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雲と、木の葉と、波と、私と
揺れる、揺れる、
ゆらゆら揺れる。
私って、こんなにも心がゆらゆらする人間だったのか。
社会人になってから、私の心はあっちへ行ったり、こっちへ来たりと大忙しです。
プライベートのこと。
キャリアのこと。
人間関係のこと。
昨日までは
「よし、こうしよう!」
と思っていても、今日になると
「やっぱりこっちかなぁ…」
なんて思うのは、日常茶飯事です。
もっと、どしっとした人間になりたいなぁと思う。
…でも、最近ふと、
「別に、ゆらゆらしててもいいのでは?」
と思うようにもなりました。
確かに、一度決めたことを守り続けるとか、こうだと思った考えを曲げないとか、どしっとかまえているとかって、すごくかっこよく見えます。
そんなふうになりたいなと思うし、そんな人に憧れを抱く自分もいる。
ゆらゆらした気持ちでいる自分に対して、
「なんで私ってこんななんだろう…」
と感じる瞬間も多々あります。
先日、空をぼーっと眺めていて、唐突に
「人間も自然の一部なんだよなぁ」
と感じました。
形式的で、無機質で、直線的な人工物を数多く生み出してきた人間ですが、その人間自体は、あくまでも自然の一部。
高いところから見れば、
空を流れる雲も、
風に凪ぐ木の葉も、
打ち寄せる波も、
ゆらゆら揺れる人間も、
みーんな同じ、自然の一部。
どれほど焦がれても手の届かない雲でさえ、
どれほど願っても得られない素朴な優しさをもつ木の葉でさえ、
どれほど抗っても適わない波でさえ、
場所を変え、姿を変え、常に動き、揺らぎ続けている。
これほど雄大な自然でさえ絶えず揺らいでいるのだから、ちっぽけな人間が揺らぐのはあたりまえ。
むしろ同じ場所、同じ姿であり続けることのほうが難しいのではないか。
こう考えると、ゆらゆらしている自分の存在も、素直に受け入れられる気がします。
考えて、悩んで、立ち止まって、振り返って、ちょっと戻っては進んで、また立ち止まって。
あっちに行って、そっちに行って、引き返してはまたあっちへ行く。
ゆらゆらゆら、ふらふらふら。
私なりのあり方を受け入れて、自然の一部として生きたい。
空を見上げて、
「これからもゆらゆらしたまま進んでいくんだろうなぁ」
と思う、ある日の昼下がりでした。
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