たちは、作り出す必要があるのだ。

こう考えると、「生産性」なるものが、何の解決もしないことがよくわかる。むしろ、発想を転換させなければならない。

音楽、美術、文学、碁、スポーツ、なんでもいいけれども、「生産的」でないもののために、人々が時間やエネルギーを使える様になったらいい。その中には、年齢も関係なく、人々が与え合ったり、分かち合ったりすることができ、生産性という呪縛からも解き放たれ、魂の充実感を得ることができると思う。

例えば、週に3日くらい働けば、充分暮らせるようになる。あとの4日は、今の私だったら、ベートーベンの月光の第三楽章を弾けるようになるために、ひたすらピアノを練習したいと思う。なんでもいい。山歩きでも、昼寝でも、プラモデル作りでも、料理でも、雲の観察でも、なんでも、好きなことをすればいい。

みな、自分で充足するから、他人の生産性など、けちな事は言わない。

きっと、人々の心に余裕が出来て、暮らし易くなるだろう。例えば、育児中の家庭の親たちは、子ども達に対して、もっと笑顔で接することが出来る様になるだろう。もちろん、ワンオペ育児も、減るか無くなるだろう。少子高齢化社会であっても、年配の人の健康状態も良くなって、老後の生活もより充実し、介護問題も改善すると良い。今、書店に行けば、アンチ韓国を煽る雑誌がたくさん並んでいるが、エネルギーの使い方は、他国に憎悪を向けるより、もっと充足できる健全なものになるだろう。

人間の攻撃性や、精神的な暗い部分は、已然として残ったとしても、そのために人類は、芸術や文学や武道やスポーツを発明している。それらの叡智の中で、存分に発揮すれば良い。そのための、「アンチ生産性」でもある。

すぐに、完成形というのは難しくても、そういう方向を、目指していって欲しい。例えば、今問題になっている環境の問題だって、そういうところから、ちゃんと取り組めるようになる気がする。

「まっとうな」すら、今はなかなか望みがたくなっている気がするけど、一歩進んで「健やかな」社会を目指せたらいいなと思う。テクノロジーはそのために使われるべきだ。

#こんな社会だったらいいな

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