結婚報道に寄せて
2024年。年が明けてまだ1月も半ばだというのに、既にかなりの数の結婚報道を目にした。今年は結婚報告が多いなぁと感じていたところだった。そんな中、また今日もひとつの結婚報告の記事を読んだ。KAT-TUN中丸雄一さんの結婚について書かれた記事だった。
KAT-TUN6人時代の全盛期の、あの熱狂の渦を肌で感じ育った世代なので、ファンであろうとなかろうと知っている“ゆっち”こと中丸雄一さんの結婚のご報告には、特別祝福の気持ちが大きかった。
お相手は、私の知らない方だった。
どんな方なのだろうか。たまたま読んだスポーツ報知の記事が、記者さんの署名記事であることにまず驚いた。そして読み進めていくうちに、絶対に憶測の芸能ニュースは出さないと決めたかのように一字一句丁寧に綴られていく文章に、もはや深い感動すら覚えていった。この手の芸能ゴシップを、敢えて署名付きで出す意思みたいなものを、ありありと感じた記事であった。
この記事を書いた宮路美穂さんは、敢えてこの記事を、自分の名前を伏せずに書くことで、伝えることへの大きな責任と、そして心からの祝福と応援の気持ちをすべて、この記事へ込めたのだということが伝わった。
こんなゴシップ記事を読んだのは、正直、生まれて初めてだった。
是非こちらのスポーツ報知の記事にアクセスし、直接読んでいただきたい。その上で、抜粋という形をとると所謂「切り抜き」のように穿った伝わり方になってしまいかねないため、特に私自身の印象に残った部分を、そのまま引用しご紹介する。
宮路記者は、笹崎さんの日本テレビ時代に担当記者として彼女のことを身近で取材してきたという。
これは、宮路記者が彼女のことを深く知っているからこそ、敢えて触れた過去だ。おめでたい結婚という報道の中で、そんな過去にはいちいち触れなくてもいいのではないかと批判もされかねない。しかし、彼女の素晴らしさを語る上では宮路記者にとっていちばん印象深かった場面がそれだったのだろう。そしてその場面において彼女がどれだけ芯の通った強い女性であったのか、これは宮路記者にしか書けない記事だからこそ覚悟を持って、最大限に配慮に配慮を重ね書き上げられたもののように感じた。その誠実さが、文字列から滲み出ているようだった。
ゴシップ関連記事の多くが、〜ではないか。〜は闇の中だ。〜かもしれない。という言葉できれいにまとめられあげているフリで溢れている。
誰と誰がどこでどのようにして密会を重ねていただとか、隠し撮りされた写真とか、そういうもので溢れているから、彼らが人であることを時々忘れられたかのような取り沙汰され方をする。
なにもそんな大袈裟なビックニュースは要らない。
憶測や過激さや突飛なことばかりをゴシップの一面にこれでもかと堂々と載せるやり方は汚い。
芸能人の一人一人が、我々と同じ、ただの人間だ。
安住紳一郎さんが、現在は一般の方というお相手のことを「どうせバレますので先に言っておきますと」というふうに紹介してくれた。
第1子の妊娠を発表した宮沢氷魚さんと黒島結菜さんは「皆さまへお伝えするべきかどうか迷いましたが、本意ではない形で公になってしまう可能性があるのであれば、自分の言葉でお伝えしたいと思い発表させていただきました」と綴っていた。
ゴシップという形で拡散されていく「ニュース」もとい「芸能ネタ」の一つ一つは、ちゃんと、誰か一人一人の人生だ。
確かではない情報だけで、世界に拡散されていくインターネットの上に適当に言葉を並べていくことはもう、暴力と同じなんだ。
そんなやり方をしなくても、宮路記者がこの記事を書いたことで実際に、笹崎さんのことを何も知らない私のような読者にも、彼女の素晴らしさと魅力が十分に伝わった。
そして中丸くんはそんな素敵な方と結ばれたんだと、陰ながら大きな拍手を送りたくなった。
それだけで、記事としては大成功だと思うのだ。
丁寧な取材と、記事を書かせてもらう相手へのリスペクトだけで、こんなにも伝わる文章が生まれるのだ。そういうことを、この記事を通して教えて貰った。
伝えるって、こういうことだよなって。
伝わるって、こういうことをいうよなって。
そして、「書くこと」「読むこと」って、さらには記事に限らず「いい仕事をする」って、こういうことなんだよなって。
私もこうやって誰でも読むことのできるネットに文章を書いている以上、こういう文章を書けるようになりたいとも思った。
そう、改めて思うくらいに、とても、感動する記事だった。
書いてくれて、ありがとうございました。
宮路記者に、そして中丸雄一さんと笹崎里菜さんの未来に、心から、大きな拍手を送ります。
この記事が参加している募集
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 このnoteが、あなたの人生のどこか一部になれたなら。