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ドイツ旅行2017

2017.09.16-24
大韓航空(ソウル・仁川経由)


ドイツ再訪

前年(2016年)に引き続いて2回目のドイツ旅行。
今回の主な目的は次の通り
・西ドイツ政府の核シェルター跡
・フェン鉄道 Vennbahn の廃線跡めぐり
・塩の山・モンテカリの登山ツアー
・Puttgarden-Rødbyのフェリーでデンマークへ
・海中鉄道(Nordstrandischmoordamm) ※去年行けなかった路線

前年の「行きたい」が溜まりに溜っていた時と比べたら、今回は目的地が少なくなっている。それに前年に行こうと思っていて行けなかった所や、旅行中に気付いてまた来ようと思った所がいくつか入っている。ちなみにRWEのガルツヴァイラー露天掘り炭鉱のツアーは前年も行ってはいるけれども、開催日と旅行日程が重なっていて、同じドイツ国内にいながら見過ごすこともあるまいということで旅程に組み込むことにした。
フランクフルト国際空港IN/OUTで、空港でレンタカーをピックアップして車で移動。
現地SIMは使わないので常時ネットは利用できないけれども、ホテルにはwifiがあるので夜ネットにつないで情報収集と翌日のホテルの予約を入れる。
前年の経験があるので、ホテルも前回と同じところにリピートする傾向も。

前回は中国国際航空にしたのだが、今回は大韓航空を利用。中国だとトランジットであってもパスポート確認とか手荷物検査が厳重だったので避けることにした。
ところが北朝鮮情勢が緊迫してミサイルが飛んできたり、最後までハラハラさせられた。


ちなみに前年(2016年)の旅行記はこちら


1日目(2017.09.16) 移動日

インチョンで乗り換え。ボーイング747(B747)が駐機していた。日本の航空会社(日本航空、全日空)では2014年に全機引退していて、国際線で他国の航空会社でないと乗ることができない機種になっている。インチョンからフランクフルトまではそのB747でのフライトになった。

大韓航空の機内食(エコノミークラス)はビビンバが出て、チューブ入りのコチュジャンが付いてくるというのはもはや定番。

フランクフルト空港への着陸体勢に入ってどんどん地上が近付いてきたと思ったら、見覚えのある白い山が見えてもう大感激だった。これは塩類を採掘しているノイホーフ(Neuhof)の塩山。ドイツ語でモンテカリと言う。今回は、ここではないけれども、ヘーリンゲンのモンテカリで「登山」ツアーに参加するつもりだ。

2017.09.16, ICN-FRA, KE905, B747-8

フランクフルト国際空港でレンタカーピックアップする。相棒はミニクーパー。

そのままTroisdolfのホテルまで。走行距離 186.8km
ドイツの初食事はアウトバーンのサービスエリアの食堂で。

宿泊地:Troisdolf の Holiday Inn Express
昨年泊まった時はいきなりオーバーブッキングで他のホテルに振替になってしまったが、移動のタクシーの手配とかきちんとしてくれたし、なによりも交通の便が良いので、リピートした。今回は特に問題なくスムーズにチェックインできた。とりあえず2泊する。最終日にまた戻ってくるけど。
ロケーションが良くて使っている宿。

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2日目(2017.09.17) 政府核シェルター跡とガルツヴァイラー露天掘り炭鉱

朝5時過ぎには目を覚ます。日本時間では12時頃か。サマータイムのため日の出は7時頃。外はまだ真っ暗。少し早いけど、この後、身支度と、今日の行程の組み立て、6時半から朝食という予定を考えると、そんなにゆっくりもしていられない。

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午前中は旧西ドイツ時代の政府核シェルター跡を見学しようとアール渓谷に向かう。道に迷って行き過ぎてしまうが、アール渓谷沿いのぶどう畑を見ることができて良かった。怪我の功名というやつだ。

さて、本来の目的地である旧西ドイツ時代の政府核シェルター跡の話。
冷戦下の西ドイツ、もし西ドイツが戦争に巻き込まれるとしたら、それはヨーロッパにおける東西全面戦争を意味していた。国境を越えて(単に東ドイツ軍だけでなくソ連軍を中心とした)ワルシャワ条約機構軍が雪崩れ込んでくるのに対して、駐独アメリカ軍も加わったNATO軍が反撃を行ない、西ドイツ地域では各地で地上戦が繰り広げられる。冷戦とは核の恐怖の時代であった。戦術核も容赦なく使われることも当然のこととして想定しておかなければならない。
そうなった時、ボンの西ドイツ政府の機能は速やかに南に20kmの地点にあるこの政府核シェルターに移転される。その時点では西ドイツ軍は既にNATO軍の指揮下に入っているはずだ。
政府核シェルターには、冷戦下の西ドイツが置かれていた政治・軍事的な立場が生々しく反映されていた。

