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愛とか恋とか

愛とか恋とかそういう、今日はなんだかそんな深い話をしたい気分。


僕のイメージだと"愛"と"恋"は完全に別物。


恋は盲目とも言うように、恋してる人ってその人しか見えてないし、それ以外に興味がいかないくらい夢中になってることもある。

でも、ちょっとした欠点で失望したり、急激に熱が覚める。そして、なんで好きだったんだろってなる。

なんか一時的な気の迷いってことに後からなる。

頭の中をピンク色のうすいモヤがずっと包み込んでて、うまく脳が働いてないような感覚。


恋に対して悪いイメージを言いたいわけじゃなくて、なんかそんな気がするし、終わった後はモヤが晴れたような感覚だと思う。


愛って、ずっと頭を支配してるわけじゃなくて、頭の片隅のどっかにすごく濃いけど普段は出てこない塊があって、ふとした時に猛烈に溢れ出してくる感じ。

それに家族愛、友愛みたいに異性とか他人じゃなくても愛は成立する。

家族だと一番わかりやすいかもしれない。どんなに嫌ってても嫌でもなんだかんだ好きとか、いつも好きでも嫌いでもないけど自然に優しくしようとする時がある。買い物の時に「あ、あの人あれ好きやから買ってこ」みたいなそういう軽い優しさ。自然に出てくるもの。

なんかそんなのが愛に近い気がする。


愛の漢字は「受ける」の真ん中に心が入ってる。受け入れる、受け入れられる、受け止めてもらえる。自分の心の中に相手が自然と入り込んでる。そんな感じがする。


愛は真心、恋は下心なんて言われるけど、実際のところ恋は異性が惹かれ合うもので必ず欲望が入ってる。喜んでほしい、好きになってほしい、振り向いてほしい。そんなふうに思わないで恋をしてる人はいないだろう。でも、その欲は当たり前のもので普通のこと。あって当然。


恋が愛になる瞬間はいつか。

親同士喧嘩ばかりで、お互いに好きになって結婚したと思えない。でも、いざ喧嘩の後、お互い一人になると、

あの人は口は悪いけど本当はやさしい

とか

口には出さなくても、買い物に出かけると当たり前のように相手の好きなものを買ったり、欲しかったものを手に取ったりする。

それは別にフォローしようとか償いとか、そういうのではなくて自然に取る行動として起こる。

それは頭とか心の隅に濃い想いが詰まってるからだと思う。"強い"ではなく"濃い"想い。濃厚で深い思いやりのような相手への思い。怒りが冷めた時、じわっと溢れ出すもの。

怒りや失望とともに消えるのが恋。

怒りや失望の後でも溢れ出すのが愛。

そういうことにしたい。

だからよく言われる倦怠期というやつは恋と愛の狭間にあるんじゃないかと思う。いわば、試練。そこで終わるのか。覚めるのか。そこから愛に変わるのか。そんな試練。

本当に好きなのかわからない。好きってなんだろ。そう思い始める。

恋は相手の好きなところを見て始まり、相手の嫌なところを見て終わりがち。相手の嫌なところばかり見えてきて、友人に愚痴を言って、じゃあ別れたら?と言われて悩む。喧嘩してしんどい時期が続く。でも"仲良くしたい"。

喧嘩するほど仲がいいと言われる。そんなことはない。言い合って傷つけあって仲がいいはずがない。

問題は喧嘩のあと。心に相手を想う気持ちが残っているか。謝ったり仲直りしたり何かがきっかけでお互いに笑いあったり。漫画やドラマのようにはいかなくても、相手を想う気持ちがあれば仲の良い2人に戻れる。そういうことだと思う。だから心に問いかける? 

いやその必要はない。本当に気持ちがあれば問いかけなくても行動に移る。現れる。

その自分の気持ちに気づけるかどうか。あ、こんなに当たり前のように私/俺の中にあの人はいるんだ、と思えるかどうか。

そういう人に私はなりたい(宮澤賢治

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