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自分とじっくり話すことが、らしさを作っていく。|イラストレーター・山口奈々子|ぼくらの現在地vol.2

学校を卒業して社会に放り出されて数年経つ30歳前後は、長い人生のモヤモヤ期とも言われます。今までと生き方がガラリと変わったこの時代に、モヤモヤを抱えながらもいろんな領域を横断している彼らが、どんなことを考えて、どう仕事をして、どう生きているのかを教えてもらう連載です。彼らの現在地と今の時代を照らし合わせて、これからの生き方を探っていきます。第2回目はイラストレーター・ライター・編集の山口奈々子さんにお話を聞いてみました。ミュゼオロジーや雑誌編集の道を進みながらも、思考を重ねていくことで、自分が本当にやりたいことを見つけていったそうです。


根底にあるのは、
時代を編んでいく博物館学の視点

ー山口さんは、イラストレーター・ライターとして独立される前はどうされていたんですか?

山口 大学卒業後はアルバイトを掛け持ちしながら生活していたんですが、翌年の1月に『TOKYO GRAFFITI』を発行している、株式会社グラフィティに入社しました。

ー入社のきっかけは?

山口 働いてた原宿のデジタルガジェット屋さんの閉店が決まった時に、当時付き合っていたパートナーの就職が決まり、焦りを感じたんです。自分もさすがにしっかりしなきゃと、求人サイトを見ていると『TOKYO GRAFFITI』の求人を見つけて。高校生の頃に好きだったし、落ちてもネタになるか!と、勢いで受けてみたら受かっちゃいました(笑)
入るとすぐにカメラの撮り方を簡単に教わって、いきなりストリートスナップの現場に送り出されましたね。

ーいきなり!(笑) 雑誌の編集は、大学で学んだことと繋がっていたんですか?

山口 大学時代は、学芸員・キュレーターの養成が柱になっている、武蔵野美術大学芸術文化学科で学んでいて、対話鑑賞型のプロジェクト授業や、造形ワークショップの企画に参加していました。いろんな小中学校や高校に、ムサビの学生が自分たちの作品を展示して子供たちと一緒に鑑賞するんですが、その時に子供と作品との間に立つファシリテーター役をやっていました。作品について子供たちに問いかける時に、「どう思う?」とだけだ聞くと質問が漠然すぎるんで、「どこが一番好き?」「なんでその色が好きなの?」と、どんどん掘って、感じたことの的を絞っていくんです。造形ワークショップでは、船をつくりたい子がいたら「どんな形の船がいいかな?」「足はついてるの?」と聞き出して、一緒に形に落とし込んでいく。そういうことをずっとやってましたね。

ー翻訳能力が鍛えられそうですね。山口さんのインスタやnoteを読んでいると、自分を客観視して想いを言語化する力がすごく高いと思うんです。

山口 展覧会批評の訓練をずっとやっていたのも関係あるかもしれません。美術館にとにかく通い、なぜ今この展覧会をやろうと思ったのか。この作家なのか。なぜこの展示順なのか。歴史の文脈や今の時代からどんな作品をピックアップして並べるのか。それを突き詰めていくことが、博物館学ないしはミュゼオロジーだと、すごく尊敬している教授からずっと教えられていました。学芸員にはならなかったけど、その経験があったから自分の気持ちや今起こっている出来事を、なんでそうなのか?とちゃんと分析をするようになったのかもしれませんね。

ー雑誌の編集とすごく近いですね。

山口 そうなんです。雑誌づくりに携わった時に、めっちゃミュゼオロジーじゃん!と思いました。展示を考えるのと一緒で、誰をアサインして、どんな対談を組ませるかとか。絵をどの高さにして、どこにキャプションを置くかは雑誌のレイアウトと同じだし。やってることはずっと変わらないですね。

立ち止まって気づいた
ほんとうにやりたいこと


ー『TOKYO GRAFFITI』には何年いたんですか?

