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身体を使って創り出し、ありのままを感じ取ること。それが私の目指す暮らし方|猫の皿・松丸美香|ぼくらの現在地vol.5

学校を卒業して社会に放り出されて数年経つ20代・30代は、長い人生のモヤモヤ期とも言われます。今までと生き方がガラリと変わったこの時代に、モヤモヤを抱えながらもいろんな領域を横断している彼らが、どんなことを考えて、どう仕事をして、どう生きているのかを教えてもらう連載です。彼らの現在地と今の時代を照らし合わせて、これからの生き方を探っていきます。第5回目は岐阜県の恵那市で木工作家ユニットとして活動する松丸美香さんにお話を聞いてみました。千葉県出身の彼女が大学を卒業後すぐに移住した理由とは?田んぼや畑の世話と隣り合わせで生活をする彼女にとって暮らしとは。高校時代の同級生・新野が聞き手を務めます。


身の回りのモノと暮らし方の選択


ーちゃんと話すのは高校の卒業式以来だから7年ぶりだね(笑)。今、美香はなにをして暮らしているの?

松丸美香(以下、松丸) 岐阜県の恵那市に移住して、「猫の皿」という名前で木工作家ユニットとして活動してて。主に、木を削ってスプーンを作る体験会を開いたりして、木に触れる機会を人に提供する活動をしていたんだけど、今はコロナ禍で人を集めることが難しいから、木工キットや自分たちで作った器、スプーン、ペンレストを売ってるの。その他にも田畑で農薬を使わずにお米や野菜を育てながら、自給自足に近い生活をしているよ。

ー 美香はものすごくこだわりがあるイメージだったな。高校生の時もシャーペンじゃなくて鉛筆を使ってたよね。

松丸 そうだね。便利さより手のなじみ方とか感覚の部分を大事にしていたのかな。
考えてみると、私は嫌だと感じるものが多いんだよね。それを排除することで、身の回りのものが厳選されていってるんだと思う。当時、みんながiPhoneとかAndroidの最新機種を使っている中で「INFOBAR」っていうレゴみたいなキーボードがある赤い携帯を使っていたのも、みんなと同じものを持つことが嫌だったから(笑)。オンリーワンのものを持つことで、学校内でモノを失くしてもすぐ誰のものかわかるし、そういう安心感もあったのかもしれない。高校受験で志望校を決めるときも、嫌いだったスカートを履かなくて済むという理由で、千葉県唯一の私服の公立高校にしたんだよね。

ー スカートが好きじゃないって話してたの覚えてる。高校卒業後は何してたの?

松丸 卒業後の1年間浪人をしてから、東京の大学の建築学科に進んだの。もともと木の匂いとか手触りが好きだったから、林業が勉強できる生物学科に進学しようと思って、高校時代はそのための勉強をしてたんだ。だけど、受験間近の高校3年生の時に「ジブリの立体建造物展」に行ってから建築に興味を持ち始めたんだよね。

ー 高校生の時、美香は「ジブリ会」に所属してたよね。

松丸 そう、同じクラスの数人で「ジブリをひたすら鑑賞する会」っていうグループを作って。ジブリで描かれている自然豊かな世界がすごく好きで。「ジブリの立体建造物展」の解説者が、「空飛ぶ泥船」という独特な茶室の設計で有名な建築家の藤森照信さんで、藤森さんの解説を聞いたらどんどん建築の世界に惹き込まれていったの。建築は木を基礎に考える分野だし、大好きな木について考える機会も増える。その道に進めば、将来は大工とか現場の仕事に就けるかなとぼんやり考えてたんだよね。そのためには必須受験科目である物理をもう一度学び直さないといけなくなって、一浪したんだ。

ー 木が好きということが転じて建築学科に進学したけれど、建築に関連した仕事に就かなかったのはなんで?

