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仕事ができるオンナ気取りの単なるブス

ハイパフォーマー K子さんについて

私の古くからの友人であるK子さんは、某外資系企業で教育部門に在籍しています。

その会社では、教育担当者には「社員に対する一定の評価権限」が与えられています。
評価される社員の心情的なこともあって教育担当者は「わかりやすく、いろいろな意味で優秀な人材」が求められます。
外資系では一般的なのでしょうか。

K子さんはもともとオペレーターとして活躍していましたが、その実力やOJTの成果が高く評価され、何度も優秀社員として表彰を受けてきた逸材。
社内での知名度も高く、オペレーター部門の教育担当者として白羽の矢が立ったのは必然でしょう。

大きな会社なので、日本国内だけでも幾つかの拠点があります。
K子さんがいる地方都市では、オペレーター部門の教育担当者はK子さんただ一人。一年半前、前任者はK子さんに仕事を引き継ぐとすぐに退職してしまったため、近くに相談できる人はいません。

それでも、もともと人と群れることが大嫌いなK子さんは、そんな環境にもすぐに適応していきました。

インストラクターとしての仕事の開始時期は、ちょうどコロナ問題で企業が業務環境を変えざるを得なかったタイミングと重なってしまいました。
K子さんの大変さは想像以上だったと思いますが
「毎日、てんやわんや!」
と想定外な状況も明るく笑い飛ばせるほどに、K子さんはしなやかで高い能力の持ち主なのでした。


K子さんの憂鬱

無事に新しい業務をスタートできたように思えるK子さんでしたが、しばらくして、悩みの種が生まれてしまいます。

それは、東京にいる同じポジションのAさんの存在。

K子さんはその地方都市で唯一の部門教育担当ですが、東京はオペレーターの数も桁違いなので、教育担当者もかなりの数が在籍しています。
Aさんは中でも長くインストラクターをしている、いわば同部門インストラクターの大先輩なわけです。

そのAさんが、K子さんにとっては、誠に面倒で厄介で鬱陶しい存在となってしまいました。

理由は、一言でいうと「モラハラ」

Aさんは、いわゆるワーカーホリック。
その仕事量を基準にK子さんの仕事を干渉してきます。

Aさんは、病的なほどに神経質で細かいところを気にする人。
その細かさをK子さんにも求めてきます。

Aさんは笑えるほどに臆病でなんでも万全を期したい人。
その準備をK子さんにも強要してきます。

Aさんはとにかく指摘屋で話も長い人。
その指摘欲求が日々K子さんにも向けられています。

これが、K子さんの日常だそうです。

いや、これは、鬱陶しいですね…


衝撃、Aさんをわかってしまう自分

話を聴いている間、私はK子さんに同情し、モラハラ全開のAさんを疎ましく思っていました。

「上司は何やってんの?」
「そんな人に合わせなきゃいけないの?単なる先輩なら無視したら?」
「その働き方って、時代に合わないよね」

そんなことを言っていたと思います。

が、なんとなくAさんの行為の「目的」を考えたとき、ふっと我に返る感覚に襲われました。

Aさんが自分のやり方や基準を強制してくる目的は、
おそらく、自分が安心できる状況でいること。

もしかしたら
私はちゃんとやっている。
私は間違えていない。
自分は正当である。
と、確認したいのかもしれません。

つまり
自分のなかにある【恐れ】に支配された言動です。

●●が起こるかもしれない。
●●と言われるかもしれない。
●●という結果になるかもしれない。

危ないよ。
怖いよ。

そんな無自覚の衝動が自分を動かしているし、相手にも従わせたい。


あ…
これ、仕事における私そのものだ…

そうAさんの中にある恐れを、私も同じように持っていました。
(まだ現在形かも)

恐れを回避したりなだめたりしたくて、少なからず周囲に強要したり同調を求めていたのでした。


実際のところどうなの?K子さんの疑問

K子さんの日常にお話を戻します。

しばらくはAさんに合わせていたK子さんですが、
そのうち
「Aさんがなぜこのポジションにいるのか」
疑問を感じるようになります。

先に記したとおり、二人のポジションはこの会社では選ばれし存在なはず。

Aさんが長年インストラクターを続けられる理由がよくわりません。
東京と地方都市で離れて仕事しているため、日常的なAさんの様子さえわかりません。

もしかして自分だけが本当のAさんを理解できていないのではないか?
さすがにAさんのことを知りたくなったK子さん。

ふだん愚痴や噂話などは一切しないK子さですが、東京にいる同僚に、LINEでさりげなくAさんのことを聞いてみました。

「最近Aさんと一緒に仕事をするようになったので、どんな人か知っておきたいな、と思って…どんな人?」

同僚からは即返信がきました。


仕事ができるオンナ気取りの単なるブス

仕事ができるオンナ、気取りの、単なる、ブス!!!

