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038「トワイライトエレファント」

 つめたい保険屋の床に、一匹の象がいる。誰も象のことを話さず、象が邪魔なそぶりも見せない。象は、証書を一枚ずつ、長い鼻で器用に捕らえ、咀嚼している。雑居ビルの一室にある保険屋のことを、誰も気にかけないまま、壁にも床にも、ひびがはいっている。


 象の巨大な糞の記憶の中で、保険屋は別れた妻とともに流氷をみる。断層の真上にねそべる、造花の都市で、妻は、保険屋の鳩尾に鍵の束を投擲する。妻の部屋に、無数のクロアゲハがとび交っている。


 駅前の成城石井まで買い物に行くために、少年たちは、倒れながら歩いている。煤けた自動ドアは、しかし、隙間もないほどびっしりと茨がからみつき、誰もなかにはいることができない。陽がかたむく時刻がはやくなっている。車道の中央に、少年たちは、列をなし、寝そべっている。通行者は徐行する。停止しようとする車両はない。数人の頭部は、大型車のタイヤに粉砕される。坊主頭の保険屋は、象の横にすわり、怒声の電話を聞き流してゆく。街じゅうの建物に、象が住みついている。街ぜんたいが、巨大な象の背中に乗っていることを信じるものばかりだ。駅のホームに、8両編成の電車の群れがあらわれる。線路を唐突にはずれ、小学校のちかくの踏切から、轟音をあげ、県道を無惨に進み、家屋を次々に破壊してゆく。少年たちは、しずかにわらったままでいる。激しい汽笛がなる。


 電車が破壊した舗装路面の奥から、海牛の化石がのぞいている。あかい陽光が、無数の象の死骸を照らしている。数人の新聞記者が、動かない街の写真を撮ってまわる。「種の絶滅をもたらした罪人」と題した記事が、翌朝、国じゅうにくばられ、平均的な関心を得る。

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