松丸 大学3年生になってみんなが就職活動を始めたときに、「なんでみんな限られた情報だけで仕事選びができるんだろう」と疑問に思ったんだよね。みんな、その先にどんな暮らしをイメージしているんだろうって。まずは生活スタイルを考えた上でどう働くかを考えたいと思って、「半農半X」みたいな、いろんな暮らし方の本を読んでいった。そのうち、自分で食べ物を作れば収入が少なくても生きていけそうだから、田舎に移住して生活するがいいのかなと考えはじめて。それに、東京近郊の生活に窮屈さも感じてたんだよね。家と家の距離も近いし、電車なんて赤の他人と密着しながら揺られなきゃいけない。それでも社会人になるために建築系の会社も探したんだけど、建築業界はものすごく激務らしいし、週5で働く暮らしは自分には厳しいと思って(笑)。でも木が好きなのは変わらなくて、その頃から趣味としてスプーン作りを始めたの。家を作るのは規模が大きすぎて自分一人ではできないけど、木を削ってスプーンくらいは作れるかなって。


生きづらさを感じていた学生時代


ー 移住したいと考え出したのは家庭環境も影響した?

松丸 親を含めて周りの大人はサラリーマンしかいない環境にいたから、それ以外の生き方を知りたいという気持ちがあったんだと思う。ジブリ映画では自然豊かなシーンが多くて、都会で働くサラリーマンはほとんど出てこないし。あとは実家があんまり好きじゃなかった(笑)。過干渉の両親との暮らしはすごく居心地が悪かったんだよね。これはやっちゃダメ、何時に帰れ、物事はこうやってやるんだと教え込まれたから、歳を重ねるにつれて自分の人生を自分で決められないことに憤りを感じてた。たぶん親に対して過度に期待していたんだよね。親もただの人間だから完璧じゃないし、性格が合わないことだってある。移住してからは、初めて両親とちょうどいい距離を保てるようになって、ありがたさがわかるようになったんだけどね。

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ー 美香はいつもニコニコ明るくて周りに気を遣える人という印象が強かったんだけど、裏ではそんな苦悩を抱えてたんだね。私が美香との思い出で印象に残っているのは、高校3年生の合唱祭の衣装準備。私たち含めて4人が衣装係になって、受験勉強の真っ最中に原宿まで生地を探しに行って結構歩き回ったからみんな疲れ果てて。空気がピリついている中でも美香は軽い口調で「休憩しよっか」って声をかけてくれたから、みんなでサイゼリアに行って疲れを癒したよね。

松丸 実はあの後、家に帰ってから一切動けなくなったの(笑)。あの頃の私は、人と接し続けたり長時間外にいると体力の消耗が激しくて、回復するまで部屋に篭るしかなかった。なんで私って動けなくなっちゃうんだろうってずっと悩んでて。最近それはHSP(Hightly Sensitive Person:高敏感性、高感受性)っていう性格特性が原因だとわかって楽になったんだよね。

ー HSPはどういうことに敏感な気質の人を指すの?

松丸 人混みの中で音とか色とか、いろいろな情報が他の人よりも入ってくるんだよね。例えば原宿を歩いているときの周りの話し声とか、お店のPOPの色とか。脳が勝手に処理してスルーできるはずのノイズが、全部情報として頭に降りかかってくるから、対処することがすごく大変。だから、大学時代は眼鏡を外してヘッドホンをつけて生活してた。

ー 世界をぼやけさせることで情報をシャットダウンしてたのか。じゃあ、他の人たちにとっては息抜きのはずのサイゼも、美香にとってはノイズで溢れている場所だったんだね。

松丸 そうなの。東京では生きていけないなって思った(笑)。移住したからといって、情報がゼロになるわけではないんだけど、入ってきても鳥とかカエルの鳴き声のような心地いい情報なんだよね。

ー ノイズが自然物に変わったら受け止められるようになったのはなんでだと思う?

