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ウチらは令和で、何ができんだろう。


平成が終わったことなんか、本当はもうとっくに認めていた。認めていた、なんて言ったらおこがましいか。だけど、頭では分かっていても、それでもウチらが生きていたのは紛れもなく平成の時代で、「若いね」と言われていたのはいつだってウチらだったし、何やっても楽しかった時代にまだいると思っていたら、いつの間にか活躍するアーティストもスポーツ選手もアイドルも、みんな確実に、自分より年下になってた。

20代も、残り僅かだと気付く。

そのくせ仕事で関わる相手からしてみたらまだまだ若僧に見えるだろうし、キャリアの割には顔や態度に貫禄もないし、でも貫禄のある風貌になりたいと思えるほど三十路に完全に足を踏み入れる勇気はなくて、まだまだ若くてキラキラしていたい気持ちと、でももっと若くてキラキラしている子達より上の世代になったのだという現実が、その狭間で気持ちだけを宙ぶらりんにさせるには十分だった。

ウチらは令和で、何ができんだろう。




私たちは、それぞれに夜を持っている。
それぞれの夜を、生きたり生きなかったりする。

いつまでも続けと願うほどにクソ楽しい夜を過ごした日の情景や、日付けまたいで家路について明日も朝から出勤なのにベッドに辿り着く前にその辺で寝てしまう夜や、なんでかやる気が出て急に普段以上に掃除し始めちゃう深夜や、そんな、いろんな夜を超えて、今日という日までやってきた。

涙を流したり、誰かと電話をしたり、1人笑ったり、悩んだり、悔やんだり、好きな人に連絡してみようかと葛藤したり、おんなじ月を眺めていたり。


「いつ帰ってくる?」

「ちゃんと会いたいわ」

「はやく帰っておいで」

定期的に地元に引き戻してくれていたその声の相手は、結局、結婚した後も、何も変わらなかった。

「結婚したらさー、うちらもだんだん会わなくなって、いつか『また会おうねごっこ』に足突っ込むようになんのかなぁ。」

「あー。誕生日にだけ"おめでとう"送りあうだけの関係な。」

「そうそれー。誕生日通知で思い出したかのように3往復だけするやつ。」

「誕生日おめでとー!久しぶり、元気ー?からの、また近いうち会おう〜!でスタンプフィニッシュ、そっから来年の誕生日まで会わないやつな?笑」

「それ。よく分かってる笑」

上京する前、草原の上に寝転んで星を見上げながらこんな会話をしていたノブは、私が東京で過ごす間に結婚して子どもが生まれた。

「東京で、俺らより仲良い友達とかできたらなんか嫌だよな」そんなふうに私を東京へ送り出してくれた同期達。ノブもその中の1人だった。
地元戻れば「東京で友達できた?」って聞いてきて、「まだできない」って答えるとみんなちょっと嬉しそうだった。その後で「1人だけできた」って言ったら、それもそれでみんな喜んでくれたっけ。


ノブとは新卒で勤めた職場の同期時代、同じアパートの同じ階の、端と端同士に住んでいた。仕事がかぶれば毎晩のようにハッピーアワー390円のハイボールと、キャベツおかわり自由の安い居酒屋と、どんなお酒でも作ってくれる真っ暗なバーと、朝5時までやってるラーメン屋をローテーションして夜を超えた。

どの店も、私たちの20代前半の胃袋と心を満たしてくれるにはお釣りが出る程十分だった。

安い居酒屋の無料キャベツはおそらく10玉分はたいらげたけど、いつだって「はいまた〜」と、帰る時に駄菓子をくれる店だった。

職場近くの焼き鳥屋の店主は、「今度同期で誕生日会するんだ〜」って言えば「おれの出番か」とか言ってケーキ焼いてくれるようなおっちゃんだった。

手探りじゃないとわからないくらい真っ暗な入り口に「そこまで暗くしなくたっていいじゃんか」「お化け屋敷かよ」なんて好きなこと言いながらも足繁く通ったバーの店主は「良い雰囲気のバーがお前らのせいで台無しだよ!」とブツブツ言いながら、彼氏と喧嘩した日も、インシデントレポートを提出した日も、症例発表の後の打ち上げも、毎回、本当に美味しいお酒を作って静かに話を聞いてくれていた。

時にはボロボロ涙を流しながら「幸せになるお酒ちょーだい」なんて無茶なオーダーしても、「はいはい。」ってほんとに美味しいお酒をつくってくれるから、帰る頃にはちゃんと幸せだった。

たまたまノブと2人で行くことになった出張。事前課題に追い込まれて、バーでレポート用紙広げて頭付き合わせて取り組む私たちに「お前ら頭おかしいだろ」と言いながら、炭酸水の中にキュウリ突っ込んだ訳分かんないカクテルを出してくれた。

「こっちの方が頭おかしいよ!」そんな風に言うと、「新作だ。ちなみにノンアル。課題終わるまで絶対アルコールは出さねぇからな!」そう言って、頼んでもいない飲み物を勝手に作って、そのお代もしっかりつけてくるようなぼったくりマスターだったけど、その新作キュウリノンアルカクテルがまたバカみたくおいしくて、「え、なにこれ、定番メニュー化しようよ!」と、結局いつも、褒めちぎる羽目になった。

そうやって私たちが喜ぶたびに、ちょっと右手の人差し指で鼻の下を掻く癖を、真っ暗闇の中にいても見つけられるほどに、今更ながら、あのバーにはさんざん通って、お世話になっていたんだと気が付く。本当に美味しい飲み物を作る天才だった。