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午後はガルツヴァイラー露天掘り炭鉱(前年に引き続いて2回目の訪問)

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ガルツヴァイラー露天掘り炭鉱の一般見学会参加後、田舎道をドライブしていたら畑の脇に何やら積んであるのを見つけた。これは、地理の授業で寒冷地の栽培作物として出てくる甜菜(てんさい)だとすぐにわかった。この芋みたいな(大根に見立てられて「砂糖大根」と呼ばれる)根から砂糖を抽出する。

宿泊地:Troisdolf (前日と同じ)

3日目(2017.09.18) フェン鉄道(Vennbahn)の廃線跡

朝のちょっとした余興ということでライン川のフェリーを使ってみる。前の晩地図を眺めていて見つけた。宿泊地のTroisdolfからほど近く、ルート上に当たるからそんなに時間のロスにもならない。料金は普通乗用車で2.30ユーロだった。

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ハイムバッハ Heimbach

ルーアダム Rurtalsperre に立ち寄る

Rurtalsperre は地名の Rur とダムを意味する talsperre が複合していて、talsperre はさらに谷を意味する tal と塞ぐという意味の sperre が複合している。ちなみに、tal は地名ともくっついて、ネアンデルタール(ネアンデルタール人の出土地!)は Neanderthal でネアンデル谷という意味だし、ヴッパータール(懸垂式モノレールで有名)は Wuppertal でヴッパー谷の意味になるから、どこで区切るのかややこしい。

フェン鉄道 Vennbahn の廃線跡

モンシャウ Monschau でレンタサイクルを借りてめぐったけど、気が付くと50km走っていた。まわりはドイツ領だけれども、サイクリングロードの部分だけはベルギー領。そういうへんてこりんな紐状の領土なのだ。ドイツ旅行と言いながらほとんどをベルギー領内で過ごした一日だった。
夕方になって雨が降ってきて、レンタサイクル返却のあと少しというところでずぶ濡れに。

帰りに、地方道沿いの林の中に三角形のコンクリートブロックが並んでいるのを見つけた。思わず「あっ!」と声が出てしまったくらい驚いた。それは、第二次世界大戦時にドイツが西部戦線の国境線を防備するために設けた対戦車防御帯 Höckerlinie だったのだ。「龍の歯」 Drachenzähne という呼び方の方が知られているかな。

今日の宿泊地までは、アーヘンに向かって行ってその後A4経由で88km。移動距離は大したことないのだが、事故渋滞に巻き込まれてかなり時間がかかった。

宿泊地:Frechen
旅程的にはTroisdolfの常宿に連泊してもよかったのだけど、この日は宿泊費がバカ高い値段になっていたので(海外の宿では時々ある)、ケルン西郊のFrechenのビジネスホテルにしてみた。A1, A4にアクセスできる便利な場所。写真見てみたらibisだった。

夕食はホテルのレストランで。ビールがいいんだけどって言ったら、お店のおねえさんがthis placeのってお奨めしてくれたケルシュナーのSion

食事は無難にハンバーガー

4日目(2017.09.19) 3点国境

前日の夕方から降り出した雨は上がらずに、霧雨のような感じで続いている。今日の行先は特に決めていなかったが、昨日サイクリングをしたフェン鉄道の沿線の街 Roetgen で見逃したものがあったのでそこに行くことにして、とりあえず西に向かうとする。

宿の朝食

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ハンバッハとインデン露天掘り炭鉱、両方立ち寄ってみたけれど霧雨の中。テンション上がらない。

ハンバッハ炭鉱の展望台からの眺め。表土を掘り下げて行って、中央部に石炭の層が黒々と露出している。霧雨で霞んでしまったけど、晴れてて端まで見渡せたらよかったな。

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インデン炭鉱の展望台から

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ここの展望台は形が凝っていて、人の形をしている。名付けてインデンマン

