過失と責任
自己啓発書って、その名の通り自己を啓発するものであって、ハウツーではないよなーと思う今日この頃です。
何か問いに対する正解が記されていて、書いてある通りにその通りのことを実践したら成功するとかいうわけではありません。当たり前のことですが。。。
ということを前提に。
再読ですが、最近、たまたま読んでいたこちらの自己啓発書。
中でも特に好きな主張は、「過失と責任は別物である」というもの。
たとえば、ある日目覚めると、玄関先に生まれたばかりの赤ん坊がいたとする。赤ん坊がそこにいることは自分の過失ではないけれど、目の前の赤ん坊に対しては責任が生じる。(中略)どんな選択肢(育てる、警察に届ける、捨てる、無視する)を選ぼうと、自分の選んだ結果からあれこれと問題が発生するだろう。その問題についても、もちろん責任をとらなくてはならない。
というたとえ話が出てきます。
つまり責任というのは他に対してではなく自己に対して負うものであるということ。自分の行動を選ぶ責任がまずあって、何を気にして何を気にしないか取捨選択する必要があるということ。
皮肉にも、この個所を再読したときは、祖父の通夜の前日でした。
いつまでも泣きじゃくっていてもいいし、どこかで割り切って立ち上がってもいい。どっちでもいいけど、どっちかにする責任が自分にはあるし、選んだ行動に対しては責任を持つべきだということ。
自分自身については、いつまでも泣きじゃくっているという選択は、選択肢の中にないと考えるので、通常運転を再開しましたが、通常運転をする責任としては空元気で偽っているようじゃだめだよなというのもあって。
それで言うと、まだまだ落ち込んでますが、落ち込んでいるなりに活動進めていますっていう感じです。
またこの本に出てくるピカソのエピソードもすごく好き。
晩年のピカソが喫茶店でコーヒーを待っている間、紙ナプキンに落書きしているのを近くの女性が偶然目撃したのだとか。それがピカソだとわかったので絵を売ってくれと頼んだら2万ドル(約220万円)と言われたので、2分やそこらで書いた絵の値段じゃないだろうぼったくりだろうと文句を言ったら、「これを描くのに60年以上かかった」と答えが返ってきたというお話。
祖父の死に対しても、彼の死を決定的なものにするのに要した時間はせいぜい1時間やそこらだったのでしょうが、死ぬまでに80年かかったという解釈もできるし、今は後者の解釈が好きだったりします。
そんなことを考えながら、ピリカさんの企画に参加して書いた文章があるので、もし興味のある方は覗いてみてください。
おまけ
自己啓発というと最近イチオシなのがこれ
クリエイトに携わる人は、それが趣味であれ仕事であれ、あるいはこの本の考え方に賛成であれ反対であれ、情報としてインストールしておくとよいと思います。
ハウツーじゃないよ、ってことだけ注意していただければ、役に立つ場面が多いと思います。
みなさまの支えのおかげで今日を生きております。いつもありがとうございます。