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023「ローラは祐一が幽霊になるのを見た」

 松林の中に、誰かの墓があった。どこにも墓碑銘はなく、苔むしている。墓の精密な彫刻というのは存在するのだろうか? 高校生の頃、同級生の女の子たちがわたしの髪をよく触りにきた。わたしは触らせたこともあったし、拒否したこともあった。一切は、ただの気まぐれだったのだが、みんな勝手に理由を類推して、ちょっとした噂になることもあった。触らせてくれなかった人は不潔だと思っているとか、悪霊が憑いているのを見抜いているとか、そもそも贈り物をした人にしか髪を触らせないことにしているのだとか。

 池袋の高層ビルの中に入っている服屋に時々行くが、買えるような服は全くなかった。一人で青森を飛び出して、考えうる限り最も貧しい家に住んでいる。キュウリをよく食べる。ごま油と鶏がらスープとの相性がこのみだった。


 転売屋がチケットを売れなくなって大損しているというニュースが流れている定食屋で、わたしは昼食に牛丼を食べた。祐一は昼になっても起きてこなかった。吉野家の牛丼よりも肉が分厚くて、味も甘くなく、濃厚で美味だった。白ごまと糸こんにゃくもあった。金髪は田舎で目立つかと思っていたが、ここではほとんど顔なじみで、注目されることはほとんどなかった。


 くりかえされる諸行無常。祐一が倉庫の魔槍の箱に触ったというのでひどく怒られていた。わたしは、少し悲しい気持ちになったが、すぐに気を取り戻した。おそらく、祐一は怒られたりしてもへこたれない馬鹿みたいな意志を持っているのだ。
だが祐一は頭痛がひどいといった。すぐにわたしは、祐一の頭蓋骨を砕こうと後ろ足で蹴り上げている一匹の美しい馬の亡霊を見た。


 主君に仕える気持ちをいつまでも忘れていないのだろうか。どうしても、彼、あるいは彼女のことが忘れられないのだ。それほどまでに、強い絆で結ばれていて、主君の死に際は、勇ましく、むごたらしかったのだ。


 馬は大きく切れ上がった卵のような瞳を祐一に向けている。瞳は深く、炭火のように黒をたたえ、かすかに赤みを帯びている。
 祐一はほどなくクモ膜下出血で死んだ。わたしも、母も不思議には思わなかった。父は、亡霊である。墓参りには年に一度行く。亡霊の馬は、そうして、わたしを見つめて立っている。白くぼんやりと光って見える。わたしは、少しずつ涙が流れる。


「電球の交換をしなければ」というのが、結果的に父の遺言となっていて、父は口には出さないがそのことを気にしている。刈り込まれた白髪頭をかりかりかきながら、不意に唇を尖らせていたりする。


 朝から母が出かけて、父もそれについていったので、わたしは急にやることがなくて、テレビを見ながら自慰行為をしてしまった。すると、馬がしずしずとやってきて、物珍しそうにこちらを見ているので、すっかり恥ずかしくなり、一日中自分の部屋で過ごした。そうこうしているうちに、ひどいめまいがして、大雨が降ってきたことを告げた。


 海底の熱水噴出孔のそばで、白いエビがプランクトンを頬張っている。わたしは翌日から、また水族館の仕事に戻った。



(本文は以上です。投銭いただけますと、私の夕食が一品ふえます)

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