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伝えるということ


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こんにちは。
ロバート下北沢を運営するコミュニケーションデザインカンパニー SLOWのデザイナー、奥谷です。

2024年の初めに、ロバート下北沢に集まる人たちのエネルギーを伝えるためにタブロイドを創刊しました。

そして、7月26日と27日に開催した創刊記念パーティでは、タブロイドで伝えたかったことを、実際に体験し、感じる機会となりました。


イベントを通じて、
言葉にできない「よくわからないもの」をそのまま受け入れることや、「意味を超えた内側から湧き起こる何か」を大切にすることの重要性を改めて実感しました。
自分の感覚を信じて表現することを、ごく自然なものとしてやりとりすることができた貴重な時間でした。


振り返ると、これまで自分の直感や感覚を伝えることに対して、どこか抵抗感を持っていたのだと自覚します。100%自分で自分を信じられないというか。
「すごくいいと思うけれど、社会的に意味がないのでは。」「うまく言葉で説明ができないから、伝えても理解されないかも。」と感じ、ブレーキをかけてしまう。周りを見渡してみても、無意識に感覚を閉じる癖がついている人が多いように感じます。


私の仕事はデザインを通じて社会と関わり、社会のニーズに応えることです。「意味(=価値)を与えることができる」と同時に、「意味(=居場所)を与えてくれる」存在です。
一方で、表現とは「意味を脱した何か」を形にすることなのかもしれません。説明が難しいため、理解されないこともあるのが前提です。だからこそ体で感じ、心に響いてくる。

「意味を脱する」ことは、「意味を与える」ことと同じくらい価値があると強く感じます。

***

「意味を脱した何か」とは何かについて、自分なりに書いてみます。

文学や絵画、写真、音楽など、さまざまな表現形式がありますが、私が特に惹かれるものには共通して「根源的な魅力」を感じます。
例えば、月や海もそうで、そこにただ在って、美しい。そのままで美しいから媚びる必要がない、意味や意図を削り切ったありのままの状態。

たとえばこの器。これを観たとき私は、ただ、美しさを受け取ります。
しかしよく見ると、異国の文字が刻まれている。

文字の意味を知らない私が見たとき
意味が先に来ないから、この独特な線のリズムや形状を
美しさとして真っ先に受け取ることができるのだと思います。

「根源的な魅力」とは、説明せずとも存在や状態から「感じる」ものを指している気がします。表現に惹かれる理由の一つです。

もちろん、人の思いが込められた美しさもあります。タブロイドの編集長である新野さんは、「月に意味を与えることに、人の美しさを感じる」と。「人の」って素敵だ。

実際の会話。わかりそうでわからない「モヤモヤ」を共有しながら、タブロイドを作っています。




社会で生きるためには、わかりやすい言葉で伝えることが大切ですが、言葉で定義することで感覚が失われることもあります。どうしても、機微やニュアンスを取りこぼしてしまう。

それでも、なるべく取りこぼさないように、自分が感じたことをどうにかして相手に伝えようとすることが、私たちにとって重要なことかもしれないと感じました。

たとえ伝えられなくても、違う形で伝わったとしても、どうすれば届くか模索することが、人生のおもしろさなのかもしれないと本気で思えた体験となりました。


一つ、表現と言語化を行き来する作家の文章を、抜粋して紹介します。
世界的テノール歌手でありながら、音楽の歴史を辿る研究者であり、文筆家であるイアン・ボストリッジさんの言葉です。

フォーマルにしてみたり、インフォーマルにしてみたり、
距離を置いてみたり、近づいてみたりしながら、
理想主義と表現主義と儀式主義の間でギアを変えながら臨む。

過去の理論を受け継ぎながらも
どれか一つでも強力な理論が君臨することを敬遠する。

 『ソング&セルフ 音楽と演奏をめぐって歌手が考えていること』イアン・ボストリッジ


言葉で物事を断定することへの恐れを持ち、境界線を漂うことを好む自分にフィットします。



立ち位置を決めきらないとしても、他者とのコミュニケーションは必要です。

自分の感覚や思いに仮説を立てて、伝えてみて、相手の仮説を受け入れて、「全体として確からしいほうへ進む」。

プラグマティズムの考え方に共感します。
(最近新野さんが共有してくれた記事、おもしろいです)



もちろん、伝えることを諦めることがあってもいいし、今は伝えずに大事に抱えることがあってもいい。伝えることが全てではありません。

その時には伝えられなかったことや、受け取ることができなかったことも、ふとした瞬間に届くこともありますし!



今回、言葉にできづらいものを取り上げたタブロイドの制作やイベントを通じて、私なりに感じたことを書き留めました。

この文章も少し言葉足らずな部分があったと思います。
けどたまには、相手に甘んじて、感じるための余白を残してもいいんではないでしょうか。(すみません!)

編集長の新野さんがもっとわかりやすく言語化をしてくれています。(人任せ!)
熱量のある彼女の言葉も是非感じてみてください。


次号のタブロイドでは『ノイズ』を軸に、伝えることを試みる人たちをピックアップします。

人や人の活動から滲み出る、言語化ができづらいものたちを、編集長の新野さんは『ノイズ』と定義しました。

特集タイトルは、『BODY LOUD!』。ライアン・マッギンレーという写真家が2016年に東京で行った展示会タイトルを拝借しました。
直訳すると、体の叫び。体から滲み出るものたち。

乞うご期待です。

関わってくださった皆さま本当にありがとうございました。
第2号もどうぞよろしくお願いいたします。

奥谷日奈



P.S.
情的でノイジーな写真は全てUmAさんのものです。
素敵な瞬間を残してくださりありがとうございます!

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