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066「グロッケンシュピール」

 ディーガンのグロッケンシュピールを、白いプラスチック製のマレットで打鍵する。冷たい音が、ちいさなウィンドオーケストラを侵食する。取手つきの黒い箱に、グロッケンシュピールはおさまっているが、あまりにも重いので、取手がはずれないように、取手を持ってはならないことになっている。箱のなかで、プラスチック製のマレットと真鍮製のマレットが、がらがらころがる音がする。


 極東の、名も無い楽団の片隅で、この高級な数十枚の鉄板は、グロッケンシュピールという名前を与えられることも、ただ、ひどく重たい、鉄の塊に過ぎないこともある。そうして、わたしが、彼を、打鍵しなければならないとき、鉄板のうえに、城壁のような波紋がひろがってゆくのを、黙って、みつめていることは、ゆるされないのだ。


 楽団に、打楽器群を演奏できるものは、わたしだけであった。だが、手があいている、たとえば、クラリネット吹きの娘に、グロッケンシュピールを、演奏させなければならないこともあった。それは、冒涜と、恐怖であり、それでいて、避けられない唯一の道であった。


 あるとき、クラリネットの娘が、突如、きわめて流麗にマレットをあやつる瞬間をみた。それは、ごくわずかな違いであったが、わたしには、明白であった。プラスチックと真鍮の、二対のマレットが、娘に、恋をしていることは。


 わたしは、マレットの心を取りもどそうと躍起になって、ひとり、冷たい波紋を見つめつづけた。だが、そうすればするほどに、彼らは、決意を硬くしてゆくようだった。


 冬の日の夕方、娘が、マレットと性行為をしているのを、わたしは、目撃した。血で茶褐色に濡れたマレットが、はげしく、娘に、侵入していたのだ。わたしは、呆然とそれを眺め、世界は萎びていった。覗きの罪を着せられ、わたしは、楽団を追放された。


 ある晩、楽器庫に忍びこむと、グロッケンシュピールは、変わらずそこにいた。蓋をあけると、見知ったマレットはなく、わたしは、指の関節で打鍵した。変わらぬ波紋が見え、鉄板たちは、いまだにわたしとともにいることを望んでいるように感じられた。わたしは、ゆっくりとほほえんで、鍵盤を丁寧に箱から引きはがすと、一枚ずつ、口づけるようにして飲み下していった。

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