山口 1年半くらいですね。全然スナップが集まらない、取材が決まらないという焦燥感にかられながら広告案件の制作も同時にやっていたので、忙しくて精神的にまいっちゃって。その頃当時のパートナーと同棲をはじめたんですが、私は毎日深夜に帰ってくるので、すれ違いからよく喧嘩していました。ずっとイライラしていて、どんどん疲れていって。そしたらある日、朝起きるとベッドから動けなくなっちゃったんです。病院に行ったら鬱だと診断されました。治すには1ヶ月間しっかり休むか、お薬を飲みながら働いていくかだと。でも「休んじゃって次の転職先を決めた方がいいと思うよ。休めば治るからね。」とお医者さんに言われて。それで仕事を辞めました。

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ーどれくらい休んでいたんですか?

山口 4~5ヶ月くらい休んでいました。その間に友達と初めて吉祥寺でイラストの展示をしたんです。絵を描くのは小さい頃からずっと続けていて、友人と展示をしたいと学生の時から話してたので、せっかく暇になったならやろうよと。当時は、なんのやる気も起きなくて、水を飲むとかお風呂に入るとか、あらゆる日常の動作ができなくなっちゃって。ずっとネットフリックスを観てる生活だったんです。そんな中で唯一できたことが、ちっちゃいキャンパスに絵を描くことでした。やっぱり絵を描くのは楽しいし、そもそも絵を描くのが好きで美大にはいったし、そうだったよな~と思い出して。お仕事でイラストを描くこともあったんですが、ちゃんと作品をつくるのはその時が初めてでした。

ー展示をすることによって、自分の中に何か変化は生まれましたか?

山口 私が好きなことってやっぱり絵を描くことなんだっていうのをぼんやり意識しはじめました。その後、もう一度編集の仕事に就いたんですが、絵を描きたい気持ちがどんどん強くなっていき、少しずつお仕事もいただきはじめていたので、思い切って独立しました。

ー作風が固まっていったのもその頃ですか?

山口 なんとなくこういう絵が描けたらいいな~っという理想が生まれたくらいでした。ぜんぜん追いついてなかったんですが。でも、今描いている絵は私らしくなってきたなと思います。

ーそうなんですね。いま山口さんが描きたいものをちゃんと描けているのは、自分と向き合って会話したからかもしれませんね。

山口 本当にそうだと思います。この間、梨を剥いていたら、途切れることなく綺麗に皮を剥けたんです。今までできなかったのに突然。それはずっと練習してたからじゃなくて、料理が好きで毎日包丁を手にしているうちに、少しずつ馴染んでいったから。絵も同じで、気づいたら描けるようになっていた。
去年くらいは格好つけて、背景を描かなかったりしてたんですが、もともと画面いっぱいにギュギュッと描くのが好きだったんです。何もない静寂よりも、要素がありすぎるからこその静寂を目指していて。例えると音がいっぱい鳴ってて、もう何が鳴ってるかわからない状態。完全に密な状態での静寂と、空の状態での静寂って、対局にあるようで実は表裏一体なんじゃないかと思っているんです。そういう描き方ができるようになってきて、すごく私らしいなと。

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大盆踊り

ー自分らしさを掴みきれない人も多いと思うんですが、山口さんの自分らしさってどこで培われていきましたか?

山口 小学校3年生から中学校3年生までの6年間を過ごした、上海での経験が大きかったです。今でも覚えているんですが、上海に行く前にお母さんから「大事な話があります。」って言われて。笑 仲良しの友達と離れなきゃいけないから、もう爆泣きでしたね。でも、上海に行ってなかったら私はぜんぜん違う人間になっていたと思います。

ーどういうところに影響を受けたんですか?

山口 その頃の上海は、日本企業がバンバン駐在を送って、どんどん街も発展して、中国の中で一番経済が動いている場所だったんです。私は日本人学校に通っていたんですが、毎学期転入生が来たり友達が転校していくのが当たり前で。クラスにいる子たちもほとんど転校生なので、転入してくる心細さをみんなわかってるんです。だからはじめて教室にはいった時も、すぐに受け入れて仲良くしてくれて。それがすごく嬉しくて。日本の小学校だとクラスが変わっても卒業まではほぼみんな一緒ですよね。でも、超仲良い子が、次の学期にはいないかもしれない。いつまで一緒にいられるかわからないから、人見知りしている暇なんてないんです。

クラスにはハーフの子や、親子で国籍が違う子もいて。世界各国から来てるので言葉やバックグラウンドが違うのも当たり前。だからこそちゃんとお互いのこと知っていこうよという前向きなスタンスで、どんどん仲良くなっていきました。日本でも暗い子供ではなかったんですが、一気に自分が外に向いたというか。人間性がガラリと変わりました。

ー価値観も変わりましたか?

