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054「封筒村」

 あまりにふるい話で、記憶はないのだが、封筒の名産地である村で、わたしは、生まれたという。山の向こうからやってきた産婆が、わたしをとりあげ、以来、わたしは、この村を出たことがない。村では、どの封筒も、きわめて正確な寸法でつくられ、あらゆる紙が、毎日、村へ運びこまれる。桜並木の、不自然にその一角だけ整備された、工房につながる道を、子どもらとトラックが進んでゆく。いつからか、封筒工房には、蜂の巣ができていて、数人の職人が、蜂にさされ、ひとりは、意識をうしなう。意識をうしなった職人は、くらい布団に寝かせられながら、アノマロカリスの夢を見る。古代の海を飛行するバージェス動物群を眺め、メレンゲのような水中の雲の奥に漂う古細菌群の亡霊。封筒の接着には樹液が使用される。両親は、癌で死んだはずだが、都心で発生した玉突き事故の死者のなかに、両親の名前があることに気がつく。


 工房の名簿からも、いまだにふたりの名は消えず、わたしは、ある新月の晩に、工房に不審火を放ったとして、布団からうごけぬまま、工房から、追放されている。それでも、両親の名は、職人の名簿に残りつづけ、墓ばかりが増えてゆく。


 絶えては話すこともなかった、育児放棄の両親に、墓をつくりつづけなければならないのは、ひどく、屈辱的である。工房でつくられる、おびただしい数の封筒を抜きとり、山の向こうの葬儀屋に手紙を出さなければならない。断裁機で指を失った未亡人が、父と不倫していることすら聞きかじる。父と、その未亡人が、箱根の宿で、もつれるように、部屋へはいってゆくのを、見たという職人がいるのだ。
父母が、どのようにして、この村にやってきたのか、今となっては、知る由もない。知らないが故に、殺すこともできず、蜂の巣は、大きくなってゆくばかりだ。あるとき、わたしの体内に、数匹の蜂の子が寄生していることがわかる。どうにか除去された蜂の子は、封筒に入れられ、都心の研究所に送られる。雅な封筒だと、研究者たちに褒めそやされ、まもなく、捨てられる。

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