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ありがとうとさようならと

こんにちは、いとさんです。

9月に入りそろそろアルゼンチンも春を迎える準備を始めたのか、雨が続いています。季節の変わり目に雨はつきものです。しかし雨が降ればまた気温が下がり、爪先からジンジンと冷えてきます。まだ花が咲くような季節は程遠いようです。

アルゼンチンにやってきて一年と三ヶ月が経ちました。元々は一年で日本に帰る予定でしたが、コロナ禍は私にも試練を与えました。私のフライトは航空会社よりキャンセルされ帰国の目処が立たなくなったのです。最初のうちは数ヶ月で事態が好転して予定通り帰れるだろうと考えていました。世界から遠く離れた南米にいるので、アジアやヨーロッパで広まったこのウイルスはどこか遠い星で起こっている災難のように思えていました。

しかし時が経っても私の考えていた通りにはなりませんでした。日本領事館から定期的に送られてくる臨時便の知らせが「さっさと日本に帰ってくれ」と自分を促している様な気がしてきました。一方でこのまま日本に帰ることができずに自分の意図しないところで人生が大きく変わってしまうのではないかとじわじわと不安が押し寄せます。自分の生活の基盤があるところでこの難に直面していたのなら、きっとこんな風には感じなかったと思いますが、自分が根無草のように感じられる環境に身を置いていると狼狽えるばかりでした。右へ行くか左へ行くか、前へ進むか戻るか。毎日悶々と考えては、自分の力で何も解決できないこの状況にただ呆然としていました。こういう自分ではどうしようもないと感じる時に人はスーパーヒーローを求めるのだろうなと昨今のヒーロー物の人気を考えて妙に納得しました。

「ジタバタしても仕方がない。待つ。」そう決断するまで時間がかかりました。毎日自分の心の平和が乱されることに疲れて、おろおろするのも馬鹿らしいとようやく「待つ」と腹を決めた時にはすっとしました。相変わらず領事館から臨時便の知らせが届いていましたが、もうそれは私を不安にさせるものではなくなりました。この時、相手が自分を不安にさせるのではなく、自分の精神状態がそうさせているということに改めて気付かされました。

そしてこのアディショナルタイムは、私の稚拙なスペイン語を少しだけ成長させてくれる時間でもありました。これまではほぼ一日中ひとりでスペイン語の勉強をしていましたが、外出禁止になった友人たちが時間を持て余したのでいつも以上に彼らと話す時間が増えたのです。言葉は結局のところコミュニケーションツールですから、ひとりで机に向かっていても仕方がないのです。払うべき注意は彼らに伝わる様に文法のルールを守ること、それから分からない言葉は聞き返すこと。続けていくうちにだんだん自然と言葉が身について行きました。予定通りに帰国していたら全くスペイン語が話せないままで一体何をしていたのかと言われるところでしたけれど、少しはスペイン語が話せる様になったことで胸を張って帰れるなと思います。

そして九月。やっと通常便がフライトすることになり明日私は帰国します。こちらはまだcuarentenaが続いていて大勢で集会することを禁止されていますけれど、表で少人数で会うことが許可されたので少しずつ友人やお世話になった人にお別れを言うために会いに行きました。娘の様に可愛がってくれた魚屋のおじいさんも強く私を抱きしめて「良い旅を。いつか戻ってくるんだよ。」と言ってくれました。家族の様に親しくしてくれた人も「日本はこれから秋が来るでしょう。これを着なさいね。」とお土産にポンチョをくれました。

三月から五ヶ月以上も続くcuarentenaのために生活が苦しい状況であるにも関わらず、私を思い遣って施してくれたことに感激しました。日本で生き、大人になっていく過程で忘れてきたもの、置いてきたもの、意図的にそうしてきたところもあったり、そうでなかったり。そういったものをもう一度見つめ直す時間がアルゼンチンに来てからたくさんありました。外から何かを得たと言うよりも、アルゼンチンで出会った人や出来事に触れて自分の内面にあったものを整理して磨いてきた一年と三ヶ月だったと思います。この様な体験を経ましたけれど自分はまだ何も彼らに返せていません。次にアルゼンチンに帰ってきたらみんなにお返しがしたい。新しい目標をも得て今私は少しだけ前を向いて進んでいる様な気がします。

いとさん

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