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好きだった人に「早く結婚しろよ」と急かされるので。

私の初恋の話をしよう。

と言って、興味を持ってくれる人が
どれぐらいいてくださるのかは分からない。

ならばこうしよう。

話を始める前に、まずこれを見てほしい。



この世界がコロナ禍になるずっと前、
彼と訪れた居酒屋での一枚。

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「「完全に一致じゃね?」」


盛り付けられていた唐揚げの最後のひとつをとったとき、私たちはそこに隠されていたラピュタを発見した。〜♪ あの地平線   輝くのは どこかに君を かくしているから〜♪お決まりのBGMが自然と脳内再生される。たったこれだけのことで、一生分ゲラゲラ笑い転げられるようになったのは、私たちがいくらか大人になったからなのだと思う。まさかケンと、お酒を飲むようになるなんてね。

もう、一生付き合うことはないのだろうけれど。それでも私は、ケンを好きになって良かった。長い時間をかけて、やっと、そう心から思えるようになった。そんな、幼馴染みとの、初恋の話。



***


バレンタインが近付くと、ソワソワした。

いつもは、幼馴染みとしてあげていた。

一昨年は、1番仲のいい男友達としてあげた。

去年は、義理チョコだよって嘘ついてあげた。

今年は、どうしよう。



思えば去年のは、ズルかった。


バレンタインの日、学校から帰った後に、いつも通りケンの家の前の用水路脇に座って、ルビの散歩の準備をするのを待っていた。

「チョコ食べた?」

「いや、たくさんもらったんだけど、さっき全部母ちゃんにあげてきた。俺甘いの好きじゃねーもん。」


ケンはルビに散歩用のリードを付けながら、ついでみたいにそういうから「もらったものは自分で食べなよ」と少しふてくされた。

あんたがモテるのなんて知ってるさ。
何年横で見てきたと思ってんの。

「いやいや甘いのあんな食えねぇじゃん。」

知ってるよ、それも。毎年言うもん。

「手作りも嫌なんだよなぁ。毒が入ってるかもしれん」

大丈夫絶対入ってないから。
そんなこと言ってるといつかバチ当たるよ。
女の子がどんな気持ちで作って、どんな気持ちで渡してると思ってんの。

「まぁ、お前んのだけは食べたけど」

そう言って、庭のバスケットゴールに軽々ボールを投げ入れる。そうやってすぐ簡単に人の心にもシュートを打ってくる。

本当に、あんまりにも、さらっと言うから、何も言えずにとりあえず横にいるルビを撫でた。

その後も、ルビの散歩中、ひとしきりにやけてしまうのを隠すために、ケンの持っていたスケボーを奪い、カラカラと転がした。


今年は、好きな人として渡すの?

むりむりむり、絶対むり。

そもそも好きなの?
好きってなに?
好きならどうすればいいの?

小学生の私にはわからなかった。

いや、わかってた。好きだなんて、わかってた。ケンが「面白いから読めよ」って学校に持ってくるナルトもデスノートもテニプリも、別に自ら好きで読み始めたわけじゃない。ケンが面白いと思うものに興味があっただけだし、ケンも読んだページだと思うと、ただ愛おしかっただけだ。

それが、すきってことなんだってことくらい、小学生の私にも、ちゃんとわかっていた。


何年あいつのこと好きでいるの?
飽きないね。

サヤに言われた。
そう言われることが、少し嬉しかったりもした。

ケンの隣にいることが当たり前だった。
それがずっと続くと思っていた。

小学生から中学生にあがる春休み、私とケンとサヤとリュウは、惜しむように毎日のように小学校に行った。

そんな私たちを、卒業式で別れを告げたはずの担任の先生が見つけて「おい、お前ら遊んでんなら手伝え」って、転勤前のデスクや教室の片付けをさせられた。6年間も通っていたはずなのに、卒業後の校内はなんだか特別な空間のように思えて、手伝いもそこそこに走り回ってまた怒られた。