どの店も、あたたかかった。

"新卒社会人"の、すべてを受け入れてくれた。


♢♢♢


「六本木でバー開こうって言ったの、ちゃんと実現できるかもよ?」

この夏の帰省を報告しておいたノブが地元に着くやいなや、仕事帰りの車を飛ばして来てくれて、そんなことを言った。

「俺さ、社長になるんだよね。」


覚えたての仕事に、慣れない残業。新卒の頃の私たちは、理不尽に怒られる時だってあったし、気付いたら涙が溢れてる帰り道もあった。

そんな時はいつだってグループLINEを開けば誰かしら暇でラーメン付き合ってくれて、そのうちに一人また一人と合流して、結局ちょっと空が明るくなるくらいまで、永遠にくだらない話して過ごした。あの時にみんなで話した「もういつか絶対仕事辞めて、みんなで六本木でバー開こう」そんな、何の脈絡も無い約束が、どんな愚痴も飲み込んでくれた。

東京と言えば六本木だろ、くらいの、本当にバカのひとつ覚えのような約束だった。愚痴る時の合言葉のような、そんなくらいの約束だった。



「いつになるか分からないけどさ、とりあえず今やってる事業成功させるから、いつかまたみんなで一緒に仕事しようぜ。」


あの時仲の良かった同期たちは、全員別の地へと離れ、それぞれの場所で、それぞれの人生の続きをやっている。

それでも、心の中に、みんないつでも帰ることができるあの時の約束が眠っていて、だからこそちゃんと、追い風に背中押されるようにして地に足つけて歩いていけてるんだって、そんなふうに思った。

「いつかさ、自分らの仕事にそれぞれ満足したら、新卒の俺らを育ててくれてたバーのマスターとか、やっすい居酒屋のおばちゃんとか、焼き鳥屋の店主みたいに、俺らのバーが、一歩踏み出す若者達の居場所になってたら最高だよな。」

「えー、そんなこと言う歳になったのか。
まだまだおっちゃんおばちゃんにウチらが話聞いてもらって『若いんだから頑張んな』ってお尻叩いてほしかったなぁ。」

「そうも言ってらんねーのよ。もう令和だし。
それに俺らはもう全員、一歩も二歩も、ちゃんとみんな踏み出してるし。」


そうじゃん。

もう平成なんて、とっくに終わったんだよね。

それで、ようやく腑に落ちた。

世代交代なんだ。

ウチらの新卒時代は、当たり前だけど、もう終わったんだ。


ノブと思いっきりグータッチして、また次会うまで頑張ろうなって別れて、大都会・東京に、戻ってきた。もう、帰省しても、東京に「行く」じゃなくて、自然と「帰る」って言うようになっていた。

今の私の居場所は、此処、東京なんだ。

上京3年目にしてやっと、そう思えてきたんだ。



♢♢♢


私たち同期のことをよく知る上司が、学会で東京に来るというので久しぶりに上野で飲んだ。
いつも私たちが行く安い居酒屋の酒を「あんなまずい酒朝まで飲めるのお前らだけだ。」とバカにしてくる上司だった。

その上司に、同期達が今もなお、いかに元気にやってるかということを話すと、呆れながらもこう言ってくれた。もらった言葉がなんか嬉しくて、ホッピー流し込みながら、ちょっとだけ泣けた。

「お前ら、相変わらず揃いも揃って意識高いんだかバカなだけなんだかわからねぇな。でも最高だよな。だいじな宝物見つけたな。友情努力勝利みたいなさ、リアルでは冷やかされるようなものをちゃんと掴んで放さないで生きてけんのって、ある種才能だと思う。

なんていうか、お前ら見てると、あー頑張ろうって思わされるから俺の負けなんだよな。自己肯定感高すぎ。楽観的すぎ。今の時代に平成引きずりすぎ。令和っぽくなさすぎ。」

「令和っぽくないって何ですか?」

「んー、今の時代の若い奴らって、なんとなく諦めてるように見える。時代や俺ら上司が作ってきた不景気のせいでもあると思っていて、それが本当に申し訳ないんだけど、でも、夢とか語ったことあるのかなとか、コイツらずっと現実だけ見て生きてきたんだろうなとかって、話しててそんな風に思っちゃうんだよな。だから久しぶりにお前らみたいなのが "ちゃんと" 生きてんの聞いて、ほんと、心から良かったと思った。
きっと、ずっとそんな感じなんだろうなって、安心した。」


新卒で入職し、共に過ごした平成最後の4年間を、みんなそれぞれ糧にして、それぞれの令和を生きている。

令和でウチらは、何ができるんだろう。

その答えを持ってきたのは、やっぱりあの時の同期だった。

『いつか、今の仕事をやりきって、若い子達を包み込んであげられるくらいの貫禄が出たら、今度は新しい時代を精一杯生き抜く彼ら彼女らの居場所をつくってあげられたら最高だよな。』

なんてさ、そうだ、そんなことを、言うような奴だった。


それが「恩送り」なのかもね。

あの時の居酒屋のオバチャンや、焼き鳥屋の店主やバーのマスターに、もらった恩を直接返すんじゃなくて、私たちが次の世代に、同じ温度のぬくもりをわたすこと。

この社会に一歩踏み出す若者達が、思いっきり泣いて、思いっきり笑って、時には恋もしてふりふられ、そういう、人生の大切な20代前半の時間を、ちゃんと守ってやれる大人になっていたいなと、そんな風に思った。





最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。