Roetgenの街に戻って来た目的の1つは、これ。フェン鉄道のベルギー領で分断されたドイツを体験してみたかったこと。昨日はこの橋の上を自転車で通り過ぎたのでずっとベルギー領にいたわけで、今日はドイツ側の気分で立体交差を潜り抜けてみようというわけだ。

そして、もう1つの目的は写真右のオベリスクの写真を撮ること。上に鷲の紋章が付いているが、少し説明が必要だろう。
写真は3つまとめて並べてみたが、これらはプロイセン帝国時代の里程標(マイルストーン)で、町や村に設置されて主要都市までの距離を示していた。うっすらと文字が見えると思うが、一番左のものはケルンまで3マイルということを示している。上に付いている鷲の紋章はプロイセンのものである。
実は2日前にStetternichという村で一番左のものを見つけて、昨日はモンシャウからの帰り道にKonzenという町で真ん中のものを見つけて、一番右のRoetgenのものも実は昨日見つけていたが既に夕暮れだったのと雨が酷くて一度は諦めて今日リベンジしたというわけだ。
特に探しているわけではないのに、自然と目に入ってくるというか、そもそも偶然にしてもよく石碑がある道路を通っていたものだと思う。それも3つ連続して。何か強運を感じて(これで運を使い果たしてしまったような気もするが…)、なので、せっかく見つけたRoetgenのものも写真を撮っておかないといけないと思って再訪したわけである。
日本でプロイセン時代の道路制度史を調べている人っているのだろうか?ぐらいのニッチでマイナーなコレクションだが、3つ集めたのだから、次またドイツに行く時は4つ目を探してみようかなという気にはなっている。

Roetgenで本日最大の目的は果たしたので、次はどこに行こうか思案した結果、ドイツ・ベルギー・オランダの国境線が1点に集まる3国境点へ行くことにする。
こう書くとまたマニアックな場所のように思えるかもしれないが、それなりの観光地のようで、ひっきりなしに人が訪れていた。

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ベルギー領に入って Moresnet-Chapelle という街も散策。Moresnetの鉄道高架橋も見る。この地にあった中立モレスネの存在を知らなくて、この時は素通りしてしまった。地元の博物館に詳しい展示があったらしい。

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アーヘン郊外で龍の歯を見つけた。

宿までの移動距離は320km程。ケルンの都市圏を横断してキルヒハイム Kirchheim という小さな町まで移動する。幹線軸から外れたルートになるので、道を間違えないように気をつけないと。

宿泊地:Kirchhelm
前年(2016年)に1度泊まった宿にリピート。KirchhelmはA7にA4とA5が交わる交通の要所。ただし宿自体は町から車で15分程の所なので、昨年初めて来たときは真っ暗な山の中に向かうのが心細かったが、今は勝手知ったる道。インターチェンジを出たところにスーパーがあるのもわかってる。そこで買い出しをしてからホテルに向かう。

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5日目(2017.09.20) フルダ散策とヘーリンゲンのモンテカリ登山

フルダは歴史ある街だとは思っていたが前回は時間がなくてスルーしてしまった。今回はフルダギャップの話も知って、興味が湧いて訪問した。

フルダの街に入って、立体駐車場に車を停める。日本だとバックで入れるけど前から突っ込んでそのまま駐車。こういう些細なことでも、海外旅行だと新鮮な体験になる。

フルダは領主がいた街で、オランジェリーがあったのは収穫だった。オランジェリー(Orangerie)とは17-18世紀のヨーロッパの宮殿に見られる、鉄とコンクリートが用いられる以前の建築様式で作られた「温室」(イギリスの水晶宮が1851年なので、それ以前の建築様式)。果物のオレンジから来ている言葉で、寒冷な中部ヨーロッパでは温暖な土地で育つオレンジに対して特別な憧れがあった。領主の威信財であるとともに、その時代のヨーロッパ上流階級で流行ったエキゾチシズムの表われでもある。
オランジェリーを知ったのも前年のドイツ旅行の時で、その時は、フェロポリスへ向かう途中のOranienbaum-Wörlitzという小さな町で見かけた。

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午後はヘーリンゲンの塩の山・モンテカリ登山ツアーに参加

この後は北に向けて大移動。宿までは420km

宿泊地:リューベック(Lübeck)
ドイツの中部から北部までの長距離ドライブ。到着が深夜になるので、チェックイン時間が遅くなっても大丈夫な国際ホテルチェーンを選択。予算はちょっとオーバーだが、仕方ない。