思えば小学6年間、私たちはロクでもないようなことを散々しでかした。

校庭でテニスの壁打ちをしては、だんだんそれだけでは飽き足らず、テニプリの主要キャラにでもなったつもりでボールを屋上まで吹っ飛ばした。
その半年後くらいに開催された小学校創立50周年だかの写真撮影で、普段入ることが禁止されている屋上に入った先生が「なんでこんなにボール転がってるんだ!?」って不思議がっているのを横目にハイタッチしたり。

壁に設置されているバスケットゴールにシュートを打っては、見様見真似のダンクの練習と称しゴールにぶら下がってゴールを壊したり。

ドッジボールを本気でやりすぎて近所の家の玄関のガラス扉を豪快に割ったり、水晶谷に水晶をとりに行こうと山を登って崖から転げ落ちたり。

その度に「やっちまったな」のうしろめたさと、ちょっとしたドキドキを共有しているようなそんな味わったことのない初めての感情を、たくさん抱いた。

中学生になる数日前、はじめて女の子の日が来た。

私たち4人は、見事にバラバラのクラスにクラス分けされた。

ケンの身長は15cmくらい伸びて、声もなんだか低くなって、遊ぶ回数が減った。

小学校6年間、クラス替えをしようともずっとそれが当たり前かのように同じクラスだったのに、私たちは初めて「他のクラスの人」になった。

廊下ですれ違っても、目が合うとなんだかうまく話せなくて、友達と話してて横を通り過ぎるのを気付かないフリして。自分にまで「用事なんかないんだから話さなくて当然じゃん」って言い聞かせたりして。

でも、そうやって無意識に意識していることが、より一層「好きなんじゃん」ってことを自分に確認させていた。

そうしてあっという間に月日は流れていった。


ある日の冬の午後、廊下の向こう側から歩いてきたケンに、数億年ぶりに話しかけられた。

「なぁ」

ビクッとして、だけど久しぶりに目の前にいるケンが嬉しくて、「なぁに?」と言った。



「俺、アズサと付き合うことになった。
お前には言っとこうと思って。
俺の初恋はお前だったよって。」

ガーンって、何かが上から降ってくるような、心を何かで引き裂かれるような、変な音がした。

それからどうやってケンのことを忘れられたのか、よく覚えてはいない。おそらく時間がそうさせてくれたんじゃないかとは思うし、ずっと忘れられなかったようにも思う。その間ずっと、HYのNAOが頭の中に爆音で流れていたことだけはよく覚えてる。

付き合うっていうことがどういうことなのか、
この好きという、ただそれだけの気持ち以上の何かがあるのか、なんにもわからなかった私よりも先に、ケンは私よりも先に大人になっていったような気持ちだった。

それでも腐れ縁は腐れ縁で、同じタイミングでたまたま同じ塾に入ったかと思えば、たまたま同じタイミングで塾をやめ、たまたま同じタイミングで家庭教師に変えたりと、私たちはそれなりの手の届く場所にいつもいた。

お互いどこの高校に進むのかって聞いたわけじゃなかったけど、なんとなく多分、同じ高校に行くんだろうなってそんな気がしてた。

直接聞いたわけでもなかったし、風の噂で知ったわけでもなかったけれど、なぜだか、学校が離れ離れになることはないと思った。


そしてそれは、その通りになった。

ケンがネクタイなんかしていて、私もブレザーなんか着ていて、新しい高校の制服はなんだか気恥ずかしかったけれど、「行くぞー」ってまた一緒に学校に通うことになった。

同じ校舎に入る。

ここから先は、ここに繋がる。


ケンとは結局、そのあと高校1年の2ヶ月間くらい付き合った。それが、私にとっては初めての、人と付き合うという経験だった。

私の記憶の忘却曲線はどんないびつな形をしているのか定かではないが、あんなに好きだった人と、いつどうやって付き合うことになったのか、そんな重要なシーンを忘れてしまった。だけど、この2ヶ月の間にキスはおろか、手を繋ぐことさえしなかったことは確かだった。念願叶って付き合えたはずなのに、ケンから急に送られてくるようになったハートマークにも、違和感と心地悪さしかなかった。

