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まだ死別の覚悟もてないけど

人生っていつもそうだ。
ずっとしまっておきたいこと、覚えていたいことほど、曖昧で、すぐに消えてしまう。

だから今、時が止まってしまえば良いのにと思う。
私、大学4年。就職も決まって家族を喜ばせることができた。実家の祖母と、母方の実家の祖父母も元気な、今。

祖母も祖父母も老いた。
この先5年以内には別れがあると思う。
10年以内にはより確実に。それが何より辛くて怖い。

だって、会えなくなったら人間の記憶なんてどんどん薄れていくから。その人の存在が消えていくのが怖い。悲しい。

祖父は私が中学のときに亡くなった。
朝方、電話を受け取った母が寝室に来て伝えてくれた。
あっという間に葬式、火葬が終わって日常が帰ってきた。ずっと入院していたから、私の日々にそこまでわかりやすい変化はなかった。ただ祖母の涙目をよく見るようになったくらいだった。

たぶん、現実を受け止めきれていなかったのだ。
そう気づいたのは大学に入ってからだった。

「過去か未来どちらに戻りたいか?」定番の英語の宿題。過去に戻って祖父に会いたいとなんとなく思った、その瞬間に、小さい頃からずっと私の相手をしてくれた祖父の思い出が怒涛の勢いでフラッシュバックした。

長女で、まだ妹のいなかった私の相手をしてくれたのはいつも祖父だった。ごっこ遊びや外遊びに長時間付き合わせて、祖父は困りながらもずっと遊んでくれた。私が小学校に入ってからは毎日欠かさず見送りをすると決めていたようで、私がそれを母から聞いたのは、祖父が亡くなってからだった。

気づいたら昼休みの学内のカフェで号泣していた。タガが外れたみたいに莫大な大好きと感謝が溢れ出して涙が止まらなかった。今になってやっとお別れができたのかもしれないと思った。

そのくらい大好きだったのに、覚えていることはほんのひと握りだ。病院のベッドで握った手の感触くらい。
声も匂いも、もう少しで掴めそうなのに形にならない。

こうなるのが本当に寂しくて辛い。
表情も声もあんなに聞いたのに、あんなに一緒にいたのに、育ててもらったのに覚えていられない。
自分にはどうにもできず薄れて消えていくのが辛い。

なんか、人生っていつもそうだ。
ずっとしまっておきたいこと、覚えていたいことほど、曖昧で、すぐに消えてしまう。

この先、身近な人の別れが待っているのをわかってて進みたくないよ。でも逆らえない。

特に両親がいなくなることなんて考えられない。
多分私よりも私のことを知っていて大事に思っている存在が消えたら私はどうなるんだろう。

未だに自立できていない未熟者だから。
この歳になってまだ親に甘えた話を聞いてもらっているなんて本当に情けなくてこんな子供で申し訳ないと思う。でも私1人なんてやっぱりまだ無理だ。内へ内へ入り込んで息苦しくなってしまう私に、空気を送ってくれるのは母で、遠くからちゃんと見守ってくれているのは父だ。本当にいつも。


てか完全に自分のことしか考えてないな。
自分が悲しくなったり辛くなったりするのが怖くて、誰かとの別れを怖がってる。

なかなか会えない祖父母に会いにいく時、たくさん話しかけたり楽しい思い出を作ろうとして頑張っちゃうのは、いつその時が来ても自分が後悔しないようにっていう自己防衛なのかな。だとしたら本当に別れがきたときに残るものは何なんだろう。「互いにとっての良い思い出が作れました」っていう形而上の満足感か?それは虚ではないのか。

あと何回会えるかのリミットが迫っているって分かっちゃうと、何も考えてなかった子供の頃みたいに純粋にただ訪れるのは難しいね。

でも、新聞読んでるのを見たり、一緒にご飯食べたり、そういう何気なくてつまらない時間こそ、私が忘れたくないもの、一生心に残したいものなのかもしれない。
わざわざ頑張らなくても、特別な瞬間を作らなくても、いま祖父母の家に流れている当たり前の時間に、一緒に身を任せてたゆたうことができたら。
具体的な思い出より、その空気感を残したい。少しでも長く。

でも顔と声は残したいな。動画撮ろうかな。

焦りでなく、純粋にまた会いたくなった。

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