ひょぉぉお…
こんな衝撃的な形容ってあるでしょうか???

K子さんからこのお話を聞いたとき、一瞬、無表情なK子さんと発せられた言葉のギャップがおもしろすぎて爆笑しました。

そして、背筋がすぅ…っと寒くなりました。

Aさんが周囲からどう見られているのかだけでなく、シンプルにAさんが嫌われていることがわかりました。
嫌われているって、厳しくてすごくパワフルですよね。
そして、Aさんは嫌われていてもおかしくないよね、って思いました。

私も、周囲にとって同じような存在だったんだろうな…
悲しいけれど、けっこうな臨場感をもってそう思いました。


わたしたちを追い詰めるものの正体

表向きはタイプも言動も違うし、こだわるポイントもまったく違うAさんと私。

でもAさんが抱えているものと、私の中にあったもの(過去形はなくてまだ現在形かも)はまったく同じものだと思っています。

私は〇〇でなくてはならない。
私が〇〇ができなくてはならない。
私は〇〇と思われてなくてはならない。

そうでないと、
私は
認められない
必要とされない
愛されない
から。

だから危ないし、怖い。
なんとかしなきゃいけない!

恐れというものを言葉にすると、こういうことなのかぁって。


人って本気でめんどくさい

純粋無垢に生まれて、
いろいろなことを経験して、
大小たくさんの傷を負って、
そのたびに自分を守る術を見つけて、
武器として振り回しながら、
葛藤とか安心とか自己嫌悪とかを複雑に感じていて、
そんな風に自分をうまく扱いきれない日常の中でも
「まだ見ぬ自分はどこかに隠れているはず」
と自分を探している。

楽しいってちゃあ楽しいし、
しんどいっちゃぁしんどいし、
うらやましいとか妬ましいとか多少はありつつも、
自分以外の人生がいいとか、
具体的にどうなればいいとか、
そういうお話でもなく、
でも、なんか自分を生ききれていない感じ。

って!!!

わたしたちって、
めんどくさぁぁぁい。


だから、余計なものを取っ払っていく

Aさんと私にもし大きな違いがあるとしたら。
私はAさんどころの騒ぎではないほどのことを、大量にやらかしてきたことだと思います。

何かに固執しては失敗をして、
多くの人を傷つけ、
仲間の尊厳を奪い、
物事を複雑にし、
成果を棒に振り、
「自分にはとても会社員なんてできない」
と自覚するほどの状況を何度もなんども経験しました。

実際に会社員としての才能というか能力は、本当にありませんでした。
もう何とかしないと社会の中で生きていけなくなりました。

つまり、できるオンナを気取ることさえできなかった私ですww

だから、10年かけてあがいてきたんだと思います。

2012年に独立してからも
危ない!
怖い!
という恐れはずぅーーーっとあって、やらかし続けてきました。

恐れがあるからリカバリーするための何かを身につけようとする。
でもうまくいかない。
自己嫌悪に陥る。
なんとかしなきゃとまた何かを身につけようとする。

永久にcontinue…(感動的な歌か)

そして、今になってやっと理解できます。

私たちに必要なことは、身につけることでも活かすことでもなく、まず不要なものを徹底して取っ払っていくこと。

なにより重く、重大ない、恐れの根源であるこれ…を。


私は〇〇でなくてはならない。
私が〇〇ができなくてはならない。
私は〇〇と思われてなくてはならない。

そうでないと、
私は
認められない
必要とされない
愛されない
から。


これさえできれば、人はほんとうにどうにでもなる

と、最近は思います。

自分を縛っているもの=恐れの根源をぜんぶ解放したら、自分のよりどころみたいなものをなくなって
「自分でなくなるかもしれない」
って一瞬思います。

でもそんなわけがなくて、結局は笑えるくらいどこまでも私は私だと最近気づきました。

そして、身体や気持ちが軽くなると、ほかの人と一緒に活動していくことが無償に楽しいです。
さらに、自分がほんとうにやりたいこともつかみやすくなる。

だから、自分を縛っていたものを手放すと
「自分が望む人生はつくれるんだろうな。しかも戦わず肩ひじはらず」
という感覚なようです。

大いなる勘違いかもしれませんけど、そう思います。
大いなる勘違いなら、それはそれでいいと思います。


今日も最後までお付き合いいただいちゃって…
ありがとうございました。

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