山口 違う国籍同士だけど、隣にきたから分かることってあると思うんです。他の国に対する差別意識の有無って、隣にいることを意識できるかできないかの違いだと思っていて。みんな同じ人間なんだ、今隣にいる人たちとなんら変わりないんだってことを、上海で身をもって知ることができました。それは物事を考えるうえでの自分の土台になっている気がします。

背伸びせず、周りを気にせず、
自分が自分でいること


ー自分と社会の関係性であったり、モヤモヤすることとかありますか?

山口 私がやりたいことってなんだろうと、1年ほど前まではずっと悩んでいたんですが、最近はモヤモヤがなくなりました。フリーランスになってからは、イラストを描く、テキストを書く、ものごとを形づくることが、私がやっていきたいことなんだとわかりました。その根底には、大学で学んだキュレーションだったり、仕事で携わった編集があります。今の世の中にずらっと並んでいるものから、自分がこれだと思うものをピックアップして、それをイラストにしたりテキストにしたり、または他のものに変換したり。それが私の得意なことだし、やれることだし、やっていきたいこと。フリーランスになるとお金の悩みは生まれますが、じゃあどうやってごはん食べていこうかと考えていけるんです。

ーそこまで固まっていると、あとは進むだけですね。

山口 もう高望みはしないと決めました。私は割となんでも器用にこなせる方なんですが、できてもストレスを抱えることってあるじゃないですか。どんなに上手にできても、少しでもストレスを感じるのであれば、それは得意なことではないし、やり続けたいことでもない。最近はテキストもイラストも得意なら、漫画も描けるかも!と挑戦しています。自分の身の周りにある事柄を描いてインスタで発表していますね。

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ーインスタでの作品からは、あまり明るくはない、ジメジメした感じが出ているなと思います。

山口 今ある社会の出来事と、自分に起きた出来事がリンクした時に、自分の中にジメジメとした感情が生まれるんですよ。自分の生活圏内で起きたことを俯瞰した時に、社会と起きていることと同じ構造だと気づく瞬間があって。それに対して抱いている感情がマイナスだったりする時に、あ、描こうと思います。

ーネガティブな感情のほうが強いんですね。お話をしていると、すごく明るい印象を受けるので、そのギャップが不思議です。

山口 普段かなり明るい人間なので、たまに人をびっくりさせちゃうんですよね。インスタを見てくれている人は初めて会うと驚くし、逆に飲み屋で最初に会って、ケラケラ笑いながら仲良くなった人は、急に私が真面目な話をするとめちゃくちゃ引く。笑 ギャップを埋めるためにチューニングした方がいいのかなとも思ったんですけど、これが私ですし。ここ1年くらいで、気にするのも無駄だなと気づきました。

ー5年後はどうしていたいですか?

山口 イラストとテキストのお仕事で、猫にも餌をあげられて、自分もある程度食べられてたらいいですね。欲を言えばラジオをひとつ受け持っていたいな。耳だけで聞いてるからこそ膨らむ妄想のおもしろさがラジオにはあるので。けどまあ、、今はイラストとテキストの精度を高めていって、地盤をもっとかためていきたいですね。私って、爆発的に売れるタイプではないと思うんですよ。キラキラした人気者タイプじゃないけど、ずっと影から見てくれている人はいる。それはたぶん私のジメジメと共鳴する人たちで。そのジメジメを研ぎ澄ましていきたいですね。

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山口奈々子・やまぐちななこ
1994年、東京生まれ。両親の仕事で6年間を上海で過ごす。武蔵野美術大学芸術文化学科を卒業後、雑誌社に編集として勤務。現在はフリーランスのイラストレーター、ライター、編集として活動している。趣味は寄席に通うこと。佐久間茜、高木花文と一緒に、食べ物についてのあれこれを取り上げたフリーペーパー『FOOD COURT』を月に一回発行中。2020年11月20日から初個展『ESPER』を開催予定。
https://www.yamaguchinanako.com/
instagram→@nnk0107
note→nanako0107
お仕事依頼はこちらから→bananako37@hotmail.com

(文・李生美)


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