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6日目(2017.09.21) デンマークへ

今日はPuttgarden-Rødbyのフェリーに乗って、デンマークへ足を伸ばそうと思う。車はドイツ側に置いておいて、フェリーの船旅を楽しむ予定だ。
このフェリー航路では、ドイツのハンブルクとデンマークのコペンハーゲンを結んでいる鉄道の列車をそのまま積み込んで運ぶ航送が行なわれていて、「渡り鳥ルート」として知られている。ところが2019年12月に廃止になるという情報があって、その列車航送を見たいというのが真の目的だったりする。

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航送を見に行ったはずが、陸上側で写真を撮ったりしていたら、歩行者の乗船時刻は15分前締め切りということで車両を積んだ船に一緒に乗ることはできず。次の船で単にデンマーク往復というはめに…。

この列車は、「渡り鳥ルート」の特急ではなく、ローカルの列車。

仕方ないので、フェリーに乗るだけ乗って、次の便で折り返し戻ってきた。

キールにも立ち寄って、中央駅で列車を眺める。行き止まりの頭端式なので正面から列車を眺めることができて楽しい。

宿泊地:Schleswig
次の日はワッデン海の海中鉄道を見に行くので、できるだけ近い場所で宿取り。キールから50kmしか離れていないので、余裕をもってチェックインできた。

7日目 (2017.09.22) ワッデン海の海中鉄道

朝食は宴会場みたいなところでだった。田舎の方の、その地方の中心的な町のホテルってなると、日本もドイツも同じようなもんだなあ。

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黒っぽいパン

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Schleswigの街を散策。入り江の奥に位置していて、漁港も活気があった。

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Nordstrandischmoordamm の海中軽便鉄道(島民鉄道)

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すっかり夜中になってしまったけど、アウトバーンA1にあるサービスエリア Raststätte Dammer Berge にも立ち寄る。本線上に建物を渡したオーバーブリッジ型のサービスエリア。ここはあらためて昼間立ち寄ってみたい。

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宿泊地:Troisdolf
翌日がもう帰国日で、フランクフルト国際空港に向けて戻れる所まで戻っておきたいという思惑で、定宿の Holiday Inn Express に戻ってきた。
旅程を考えるときにHusum-Troisdolfを570kmを7時間と見込んでいて、余裕をもって30分前倒しで出発したけど、途中アウトバーン(高速道路)の工事渋滞にはまってしまったこともあって宿に入ったのは24時少し前になっていた。
それでもドイツ最後の夜。途中で調達したビールで乾杯。

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8日目 (2017.09.23) コブレンツを観光してフランクフルト国際空港へ

今日は帰国日。ただフライト時刻は夜の7時40分なので、夕方5時ごろに空港に着くとしても、丸一日時間が確保できる。Troisdolfからフランクフルトへ向かう途中のコブレンツ(Koblenz)という街に、軍事技術博物館と鉄道博物館があるのが気になっていたので、そこに立ち寄ることにする。

コブレンツ軍事技術博物館
軍事技術の博物館なので、例えば試作品の二連装砲の戦車が展示してあったりする。

こちらは、第二次世界大戦でドイツが使った暗号通信機で有名なエニグマ

鉄道博物館で見逃せないのはTEE
流線形がカッコいい


フランクフルト手前にあるというだけで、何もないパーキングエリアで最後の休憩。自由自在に走り回ったドイツ旅行ももう終わる。

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フランクフルト国際空港には出発便案内の「パタパタ」がまだ残っている。しかも4面も。前の年もこれに感動して写真撮ってたっけ。

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宿泊地:帰国便の中で日付変更

9日目 (2017.09.24) ソウルを経由して帰国

ユーラシア大陸を横切るフライト、飛行機の窓からは板チョコのような光景とか囲碁のような光景とかが見れて、見飽きることがない。

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防風林で区切られた農地は、まるで板チョコのよう。

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囲碁のようなものは、灌漑用のピボットサークル

経由地ソウル
トランジットの時間が4時間ぐらいあったんだっけな。一旦入国してソウル駅まで往復してみた。

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その後、出国審査を通って制限エリア内にあるラウンジでビールを飲んで寛ぐぐらいの時間の余裕はあった。

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