「付き合うってなんだかわからないね」
関係上、私たちは別れることになった。子どもの遊びの延長や、どこにでもある陳腐な恋愛小説と同じ結末かもしれなくても、私たちにとっては、それがすべてだった。心から人を好きになって、好きになった人が他の誰かを想う切なさを知って、好きな人と両思いになれる喜びを知って、好きな人とお別れする経験をした。そんな初めての感情を、いくつも私に抱かせてくれた人だった。

別れた後で、ケンは、よく私のことを「お前は兄弟みたいなもん」って言った。私も、そんな気がした。血の繋がりがあるかと錯覚するくらい、側にいて恋愛感情とは全くべつの居心地の良さを感じるようになった。

ひとつの恋が、終わった。


そのあと、高校2年生になって出会ったユウくんが、きっと本当の意味での恋人というものを、私に教えてくれた相手だった。

だけど、いくらただの幼馴染みと言っても、重ねてきた過去が長すぎて、ユウくんにはたくさん複雑な気持ちにさせてしまった。ましてや2ヶ月間、何もなかったとしても関係性は元カレなわけで、そんなケンと同じクラスのことにも、帰る方向がどうしたって同じになってしまうことにも、嫌な気持ちにさせてしまった。

ユウくんと2人乗りで帰る帰り道も、たくさん言ってくれた「かわいい」も「大好き」も、私の好きな音楽を聴いて好きになってくれることも、全てがとても嬉しかった。

付き合うって、こういうことなんだって知った。



こんなにも好きだったはずなのに、人と人は、お互いの人生を進む上で、別れを選択する生き物だ。

今は2人とも、私の元カレになった。

好きになって良かったと思っているし、過ごした時間は大切な思い出になったけれど、もう一度付き合いたいとは思わない。そういうものなのかもしれない。

ケンは、いまだに時々かけてくる電話で、私の恋愛事情を聞いては「はやく結婚しろよ!」って急かしてくる。

結婚式の余興でダンスを踊ってくれるらしい。

ダンスってのは若けりゃ若いほどいいんだから、俺がジジイになった頃に結婚されても良い余興してあげれんぞって。頼んでもないのだけれど、私の幸せを彼なりに願ってくれているようなので、ありがたいと思う。


「もし別れたら、これ以上好きになれる人なんてきっといないから、俺もう一生結婚できないわ」とまで言ってくれていたユウくんは、なぜか今、私のものすごく仲の良い友達と付き合っている。バルス。人生なんて、わからないことの連続だ。


生きていく中で、少なくとも私の人生には、恋人も友人も必要なのだと思う。どうなったら友達だとかの定義も曖昧なくせに、その曖昧さの中であっても、誰かの何かになるということには、いつだってくすぐったい安心や喜びを感じたりする。

人間の5段階欲求を唱えたマズローを天才だと思っている。あのピラミッドを初めて教科書で見た時、多少の感動を覚えたほどだ。だけれど、この世界は、ちょっと油断しただけでその辺にある愛の水たまりを踏んづけてしまう時だってあるのだと思う。水たまりを踏んづけた時に、靴下にまで浸透しまうような靴を履いているのがいけないのだろうか、恋人がいたって、この世界の幾多の人々を知っていくにつれて、その人本来の好きなところを見つけてしまうことだって、そりゃあるんだろう。

だから人は出会いと別れを繰り返して、大切なものを失って、痛みを感じては忘却し、電車と電車が交差してすれ違うかのようにさまざまな想いや感情を乗せて、走り続けていく。

君に、この車窓から見える景色を、一番に見せたい。私もいつか、そんなふうに思える人と、ゆっくり進んでいけたらいいな。

各駅停車で、十分だから。

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