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1時間20万円。(ガロ系短編)

第一幕

中学の時の歴史の教科書がここにある。
あれからもう15年も経ってしまったのだ。

「教科書なんかに紙を使うとはなんともったいないことだ。」

世界はここ130年間でいろんな些細な進歩や、国際情勢が遷ろいできた。

北、南等と元々一つの国を俗称で言い分ける必要もなくなった。

Gが7個だろうが、12個だろうが知ったこっちゃない論争は180年論争と呼ばれ、130年前から変わらずある種のセラピーの如く毎年開催され続けている。その円卓に50年程前から”ボタンと1~9,0が調整可能なカーソル”が付いただけの違いである。

そしていつもの様に脳内には昼の12時になると、ある広告が流れるのだ。

「1時間20万円!」

私はいつもの様にその広告をスキップさせた。


第二幕

引っ越しの準備も終わり、あの”紙”で作られた教科書をトラックの中にある処分と書かれた箱に乗せ、カーソルを”±0 h”としてボタンを押した。いつものことだ。

そして私も次の家に向かう車に乗り込んでカーソルを” -1h ”としたが、
よくよく考えて”±0 h”としてボタンを押した。すると車が動き始めた。

この間、脳内にはまた広告が表示されているが、
今度のは初めて見る広告だった。。。

「当選通知:1500時間!」

その文字と共に、かあいらしい「ぴゅぽぽん」という音。
時計をモチーフにした”timeless社”のキャラクターが表示されていた。

どうやら私は当選した様だった。年末に友人とふざけてエントリーしたのをすっかり忘れていたらしい。

私は座席を倒し、脚を組んだ。
そして車にこう指示を出した。

「カーソル ” -3h ”...... 承認。」

外なんか見ちゃいないが、今頃私はあのトラックより先に引っ越し先に着いていることだろう。
明日から仕事なんか辞めてしまおう。


あとがき

"time is money"という言葉がある。それはある種、未来人の言葉なのかもしれない。あるいは未来を見たい者の希望的観測なのかもしれない。

だがある意味でそう遠くない未来の現実的予測なのかもしれない。
一過性に見える時間は、ある意味で起こりうる未来を速めてしまうことで、着地点への行動や、場所さえ同じであるにもかかわらず、そこで体験するであろうすべてのことは一過性の中でも、それぞれの選択肢によっては、変えることとなる一種のタイムスリップの欠片なのだ。

それは現代でも、いやあるいは大変な過去でも起きていた現象なのだ。
馬車に乗る人間は歩く人間の " -2 h "なのだ。

そしていつか来るのだ。”時間”を”時間”として買う日が。

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