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当たり前の中で見つけるもの

こんにちは、いとさんです。

しばしばアルゼンチンでは、日本で暮らしていた時のようにスムーズに物事が進まないことがあります。電車に乗るにもバスに乗るにも、日本と同じようにICカードをかざして料金を払いますのでシステムは近代的です。高速道路を利用する時も車に搭載したチップが車体を認識して後日一括で料金の請求がきます。ETCと同じです。同じように近代技術が生活の中にあるはずなのに、全く不便だなぁと感じるが多いのです。

日本を知るアルゼンチンの友人は、「日本の店員はチップで稼ぐわけでもないのに、親切だしいつも笑顔だね。」と言いました。確かに日本人の仕事に対する生真面目さや責任感、技術への探究心は目を見張るものがあり、対価を得るためだけに仕事をしているように思えないところもあります。人を助ける為に作られた機械ですけれど、機械が持ち合わせていない部分を人が補いながら存在しているのが日本という国の特徴の一つのような気がします。

スーパーのレジ係を例にとっても、日本のパートさん達の働きぶりは素晴らしいと思います。無駄の無い一定の動きで商品をレジに通し、その速度を損なわずに次々と商品を会計済みのカゴへ放り込んでいきますけれど、重たいものを下へ、壊れやすいものや繊細なものは上へとまるでテトリスのように配置していきます。

アルゼンチンのスーパーを訪れますと、全身で働くことを拒否しているような女性達がおしゃべりをしながら仕事をしています。目の前にお客さんがいてもお構いなしです。カゴから商品をレジ台へ移すのはお客さんの仕事です。カゴが空っぽになったら、それをチェックされます。ジロっと覗き込んで空だと分かったら、彼女達は「はいはい、通って。」といったような態度をします。

そしてさらにレジを通してもらった商品をそそくさと袋へ詰めなければなりません。彼女達が全ての商品をレジに通し終えたなら、次はお金を払わなければいけないのでモタモタしていられません。

そして全ての工程を終わらせた後、お客さんは「gracias(ありがとう)」と言って去ります。

日本のレジパートさんの素晴らしい仕事ぶりが物差しだった私にとって、この光景は衝撃でした。アルゼンチンでは機械が人を補っているようですが、困ったことにとても時間がかかります。マイペースなレジ係の仕事ぶりとは別に、尋常でないほど大量に買い込んでいく消費者が多いと言うことも要因だと思います。アルゼンチン人達も大型スーパーで買い物すると時間がかかるので嫌がって、日々の小さな買い物はchino(中国人が営む小売店)や目的別に八百屋や肉屋を訪れます。

話は逸れますけれど、大型スーパーでは一度に6〜10本もコーラを買う人の姿を見ます。最初はパーティーでもするのかしらん。と思っていましたが、しばしば見かけるので恐らく私が想像するより遥かに速いスピードでコーラを消費しているのでしょう。それもそのはず。アルゼンチン人の大好きなお酒の一つ、fernetはコーラ割りが一般です。イタリアのお酒で食前酒として飲まれるという風に紹介されているのを見かけたことがありますが、バーへ行きましてもメニューには必ずありますし、ハンバーガーやピザと一緒に飲んでいる人を見かけることもあります。

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このfernet(フェルネッと発音します)はものすごく苦くて薬酒のような味がします。イタリア人はそのまま飲むと聞きましたけれど、とても飲めたものではないです。それをコーラで割りますと、苦みがコーラの甘みに緩和されて不思議な味がするのです。この飲み方はアルゼンチン第二の都市、コルドバで誕生したそうです。私は好んで飲みますが、正直に言うとこれは好き嫌いが分かれると思います。万人受けする味ではありません。

お酒を他の飲み物で割るということは、日本でも馴染みのあることです。まだお酒の味も分からない頃、安い焼酎を野菜ジュースで割って飲んでいたことをふと思い出しました。カクテルという程お洒落なものではないのですけれど、野菜ジュースの色が様々ですので色鮮やかではありました。いつぞやにお酒の場で出会ったカナダ人の観光客の方が、カナダの人が使う言葉で割り物のことをこういう風に言いますよと教えてくれましたけれど、きっちり忘れてしまいました。思い出したくて色々調べてみたのですけれどピンと来ないのです。これはもう記憶の彼方に葬られてしまったかもしれません。

少し寄り道をするつもりが大きく逸れてしまいました。私を育んでくれた環境は、そこに存在した誰かによって実現していました。そして知らない間にそれが当たり前になっていました。そんな自分の当たり前から大きくかけ離れた世界で目にするもの口にするものは、まるで世紀の大発見をしたかのような感覚を私に覚えさせます。まだ見ぬファラオの墓を見つけた考古学者の人の気持ちが分かるようです。そうです、いつも大袈裟なんです。けれども、一方でそれらは今まで自分の目の前にあった当たり前に気付かせてくれるものでもあります。アルゼンチンでそれに気付くたび、私はますます日本という小さな国が愛おしく感じるのです。

いとさん

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