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フィッシャールール将棋(AbemaTVトーナメント)の魅力

 将棋は筋書きのないドラマである。つまり、将棋はスポーツである。長時間の対局では、脳に多くの汗をかき、その分だけ大量の水分補給が必要になる。持ち時間が各4、5時間の将棋では、人によっては1、2リットルのお茶や水を飲むようである。


「フィッシャールールのスリル」

 スポーツ観戦は、ハラハラドキドキ手に汗握りリアルタイムで観るに限る。しかし、そこで高い壁となるのが「時間」だ。各5時間だとすると持ち時間を全部消費すると考えた場合、1つの対局に10時間かかることになる。それに昼食休憩等も入るから、実際にはもっと長くなる。(更に千日手を挟んでもっと長くなることも)いくらスポーツはリアルタイムでと言ってもそんな長丁場をフルタイムで観戦し切ることは、すべての人にできることではない。4年に1度の祭典なら無理もするがそれが普段の勝負ならつき合いきれないと言う人もいるだろう。

 最近、脚光をあびているのがフィッシャールールだ。放映中のAbemaTVトーナメントでは、持ち時間各5分(1手指す毎に5秒が加算される)というもの。(因みに今年第3回はなんと団体戦で開催)これと似た設定としては、NHKトーナメントや朝日杯などがあるが、こちらはより勝負が早くスリリングである。ルールの性質上、対局時計は対局者自らが押すことになる。そのため時間の管理はすべて自己責任となる。このフィッシャールールのスピーディーさならば、野球やサッカーと同じように(場合によってはそれ以上の気軽さで)観戦し切ることも楽なのではないだろうか。この何が起こるかわからない極限の勝負は、観ていて大変面白い。


「持ち時間は増えることがある」

 フィッシャールールの特徴としては、持ち時間が増えることがあるという点だ。通常の持ち時間は、1時間でも9時間でも始まったらあとは減っていく一方だ。早く指したからと言って、持ち時間が復活するようなことはない。(そんなことになったら勝負はなかなか終わらないだろう)だが、フィッシャールールはちゃんと終わる。しかも、いい感じで。増えたとしても「5秒」という短さのためだろうか。


「時間が切れることはない」(5秒以内で指し続ける限り)

 必ず時間内に終わると言えば、「切れ負け」というルールもある。これは逆に説明すれば、時間の増えないフィッシャールールと言うことができる。確かに時間内に終わらせるには、確実なルールだ。しかし、その確実性が将棋の魅力を弱めているとも言える。「5分切れ負け」で勝負すれば、必ず10分で決着がつく。(ついてしまう)フィッシャー同様にスリリングではあるものの、「この先どうなるんだ?」というサスペンスは薄い。「将棋」と「時間」が同等の位置で勝負が行われるために、最後は形勢が必敗であっても、相手の時間が切れれば勝ててしまう。自玉が詰み筋に入っている時でも、王手の途中で時間が切れれば、勝負は勝ちなのだ。「将棋」ではなく「時間」で決着するということも何割かは起きてしまうので、勝負としては面白くても、最後まで純粋に将棋を楽しめないという不満も残る。

 フィッシャールールで時間勝ちしようとしても、時間だけでは勝ち切ることは容易ではない。5秒、10秒で最善手を指し続けることは困難だが、形勢がわかりやすく大差になってしまえば、悪手を指さずに逃げ切ることは十分に可能だ。フィッシャールールは超早指しの設定でも、将棋の内容がかなり大事なのである。
 短時間の勝負で内容の濃い将棋を観られるところは、フィッシャーの大きな魅力と言えるだろう。


「将棋の強さとは」 ~数値と言葉

 将棋の強さには、第一感や形勢判断の正確さ、読みの速さや深さというものが挙げられる。それらの総合力で強さを競う場合、ある程度の持ち時間は必要だ。
 近年、AIソフトの実力は、人間を凌駕するほどになった。
 ある程度のレベルまでくると生身の人間とは処理能力が違いすぎるので、そうなることはかなり以前から予想はされていた。
 面白いのはソフトは形勢を数値によって評価することだ。それまでの人間の形勢判断と言えば、優勢、勝勢、やや優勢、やや指しやすい、形勢互角、ほぼ互角、これからの将棋、など……。曖昧な表現しかなかった。

 今ではプロの先生たちも、信頼の置けるAI評価値を無視して形勢判断することは難しくなった。
 数字というのは優劣を知る上でははっきりしていてわかりやすい。しかし、どうしてそうなのかということを知るには、「これこれこうで、だからこうなんだ」という言葉があった方がいい。
 AIソフトは同じ条件で戦えば、当然ながら人間よりも強い。しかし、その「強さ」をソフト自身は言葉によって表現することは、まだ苦手なようにもみえる。
 現段階では、私は人間の先生に将棋を教えてほしいと思う。


「新しい将棋の強さ」

 AIソフトの進化によって将棋というゲームが解明されたわけではない。むしろ未知の領域が開拓されていると言ってもいい。将棋は新しい幸福の時代に入った。
 現在は観る将にとっても幸せな時代だ。かつては棋譜の一つ、局面の一つを知ることも大変だった。今では多くの対局がネットでライブ配信され、棋士の横顔をみたり、昼食のメニューに関心を寄せたりしながら、将棋を楽しむことができる。おまけにプロの先生たちが、一日かけて解説までしてくれるのである。
 対局の形も時代の流れによって変わって行くものかもしれない。和室での長時間の対局/正座は、観ている方も時々膝が痛くなるようである。

 2日制のタイトル戦では対局が日を跨ぐ。その時の一手を公平にするため、紙に手を書いて封筒に入れて保管する。「封じ手」である。次の一手は果たして……。しかし、今ではAIソフトによってほとんどの有力手が候補手として数値付きで見えてしまう。それを(厳格なルールによって)知り得ないのは、対局者の当人だけと思われる。「封じ手のロマン」は昔に比べて希薄になっているのではないだろうか。
 持ち時間が4時間だろうが9時間だろうが、結局のところ生身の人間では、読み切ることはできない。しかし、答えのない問いに正面から向き合う人間の姿は崇高に感じられる。「地球代表」と言ったらそれは少し大げさだろうか。悩む時、迷える時、失敗、後悔、決断、勇気、逆転……。色々な要素を含めて将棋/人間ドラマなのだと思う。

『AbemaTVトーナメント』は、超早指しの非公式戦である。
 短い時間では通常と違って深い読みを入れることはできない。
 だが、瞬時に研ぎ澄まされた直感を発揮し、気合いや反射神経で指して行くことも、「将棋の強さ」ではないか。
 自ら時計を押すという動作もあり、運動能力の高い若者の方が有利と言うなら、どんどん新しい猛者が出てくればいい。(子供が出てきても面白いし、逆にベテランの逆襲みたいなのも観てみたい)
 長時間かけて戦う順位戦もいいが、短い時間に感動と興奮を詰め込んだ対局/棋戦がもっと出てきて欲しい。
 将棋世界を、名人を頂点としたピラミッドの中にだけ留めておくのはもったいない。

「このルールなら名人にだって負けない」
 そんな未知の指し手が新しく生まれる棋戦の中に現れるのも悪くないだろう。






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