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虐待や不登校や不眠症や薬物依存の子供がプロ占い師の幸せな男になるまでの話(仮) #4

今まで、辛い経験だけを書いてきたが、全てが全て酷かった訳ではなかった
父が会社の立て直しに成功したお陰で家には金があった
夏休みに海水浴場に行った記憶がほとんど無いのだが
父がクルーザーを所有していたお陰で夏休みは広島湾にある無人島で海水浴を楽しんでいたからだ
俺が船の帆先に座った状態で父が猛スピードで船を走らせてくれた、まるで命綱の無いジェットコースターのようなスリルのある遊びを味わえた
一階の工場を綺麗に掃除し、ブルーシートを敷いて車座になって会社の社員達と大勢で焼肉を楽しんだり
仕事納め後の正月は裏に住む伯父や祖父母も含めて千景一家で餅つきをしたり
楽しい時は楽しかった

過去そこにあった幸せまで否定し、不幸な事だけをカウントすれば
どんな人間でも自己憐憫に満ちた不幸な人間になってしまうものだと思う
「自分の人生はいい事が一つもなかった」
そう言いたい人はいるだろうがそんな人間は存在しない。

だがそれでも過去の自分が悲観的で被害者意識の強い人間だったのは事実だった
小学校中学年からは、体の柔軟性が高い事もあり器械体操を習うことになった
バク転とかできたらカッコいいな、そういう思いはあったかもしれないが
正直これも楽しいとは思わなかった
大きなデパートの上階にあった体操教室は、色んな年代の他校の子供がいた
子供の方は特に問題はなかったが、その親達の“声”が嫌だった
大抵の子供たちの母親がデパートで買い物をし、そして教室が終わるまでそばで見学していた
それが耳障りだった「わあ」とか「すごい」などの感嘆詞以外にも
俺が指導員に叱られる時などに笑ったり、茶々を入れるような雰囲気が死ぬほど嫌だった
気が散る、不愉快、苛立つ、集中できない
まだ子供の無知さも手伝って母親に向けて「あの人たちを訴えたい」とまで言っていた
それが原因か3年間ほど習っても結局俺は、側転、ロンダート、ハンドスプリングや一部の鉄棒の技などは出来ても
バク転やバク宙を習得することは出来なかった
体操教室には年子の弟も同時期に通っていたのだが
自宅での暴力も相まって次男には酷く嫌われていた、弟も子供時代は俺と同じく被害者意識が強かった
俺としては弟のことは好きだったのだが、俺は楽しいも悲しいも遊ぼうと言う誘いも暴力でしか表現できなかった
弟はいつも喧嘩になると暴力は使わず口喧嘩で俺に向かって「生きる価値無し」と言っていた
体操教室でも一緒に行くことは無かった、近寄るだけで毛虫でも払いのける様にあからさまに嫌な顔をするので
別々のバスに乗って帰るしかなかった
体操教室の先生達は「なんで一緒に帰らないのかわからない」と良く言っていた
一緒に帰れるものなら帰りたかった。

家では3年生の時も4年生になっても居場所はなかった
長男なのに弟二人と会話することはほとんど無かった
次男は三男と一緒に居て、長男の俺は居ないものとして扱われた

そんな頃、テレビで子供の虐待について取り上げた番組を目にした
それまでは自分が人を殴るから、遅刻をするから、父に殴られ、母に拒絶されていたと考えていた
自分が悪いから、俺がダメな人間だから、そう思っていた
だがテレビの中に出てくる子供が親やクラスメイトが急に手を振り上げた時、とっさに顔や頭をかばってしまう姿や
うちでも当然の様に親のしている行動が“虐待”として問題のある行為として紹介されていた
その時初めて知った、俺は“虐待”されていたんだ、と
とっさに体がビクッと反応し頭をかばったりなどは毎日だったし、両親の言動や行動こそが異常だったと知った
そんな人たちに異常者扱いされていたのかと思うと、それまでの責任などが全て馬鹿らしくなった
なんだ、俺は“被害者”だから悪くないんじゃん、あいつ等が悪い、あいつ等が全て悪い
俺は全く悪くない、そう思うようになった
低学年で“悔しさ”や“本気を出す”事を失い、今度は“責任を感じる”ことまで失った俺はどんどんと歪んで行った

小学5年生になった、後で同窓生に聞いた話ではこの頃から「丸くなった」と言われていたらしいが
それは少し違う
「俺は悪くない、父親が全部悪い」そう思い込むようになったから、一切の反省や自己否定をせず
全てを父のせいにし始めたため、自責によるストレスが減っただけでしかなかった

その頃には学校には10時や11時に行くようになっていた、担任は大谷先生に戻っていた
授業は基礎をやっていないために理解できず、やる気もなかった
授業のほとんどの時間を机に伏して眠って過ごした

そんな学校生活を送っていた時、昼休憩の時間に家庭科準備室にあったエプロンのしてあるトルソーの首を
俺は裁縫ばさみで突き刺した、なんのことは無い、いつもの奇行や破壊でしかない
学校の大半のものを壊してきた自分にとってはいつもの軽いストレス発散でしかなかった、だが
これを復讐の好機と見つけたり、とでも言うように、それを知ったミサキが教師に告げ口をした
人型のものを刺した、異常者という事に仕立てあげるにはうってつけだったのだろう
小賢しく卑しい報復だったが、この件を教師は深刻に捉え、親に連絡した

そして俺は母に精神病院に連れていかれた
日頃から陰湿で口の悪い母に「キ〇ガイ」と言われていたが
いよいよ本格的に異常者扱いされ非常に腹が立った
興味のないことはそもそもやらない為に勉強の実績などは少ないが、自分は賢しい子供だったので
やらされた心理テストで本音は半分程度しか出さず、ロールシャッハテストには理知的に答え
家を描いてみて、と言われた時はわざと真っ黒に塗りつぶした、いかにも異常者らしい家を描いてやったが
知能も精神も全く異常はなかった
ただ過度のストレス状態にある、それだけだった

なんだ、やっぱり俺は悪くないんじゃないか。

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