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久々に所用で三軒茶屋に立ち寄ったので、昔住んでいた時に大好きだったカレー屋「とんがらし」を覗いてみた。どうしてこういう表現になるかというと、僕が通い始めたのが30くらいで、その頃すでにオーナーの石川喜代子さんは60代だったと思う。ここ2年で数回立ち寄ってみたのだが、何らかの理由で店はいつも閉まっていた。コロナも起きたし、ひょっとして、、、と恐る恐る訪問したからだ。店は営業中だった。喜代子さんがキッチン越しに見えてホッとする。店も繁盛していた。しかし店外から手を振っても、呼びかけても無反応。きっと耳がキツいんだろうな。

 

空いた席に腰を下ろし、僕から声を掛けてみたが反応がにぶい。少しイラっとした表情も垣間見えた。混んでいて忙しかったのもあろうが、やはり耳が聞こえないストレスもあるようだ。キッチン内での動きもおそろしくスローだ。一呼吸置いて「お久しぶりです!」と話しかけてみるがキョトンとしたお顔。「ごめんなさいね。もう記憶がね、、、」と申し訳なさそう。店内は何も変わっていないが、メニューが2品のみになっている。確認してみると、ワンオペで仕方なくそうしたようだ。昔から定番だった豚バラカレーとホウレン草チキンだ。僕好みのシャビシャビ系で、サフランライスに掛けて掻き込むように食す。同席していたお客さんも喜代子さんの味と人柄に惹かれて通っている人々という印象だ。

 

喜代子さんを眺めながらつくづく思った。店は彼女にとって大事な「居場所」なのだ。ひょっとしたら1人暮らしなのだろうか、、、そしてお客さんの健康を気遣いながら心を込めて仕込み、ハートフルカレーを提供し続ける事が大事なミッションなのだ。きっと体力的には相当大変だろうと思う。聞いてみると、御歳80代で、さすがに店の方は休み休み営業しているようだ。くれぐれもキッチン内で転倒したり火傷したりしないで欲しい。食事中たまたまひ孫さんが七五三の晴れ着姿を見せに来たのだが、もちろん愛想は崩していたが、目の前のお客さん優先。「写真送っといてねー、祝儀も用意しているわよー」とスマイルしただけで、キッチンからは出なかった。

 

僕も喜代子さんのような美しい老人になりたい。彼女のつくるカレーのような中から滲み出るような優しさは、そういう生き方をしてきた人でなければ出せない。いつまでも誰かの役に立とうという気持ちをベースに、自分の得意の料理とホスピタリティを生かして現場に立ち続けている。これは社起大の“SECメソッド”がシニアの方々にも通用する好事例であると同時に、「人生100年時代の真の幸福とは何か?」をあらためて考えさせられた。

 

デザートのオーギョーチーをいただきながら、大昔に読んだヘミングウェイの「老人と海」を思い出した。今日の物語は「喜代子さんとカレー店」だ。

 

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