第49話 父:1993年米騒動

 今の子は知らないだろう。
 でも当時を生きているものなら、このちょっとした騒動は忘れない。
 ボクも子供ながらにはっきりと覚えているのだ。
 1993年。その年は冷夏が影響し、米の収穫量が非常に少なかったのだ。
 政府が備蓄米を放出しても、全然足らない。
「米が無い!!米が無い!!」
 と日本中が日本米を求めて奔走していた。

 当時、学校でも習ったのが、日本人はだんだんと西洋かぶれになりつつあり、パンを食べる人が日に日に多くなっていた。
 そのために政府は毎年米を余らせてしまう問題に直面し、減反政策というものを打ち出した。
 1993年もそんな政策の真っただ中。
 ボクは子供だったので当時のニュースなどほとんど見てないが、さぞかし政府に批判が集まったのではないだろうか?
 しかし、いくら批判しようとお米は空から降って来ない。
 お米が無いのだ。
 無いと言われると、余計にそれが欲しくなるというのが人間の性。
 いくら西洋かぶれになろうとも、その血に流れるのは日本人の血。
 やはり米が食べたくなるのだ。
 日本人はお米を食べたいのだ。

 そんな窮地を脱するために政府は外米の輸入をする。
 そして、スーパーでとんでもないものが販売された。
 それが「ブレンド米」だ。
 若い方は信じられないかもしれないが、これはマジだ。
 輸入したお米と日本米を混ぜて販売したのだ。
 これは苦肉の策だったんと思う。
 しかし、このブレンド米を考えた偉い人は日本米を食べていたんじゃないか?
 と性格の悪い大人になってしまったボクはそんな風に思ってしまう。

 この話題、いつになったら父に関係して来るのか?
 大丈夫だ。ちゃんと関係している。
 我が家の米事情。
 我が家は、我が家は…100%日本米を食べていた。
 ブレンド米など口にしなかった。
 父が頑張ってくれていたのだ。

 我が家はいつも酒屋さんでお米買っていた。
 誰もお酒を飲まないのに酒屋さんでお米を買っていた。
 そこで米騒動の最中も日本米を購入することができたらしい。
 これは大人になってから聞いたのだが、そのときのお米の価格が通常の2倍近くに跳ね上がっていたとかいないとか。
 とにかく高かったと言っていた。
「2倍!?」
 大人になった今のボクなら驚くが、当時小学生だったボクは全くそんなことを知らなかった。
 正直なところ、米不足と言ってはいるものの、変わらず日本米を食べているボクにとってはどこか他人事だった。
 非常にうっとうしいガキである。

 ボクはそんなことより、当時販売されていた「くだものだもの」というジュースに夢中だった。
 そのジュースはお米を買っていた酒屋さんで手に入れることができ、
「お父さん!!くだものだもの買ってきた!?」
 と口酸っぱく言っていた。
 米騒動など、どこ吹く風であった。

 もしこの米騒動が今起きてしまったら、一体どのようにボクは行動するのだろう?
 両親の頑張りのおかげで、日本米しか食べたことがないボクにとって、非常に悩ましい問題である。

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