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「私は必要とされている!」と叫びながら、孤独に陥っていた日々

偶然とれたお気に入り写真です。
なんか幻想的で、カメラテクがあるように勘違いして気に入っていたのに、こうやってみると単にボケた写真でしかないから不思議。


最近、イラついている理由


ちょっと、いや、まあまあイラつきがちです、最近。
理由はね、とっても簡単なんですよ。

自分が軽んじられているのでは?
と思う出来事が続いているから。

でも、これ、本当に軽んじられているのではなくて、何かしらについて相手の基準と自分の基準が衝突しているだけなのです。

たとえば、私自身は「自分を尊重しろよ!」って思っているし、相手も「自分を守りたい!」と思っているだけであって、そこが抵触してしまっているのです。

こんな最近の状態から、けっこう考えられることがたくさんあって、示唆深いです。

軽んじられることや重要とされていない自分に過剰反応して、抵抗していた自分が思い出されるのです。

そして、自分はまだまだ成長中なんだなぁとしみじみ思います。


「忙しい人」という、憧れにも似た呪縛


私はずっと、多くの人から、いろいろな場面で
「お忙しそうですね」
「お忙しいですよね」
って言われてきました。
会社員だったときも、独立してからも。

明らかに
「あなたのほうが忙しいでしょうよ!」
っていう方からも。

これ、何かよくわからなかったんです。
なんで、忙しそうって言われるんだろう?って。
動作が早く、がちゃがちゃしているからかな?
とけっこう真面目に思っていました、ごく最近まで。

でもですね、ここにきてよくわかりました。

私は
「忙しい人、と見られたい」
って思っていたんですよね。

だからそんな振舞いをしていたし、相手にも「そういう感じでいろよ」って意味不明な圧をかけていたんじゃないかなぁと。
そしてみんなオトナだから、付き合ってくれていたんだなぁと。

なぜ、忙しい自分でいたかったか?
その方が価値がある人に見えるから。
自分が必要とされている人だと証明できそうだから。

今みると、過去のFacebookのポストとか結構その欲求が丸出しなものがたっくさんあります。


正真正銘、忙しい人の振舞い


なぜ、かつての虚構の自分に気づいたかというと、幾つかの理由があるんですが、一番はボスが本当に鬼のように忙しい人だから。
そういう人は、忙しぶっていた私とは根柢から言動が違うんだなって、理解しました。

まず、本当に忙しい人は「その中でやるべきことをやる方法」を知っているので、忙しいことはすべてにおける理由にしない。
ただ優先順位だけがあって、一定の優先順位以下のものには「興味を示さない」だけです。

かつての忙しぶりぶり仮面Rodriguezのように
「●月★日の▲時間だったら時間空いてまーす」
「××(自分に都合の良い条件)だったら大丈夫です」
とか、つまらないことは言わない。

さらに「●●していて時間がない」とか無駄にアピらない。
だって本当に忙しい人って、どんどんいろいろなところから声がかかるのでいちいち説明なんてしていられないんですよ。
ただ
「都合がつなかいです」
「不要です」
「できないです」
と、ごめんなさいって伝えるだけ。

文脈がつながってないのに「その日は●●していまして」とかいちいちご報告申し上げていた私は、結局「私はこれだけ重要なことをしている。必要とされている人間です」っていうことが言いたかったんだなぁと理解しました。

さらにこの頃の自分を振り返ってみると、ほんのりと孤独な自分が思い出されます。


時間を売りさばいても、欲しいものは手に入らなかった


とにかく「自分の時間を必要としている人がたくさんいること」が大事だったので、予定を一生懸命に埋めていた感じがします。

もっというと、予定がたくさんある人、と見せかけていました。

特に「仕事で忙しい人」でありたいから、一つでも多く仕事が欲しいって思っていて、他の人のSNSであがってくる近況を気にしてはざわざわしていました。

「私は必要とされている人なんだよ」って言いたいがために、自分の人生の時間を売っている状態だったんですね。
時間だけじゃなく、精神も。

私はそんな虚構じみた心の器が極小のヤツだったので、人と約束するときも、けっこう失礼な態度だったりしました。

相手のペースでスケジュールが決まるのが嫌なので、自分の予定を全面的に主張する。
優先順位があってそれほどでもない予定は最後まで入れたがらないだけでなく、相手を平気で待たせたりする。
後ろの時間を示して、相手と共有できる時間に制限を設ける。

こんなことをしていると、どうなると思います?

誰にも誘われなくなるんですよw
もしくは、本当に忙しい人からすごーく先の日程を打診されるですよw

極一部の「そういう細かいことどうでもいいのよね」的な大らかな人は声かけてくれます。
けど、多くのコミュニティというのか関係性から「呼ばなくてもいい人」として漏れていきます。

本当に忙しい人だから遠慮されて誘われないのではなく、失礼な茶番に付き合うのが面倒になるからです。

私がやっていることって
「あなたより、私のほうが重要な存在です」
って無言で伝えているようなものですから。

そんなヤツと楽しい時間を過ごせるとは思わないですよね。

本当の私は「あなたに来てほしい」って誘われたかったし、やりたいことをやりたいときに好きな人たちと一緒に楽しみたかったのです。
それができればきっとそれでよかったはずなんです。

お金が自由になるという幻想にしがみつく


さらに、お仕事たくさんが人生の成功!って思っていたような頃は、謎にお金も散財しまくっていました。

私の仕事はコストがほどんどかからないので、利益率が高い。
だから普通に過ごしていれば口座には相応の金額が残るはずなんですけど、なんかね、ぜんぜんないんですよ、お金がw
本当に不思議なくらい、お金が残らない。

振り返ってみると、アホみたいにお金を使っているんですよね。

移動はタクシーが基本。
仕事では着れないド派手なスーツだとか、不要な日常服だとかを何着も買う。
使わない美容品だとか小物だとかもやたらほしがる。
デパ地下利用率、外食率が異様に高い。
食通でもないからその辺のカフェとかファミレスでいいのに、一人で2000円とかするレストラン?でお茶とかしてる。

もはや、高コストなだけで何の幸福感もない謎の生き物ですね。

時間を切り売りしたって、自分は必要とされています!って声高らかに叫んだって、自分の自己重要感が生まれるわけじゃない。

だから、お金を自由にたくさん使うことで「私は必要とされているから、自分が望む人生を手に入れた」って思い込んでたんだろうなぁって。

なんかこの頃、特定のコミュニティでは折に触れて
「年収が2倍になった」
「仕事の単価があがった」
とつまらないことを言っていた気がします。

つくづく心が貧しい人だったな、と思います。


まだ大して変わっていない自分、を素直に見ている


こんなこと書いてますけど、大してオトナにはなっていない私です。
冒頭にあるように些細なことに「軽んじられてんのか!?」と息巻いて、過剰に反応しちゃう。
私は重要な人であるはずだ!ってぷりぷりしちゃう。

でも、一つ乗り越えて成長すたことがあるとしたら、ぷりぷりRodriguezしながらも「あー、また精神の貧しい自分が出てきたなぁ。これ、何のメッセージだ?」って同時に考えられるようになったこと。

もう少ししたら、ぷりぷりRodriguezになる前に「何かメッセージ下りてきていますよー」て自分に教えてあげられるようになると思います。

そして
孤独を感じるのは、自分が閉ざして一人で部屋にいるからだよ。
って言ってあげようと思います。
大丈夫だよ、出ておいで。
って言ってあげるつもりです。


ということで。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました♬





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