見出し画像

【第7回】新しい場所のはじまり

2016年9月23日、ついに新しい場所「Fountain Mountain」がオープン。ここまでいろんな仲間たちに支えられてきた。試行錯誤しながら手探りでのハンドメイドな活動がようやく始まった。接客、集客、会計、販売、どれもが人生初。ハンドドリップのコーヒーを辿々しく入れ、引きつった笑顔で接客をしていた。

画像1

オープンに東京から佐賀まで集まってくれた仲間たち

画像2

地元の神社にお願いして、開所の祈祷をしたはじまりの日

幸い、東京と違ってこの辺りは人が少ない。商売としてはヤバいが、よちよち歩きの俺にとっては助かった。しかし日が経つに連れて、不安になる。客が来ない...。カフェスタッフも不安の色を隠せない。俺と運営ディレクターになってもらったEは「大丈夫、大丈夫〜」といいながら内心は不安でいっぱいだった。

本職はデザイン。クライアント以外の不特定多数の人とのやりとりなんて全く経験がない。ましてや、俺は人見知りときた。クライアントのことを発信することの手伝いをすることはあっても、自分たちのことを発信するという考えが全くなかった。変なプロ意識が邪魔をしていた。しかし、自分たちで店をやる以上、そうは言っていられない。

月何回かのイベントをやって、SNS、地元のケーブルテレビ、新聞、ディレクターのEはいろんな家を廻って、チラシのポスティングもやっていた。できるものはなんでもやった。

インスタグラムなどのSNSの効果があって、次第に存在を知られるようになって、ぼちぼちだが、客も増えていった。特に県外の人たちが多くなってきた。

しかし、地元の人たちはなかなか来なかった...。

この街に毒を盛ろう

この場所を開く前に、俺はこう考えていた。「この街に、毒を盛ろう」と。

本当に毒をばら撒くワケではなく、この街にとってなにか刺激になるような存在でいたいと勝手に思っていた。

有田町は陶磁器のまちで、クリエイティブの感覚が町中に溢れていた。そこに住んでる人たちもクリエイティブのDNAが備わっていた。デザインをやっている俺とは親和性が高い。だからこそ、いろんなクリエイティブの刺激をこの街に投下できるんじゃないかと考えていたのだ。

毒を盛る以外にはこんなことを考えていた
・自立した人たちとのつながり
・街の雰囲気に飲まれない
・街で変わってると思われる人との出会い
・街の系譜を探る

いろんな人が行き交う、開かれた場所を作ろうと思っていたのだが、なかなか思うようにいかない。いま思うと、開こうと思っていた自分は完全に鎧を着て戦闘態勢だったのだ。

漫画『バガボンド』で例えるなら、刀で力任せに斬ろうと奮戦していた武蔵のようだった。そりゃ柳生石舟斎のおじいちゃんに笑われるよね...。

パブリック・スペースを学んできて、実践してやろうと思って行動したが、頭では理解していながらも、心の奥底では「地域を変えてやろう」という自分の傲慢さを思い知ったのはそれから数年たった後だった。

自分が不完全であることを認める勇気が必要だ。人間は不完全だから努力するのである。 
by アルフレッド・アドラー

ドタバタではじまり、奮戦した中でも、不思議な縁や、嬉しいつながりも生まれ始めていた。そして、東京での感覚のギャップも...。

(つづく)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?