松丸 私、人工物が苦手なんだよね。木は好きだど、東京の木は人が計算して等間隔に配置されたものでしょ?そういうものには拒否反応みたいなものがある。受信する情報を選択できればいいんだけどね。

ー 感受性が豊かだからこそ、合わないものを削って自分を解放していった先に今の生活があるんだね。

松丸 そう。今が人生で一番幸せなんだよね。生きるための必要最低限である衣食住を軸にすることで、一つ一つの感覚を大事にできるようになった。趣味で続けているパン作りも、気候によって素材の分量を調整するんだけど、そんなささいなことに気づけて楽しめているのも、この生活ならではかもしれない。移住前はスーパーで買ったものを、ただ調理して食べてたけど、お金と交換したものだけで生きるのではなくて、身体を使ってつくり出したもので生きていけたらいいなと思う。

ー お金に依存した生活からも少し解放されたんだね。

松丸 コロナ渦では、お金があってもモノを買えないかもしれない状況になった。だから、自分で作っている方が安心して生きていける気がするな。身体を使ってつくり出したもので生活することで、少しずつ自分が話す言葉に責任も持てるようになった気がする。例えば、お味噌汁って具沢山の方がいいでしょ?って、思考停止した常識を押し付けるのではなくて、ほうれん草から育てて、ほうれん草だけのお味噌汁を作ってみる。そして口に運んで、その柔らかさや甘さを初めて知るような。ずっと「生きるってなんですか、なんのために生きてるんですか」っていうことが、自分の問いだったから。田んぼを耕していて、泥の中に足を突っ込んだらグチャっていう感触と、ひんやり冷たい感覚があったり、足が泥に圧迫されて不安定になったり。それが「生きる」ことなのかなって答えが見え始めた。逆に何も感じられなくなったら、それはもう死んでるも同然な気がする。

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受け皿となった恵那市


ー 移住してからの1番の変化はなんだと思う?

松丸 
自分を肯定できるようになったことかな。パートナーでもあり、木工作家ユニット「猫の皿」の相方でもある太田潤くんがものすごく優しいんだよね。

ー 太田くんとはどう知り合ったの?

松丸 彼はもともと静岡県の沼津で大工をしていたんだけど、「ジブリの立体建造物展」の解説者だった藤森さんが好きという共通点があって、意気投合したのが初めかな。最初は「嫌じゃない」から始まってるの。告白されて、嫌じゃないし感覚的に合わないわけでもないから付き合うかって。嫌なものに対して敏感だった私にとって、「合わなくない」というのがすごく大事な基準で。ちょうど太田くんが仕事を辞めたいと言っていた時期と私が恵那市への移住を考え始めた時期が一致して、「恵那移住したーい」「いいじゃんいいじゃん♪」って二つ返事で肯定してくれて。私の意思をすべて受け止めてくれたんだよね。

ー そこで「猫の皿」を結成したんだね。

松丸 憧れていた自然の流れと共に生きるような暮らしをしながら、私たちにできる仕事はなんだろうって考えたの。そうしたら、大好きな木の魅力を伝える仕事はどうだろう?って、自ずと辿り着いたんだよね。木に触れる機会を増やしていくことで、森林を守るために必要なことに、多くの人に気づいてもらいたいっていう願いも根底にあるの。

ー 「猫の皿」の名前の由来は?

松丸 名付け親は太田くん。落語に「猫の皿」っていう演目があって。ある道具屋の商人が、買い出しの帰りに寄った茶店で、店先の猫の餌用に使われている皿がすごく価値のあるものだって気づくの。商人は、きっと茶店の店主は価値を知らないんだろうと思って「猫が自分に懐いたから、その猫を三両で買う。ついでに、猫が気に入っているその皿も一緒にもらう」って持ちかけた。そうしたら、店主が「その皿はいいものだからあげられないよ」って返して。商人が「価値がわかっているのになんで猫に使わせているんだ」って尋ねたら、店主が「こうすると、たまに猫が三両で売れるからね」って答えてオチるんだけど。その演目からヒントを得て、悪知恵を取り入れたかったわけではなくて、いいものはどんどん使っていかないともったいないよねってメッセージを込めたかったんだ。


ー おもしろい話だね。移住先を恵那市に決めたのはなんで?

