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028「マリーゴールド/鯨の歌」

 口に含んだ黒鮪の刺身から、オリーブ色のペリドットの小さな球がころがりでる。刺身になった黒鮪が呑みこんだのか、誰かが調理の過程で刺身に埋めこんだのか、ペリドットの球は、ともかく、わたしの口腔に鮪の脂とともに流れおち、刺身とともに胃のなかへ消えた。


 市場の海鮮茶屋の奥には、板前が趣味で集めているのだというバス停の標識がならんでいて、真新しいものや、錆びついたものもあるが、すべての標識の表面にアルミホイルがまかれていて、わたしにはそれぞれの標識がどのバス停を示しているのかわからない。


 茶屋の外では、子供らが悪魔に扮装し、ジャック・オー・ランタンがぶらさがる街灯の下を練りあるいている。海風は、光を腐食させてゆくのだと、板前は、常識のようにつぶやいている。


 ああ、わたしはこれから笑顔ばかりの通りに出て、団子屋の看板をおろさなければならない。団子屋の親父は、わたしの母と不倫したことがある。母は、そのことを誰にも告げなかったので、わたしはそのことを知らない。この親父は、団子屋をやめたら、ベトナムに行って売春宿に泊まり、楽器を習うのだと吹聴している。一週間後、親父は、在庫の団子をまとめて食べようとした拍子に、喉につまらせて死ぬ。同じ頃に、流れ星が街の上空を通過し、わたしの象徴の粘膜に、胃酸でけばだったペリドットが引っかかり、避けるような痛みにわたしはもだえている。マリーゴールドの種が、母から郵送されてくる。母の家庭菜園に、誰かが、まぎれこませた苗なのだという。苦痛ばかりの意識の表面に、しばらく、団子屋の親父の顔が残りつづける。


 季節がずれの台風が近づく、灰色の十一月。海岸に、ザトウクジラの死骸が打ち上げられる。気候変動が原因であると報道がなされるが、わたしは、小腸のペリドットが、元は彼らのものであったことを、涙とともに悟る。腹をにぎりつぶすように押さえながら、海岸に横たわったままの、彼の口の中にもぐりこむ。中には、おびただしい数の虫が蠢き、すこしずつ、わたしの肉体は食いちぎられ、侵食されてゆく。



(本文は以上です。投銭いただけますと、私の夕食がすこしふえます)

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