壁と扉

壁を見て
世界を知った
退屈と
沈黙は
縫いかけのセーター

折句「風立ちぬ」短歌


 古い仕事が尽きて新しい仕事が与えられた。汚れた壁を濡れたタオルで拭き取ると、すぐにタオルは真っ黒になった。動いただけの結果が目に見えて反映される仕事らしい仕事だ。手の中にある汚れたタオルは手にしたばかりの達成感に他ならない。タオルを洗い絞り再び壁に向かう。同じ作業を繰り返す内に、タオルにつく汚れは徐々に目立たなくなっていった。与えられた壁の隅から隅まで手の届く限りの場所を、タオルは何度も行き来した。一通り十分な作業は行われた。どこを回ってもタオルはほとんど白いままだった。それでも仕事は終わらない。成果によってすぐに終わる種類の仕事ではなかった。「その時」が来るまで勝手に終わることは許されない。

 もう一度原点に返る。どこかにまだ見落としている汚れがある。手を触れていない場所がある。あるいは、もっと力を込めればもっともっと落とせる汚れが残されている。終わった壁を前にして、まだ終わっていないと強く言い聞かせた。気を入れてタオルを走らせてみるが、最初のような劇的な成果はどこからも返ってこない。それでも少しずつ落ちているのかもしれない。自分が気づかないほどの何かが落ち続けている。そうして目に見えない成果を出し続けているのだ。
 それにしてもこれはいったい何だ。突然、自分のいる場所に疑問が湧いてくる。この壁は何なのだ。

(この壁は誰も見ていない!)

 誰からも見られない壁を美しくすることに、いったい何の意味があるというのか。ここに来て急に絶望的な壁にぶち当たった。それでも休みなく手が動き続けているのは単なる惰性なのだろうか。ここはどこなのか……。「その時」はいつになったら訪れるのか。「その時」とはそもそもあるのだろうか。自分は……。壁は何も返さない。けれども、手は壁をすり抜けて、その向こう側で言葉を探し始めていた。必要なのは、答えではなく、言葉なのかもしれなかった。

 水を吸ったタオルよりも遙かに冷たい言葉の切れ端に触れる。触れては離れ、手に入れたと思えば滑り落ちた。壁に向かうタオルと共にある手とは別の、もう一つの手。もっと強い飢えを持った手が、折句の扉の向こう側で、次に触れるべき言葉の尾鰭を求めて泳いでいた。かきつばた。
 歌は生まれそうで生まれない。生まれかけては逃げていく。あと五音、あと七音というところまできて、跡形もなく消えていった。時の感覚がねじ曲がって、狂い始めた。もはや「その時」というのは、別のところを指しているようだった。誰も見ていない壁は自身を試す壁かもしれない。それは見つめ続ける内に扉にもなる。


感情の
起伏にのって
培った
歯がゆさは
旅立ちの呼び水

折句「かきつばた」短歌


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#エッセイ #惰性 #多様性 #扉

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