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虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #10

まだまだ陰鬱な話が続く中学2年生の頃の話だがもう少しだけ付き合ってほしい
これまた少し恥ずかしい話なのだが、大人になった今でも好きなマンガのキャラクターがいる
ワンピースのサンジだ
トレードマークはタバコにスーツに蹴り技の海のコック
憧れていた部分が大きいのだ
今でもチェーンスモーカーだし、スーツは好きだし、気づけば料理も特技になっていた
そして蹴り技なのだが、中学の頃にひっそりとテコンドーを習い始めていた
身体の柔軟性から器械体操をやっていた自分にはシナジーの高い組み合わせだった
しかも生まれて初めて自分の意志で、何かをやってみようと考えての行動だ
その甲斐あってか4年間の器械体操教室では伸びなかった身体の柔軟性がたった2か月でとてつもなく伸びた
足は前後、左右どちら180度開脚できるようになり
自主的なトレーニングもできた
人間は嫌いなことを嫌々できるようには設計されていないのだ。

嫌な事は誰にどう思われても断り、そして周囲を説得するだけの道筋立った話をつけられるだけの能力を持たなければ、人間はダメだ
それが出来ないのなら親さえ捨てろ、他の方法は知識と機智さえあれば実ははいくらでもあるのだ。

こんな風に偉そうな事を言っているが、俺は当時まだ無知で、勇気がなく、そして何より力が足りなかった
知と力さえあれば打開できない問題などほとんどない
小学、中学とここまで苦しみ、そして世を呪うくらいならいくらでも他に建設的な方法があったのだ
小学生で虐待されていることに気付きながら、教師はもちろん、児童相談所に電話を一本入れる発想さえ俺にあれば
俺の身柄は保護され児童養護施設で安全に暮らすことができた
何もしなかった俺が非力で弱かったのが悪いのだ。

弱ければ自分を苦しみから救うこともできない
弱ければ、本来自分より弱く頭の悪い人間にさえ潰される
弱ければ怯えながら暮らすしかない

強くあろうと努力をしない個人が悪い、理不尽はある意味この世界で唯一のフェアで当然のものだ
そして悪いことが降りかかる時、その原因や責任の元をよくよく辿っていくと
結局は自分が原因だった事がほぼ全てだったと今の俺は気づいた。

力といっても暴力などの短絡的で自分に実害が返ってくる方法ではない、頭を使い、知力を振り絞り、したたかに振る舞う
これが力だ。

法や倫理など関係ない、理不尽も関係ない
正しい努力が出来なければ実益は得られない
イジメられたり理不尽な行動をしたものには“この世界の本当のルール”を思い出せてやればいい
「他人にされて嫌なことはしない」
それだけだ
その理由も説明しよう「人を殺してはいけないのはなぜか?自分が殺されたくないから」だ
「他人に親切にしなさい、なぜか?他人に不愉快にされたくなければ」だ
鶏が先かタマゴが先か?答えて見せよう
鶏が先だ

イジメられたのなら、素直にイジメられたと認める強さを持とう
自分が情けなく、弱い立場にいるダサい事実を認める事
それが一番の強さだ
そして親や学校が許さなくても俺が許す、徹底的にやってやれ
5人にやられたなら通学路で待ち伏せし
一人、一人、5人全員、リーダー格に近い人間から自転車で突っ込むか助走をつけた飛び蹴りを入れてやれ
倒れたら泣くまで踏みつけろ、俺と少年法と、学校も実は味方だ
中学生までならただ反省文を書くだけのちょろい問題さ、その程度で少年院に入れられたりはしない
何故なら凶器を使っていないから法に引っかからない、これが知力だ
それで問題は解決する
10人にやられたら10人全員だ、この文章は犯罪の助長をしているわけではない
結果の早く出る合理的な解決方法の一つを提示しているだけだ
本当に何か問題があって解決したければ俺のTwitterかnoteにコメントしてくれれば力になるよ、それも“力”でしょ?

話を戻そう、今現在、仲良くしている23歳の男友達がいるのだが
年収は3,500万円ほどで貯金が1億ある友人なのだが
俺より遥かに酷い虐待を受け、母親に“勉強をしないから”と言う理由で手を包丁で切られたり、姉と二人で10代の頃西から関東まで親から逃げて来たという壮絶な過去を持っている
児童養護施設にいた時期もあるらしく
NHKの番組の「おかあさんといっしょ」が流れると全員でブーイングとヤジが飛んでとても楽しかったらしい
俺にも施設に入る知力があれば経験できた話だ

だが悔やんでも意味はないし、悔やんでいる訳ではない
その時に解決できるだけの力が無い人間が俺を含めて悪い、そこが要点だ
したがって物心がついて自分で考えらる頭を持った瞬間に全ての責任はその個人にあるのだ
なんだかんだ言って人間はその時々のベストを尽くしていると俺は思う
これは「今現在10代だが方法がわからず感情の面で落ち込んでいる人に向けた文章」なのだ。

話がさらに戻るが
情けないことに自分の意志で始めることができたテコンドーさえ
当時の俺は逃げるように辞めたのだ
両親の離婚にかこつけて、師範や先輩に未成年の喫煙者であることを黙っている事が
まるで酷く罪の重い隠し事のように思われ
後ろめたくて、だけどタバコは吸いたくて、隠すしかなくて
嘘が嫌いな自分にはとても辛かったのだ

だからこそ、今回の文章に納得できない人が多くいるのも理解しているよ
割り切れないよなぁ、割り切りたく、無いよな。

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