松丸 たまたま、恵那市にある古本屋「庭文庫」のオーナの百瀬実希さんが出演していた、「地方のコミュニティハブになる場の作り方」っていうトークイベントを聞きに行ったの。その頃、半農半Xの暮らしをする将来像が見えてきて、移住先を探していたんだけど、住民の暮らしぶりがわかる地域が意外と少なかった。でもそのトークイベントでは、とにかく百瀬さんが楽しそうに暮らしている様子がわかったから、観光がてら、まずは「庭文庫」を訪れてみたの。でも旅行で行ったところで、住人の声はあまり聞けなかったから、大学の卒論という体で、恵那市の人たちをインタビューして回ったんだよね。そうすると、自営で楽しそうに暮らしている大人がたくさんいることを知って。その人たちの生の声を聞いてみると、最初から自営をせずとも、自分の暮らしたい生活スタイルに少しずつ移行している人もいて、私の歩みたい人生が少し見えてきたから、恵那市に移住を決めたんだよね。卒論としては出来が悪かったかもしれないけれど、自分の将来を考える上では本当にいい経験だった。

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ー 百瀬さんとはご近所さんになったの?

松丸 お姉ちゃんみたいに仲良くさせてもらってる。今一緒に暮らしている猫のツグハルも、百瀬さんが飼っていた親猫が産んだ子猫で、譲ってもらったの。

ー 移住してから人付き合いは濃くなった?

松丸 やっぱり助け合いの風潮が根強い。お隣さんなんて、その日に取れた野菜を譲ってくれるんだけど、引き戸を開けて玄関に入ってきてからチャイムを鳴らすから、順番逆じゃない!?っていつも思う(笑)。

ー 人によっては、助けてもらうことすら干渉に値するじゃない?過干渉が苦手だった美香が、それを受け入れられたのはなんでだろうね。

松丸 本当にフラっと来ては、田んぼの耕し方を教えてくれたり、見返りなく助けてくれる関係がストレスじゃなくて。お互いに生活が透けて見えているけど、みんな尊敬できる人ばかりだからそう感じるのかな。あとは、私に受け入れられる余裕ができたからかもしれない。

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ー 5年後は何をしていたい?私たちは30歳になるよね。

松丸 5年前の私が20歳のときは、今の暮らしを全く想像できていなかったんだよね。だから、その時その時にやりたいことをやって、今が一番いいなと思い続けることができればいいんじゃないかな。野菜作りはその中でもすごくおもしろいから、これからも種類は増やしていこうと思っている。虫に食べられたときは、食べる部分がまったく残らないこともあるけど(笑)。面倒臭くても、農薬をこれからも使わないで育てたいな。じゃがいもにはこんなに虫が寄ってくるんだって、農薬を使っていたら気づけない、ありのままを知っていけたらいいなって。

ー 最初から農薬を使ってたら、わからないことだもんね。

松丸 豊富に収穫できたら、余った分はご近所さんにあげたりしたい。今は私がこの地域で最年少なんだけど、百瀬さんが私にしてくれたように、私みたいな子が来たらサポートできればいいなと思っている。それが恵那市のいい循環になっていければ嬉しいかな。「猫の皿」も、活動内容は変化するかもしれないけれど、活動は続けていくつもり。いま中断している木工体験の機会も、コロナが収束に向かったら増やしていきたいし。やりたいことは結構あるんだよね(笑)。敏感な体質だからこそ、嫌なものを排除してやっと出会えた、自分の体に合う生活をこれからも大事にしていきたいな。


松丸美香・まつまるみか
1996年生まれ千葉県松戸市出身。
大学で建築を学び、卒業後に岐阜県恵那市へ移住。ずっと憧れていた映画「リトル・フォレスト」のような暮らしを実践中。レーズンからおこした天然酵母でパンを焼く人。好きな食べ物はオムライスと餃子。そのうちチェロをはじめたい。
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(取材/文 新野瑞貴)

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