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ドイツ旅行2016

2016.09.17-25
中国国際航空(北京経由)


「行きたい」が溜まりに溜まっていたドイツ

今回の主な目的は次の通り。日程は現地で使えるのが6日と半日(最終日の午前中)、旅行の日程としては十分にあるつもりだけどその分行きたい所も山盛りにある。主なものを書き出してみるとこんな感じ。
RWEのガルツヴァイラー露天掘り炭鉱のツアー
・ヴッパタールのモノレール
・Düren と Seppenrade の三弦トラス橋
・Landschaftspark Duisburg-Nord
・世界遺産・ツォルフェライン炭鉱業遺産群
・ボーフムの鉄道博物館(Eisenbahnmuseum Bochum)
・レンズブルグ Rendsburg の運搬橋
・ワッデン海の海中鉄道(島鉄道)
・ムンスター戦車博物館
・フェロポリスの超巨大重機

とにかくいろいろな情報がありすぎて、この頃は「ドイツ行きたい」が溜まっていた時期だった。
ガルツヴァイラー露天掘り炭鉱とLandschaftspark Duisburg-Nordとフェロポリスは八馬智編著『ヨーロッパのドボクを見に行こう』を読んで行きたくなった。ヴッパタールはANAの機内誌『翼の王国』2015年2月号の記事「空中鉄道で行こう」で紹介されていて、切り抜きを保存していた。ムンスター戦車博物館はアニメ『ガールズ&パンツァー』の影響。行く前にDVDをレンタルして、TV版と劇場版を見て予習もバッチリだ。特に「シュトルムティーガー」は見逃せない。ワッデン海の海中鉄道はTBS『世界遺産』を見て。ナレーションは深津絵里の頃だ。これも録画してある。

機内誌は持ち帰る派

こうなると事前の情報収集というレベルではなく、とにかくこれまで溜めに溜めたドイツを一気に見に行くという一種の発散行為に近い。ここも行きたい、あそこも行きたい、と言うことでかなり盛りだくさんになってしまった。
移動手段はレンタカーで自由自在に動き回るつもり。ドイツは高速道路網(アウトバーン)が整備されているので、爽快にドライブするのも楽しみだ。フランクフルト国際空港IN/OUTで、空港でレンタカーをピックアップして車で移動。
せっかく車があるので、鉄道で行けるところ(ベルリンやハンブルクなどの大都市)は今回は後回しだ。
現地SIMは使わないので常時ネットは利用できないけれども、ホテルにはwifiがあるので夜ネットにつないで情報収集と翌日のホテルの予約を入れながら進んでいくことにする。

旅行の計画図。googlemapにピンも立ててたけど、全体的な行程は紙に描いてイメージしていた。

1日目(2016.09.17) 移動日

出発は羽田空港から。キャリアが中国国際航空なので北京でトランジット。中国はトランジットでも手荷物検査があり、写真のラクダが女性検査官に見つかって「ルートゥオ!(駱駝の中国語読み)ドゥ!ドゥ!ドウ!」って遊ばれるも、なんとか通過。

フランクフルト国際空港でレンタカーを予約していた。鍵を渡されて、指定されたパーキングロットに行って車をピックアップする。フランクフルト国際空港のレンタカーの出口は有料駐車場の出口と合流する形になっていて、ボタンを押してバーを上げてその先合流だったかな、手順があるのだけど、それがわからなくてまごついていると後ろの車の人が降りてきて教えてくれた。ダンケシェーン。
アウトバーンを走ってTroisdolfのホテルまで。
ここで早速旅のトラブル発生。予約していたホテルがオーバーブッキングして部屋がないというのだ。ロビーには私以外にも2、3人、所在なさげに待たされている客がいる。落ち度はホテル側にあるということで、ロビーから続きのバーカウンターでビールを振舞ってもらう。その間にフロントの方では電話を架けまくっているのが見えるが、なかなか空きがないらしく、時間がかかっている。そうこうしているうちにビール3杯を飲み干してしまった。

ほろ酔い加減で、ホテル手配のタクシーで代わりのホテルに連れられて行ったが、チェックインしようとしたら「確かに連絡はあったけどコンファームしてない」などというひと悶着がここでもあり、と言われても私は直接交渉したわけではないので元のホテルに電話をかけてもらって話を付けてもらって、なんとかチェックインできることになった。いきなりこれでは先が思いやられるが、ホテルのスタッフとのコミュニケーションが全部英語でできたのは幸いだった。これがドイツ語だったら、乗り切れたかどうか。
部屋に入れたのは既に深夜2:30を回っていた。疲れた。

ホテルの部屋に備え付けの水は「ガス入り」だった。ドイツに来たという実感がわいてくる。

宿泊地:Troisdolf の Holiday Inn Express(オーバーブッキングで代わりのホテル)

2日目(2016.09.18) ガルツヴァイラー露天掘り炭鉱

グーテンモルゲン。昨晩はいろいろあったけど、気持ちを切り替えて今日からドイツを満喫するぞ。朝7時には起きて朝食を採る。夏時間で日本との時差は7時間になっているので、日本時間では14時だ。

食べ終わったら早速出発といきたいところだが、今いるのは、本来の宿がオーバーブッキングだったので替わりにあてがわれた宿。車は元の宿に停めてある。なので、車をピックアップしに行くところから始めないといけない。
フロントに頼んでタクシーを呼んでもらう。タクシー代は心配いらない。事前にタクシーチケットをもらってある。

さて今日はガルツヴァイラー露天掘り炭鉱のバス見学ツアーへの参加がメインイベントで、集合場所のカスター Kaster という町まで行けばよい。ホテルからは60km程離れているが、車での移動なので大したことはない。

アウトバーンの行先案内標識にブリュッセル(ベルギー)とかアイントホーフェン(オランダ)とか隣国の地名が出てくると、ヨーロッパを走ってるという実感する。アーヘンまではまだドイツ国内だけど。このジャンクションでA61に入って北上するとKaterに着く。

その前にDürenという町に三弦トラス橋を見に行く。普通の下路のトラス橋は断面が四角形で弦を4本渡してあるが、三弦トラス橋は断面が三角形で弦は3本しかない。一見すると鋼材が節約できるメリットがあるように思えるが、内部に確保しないといけない空間(列車が通るための空間なので四角形になる)が大きくなればなるほど、その外側の三角形はそれ以上に大きくならなければならない。鉄道で複線の三弦トラス橋ともなると、巨大なものになってしまう。合理的なのか非合理的なのかわからない代物だ。
そういう矛盾のある存在が、また魅力的なのだ。

ちょうど列車が通りかかった。背後の三弦トラス橋が窮屈なせいか、想像以上に迫力があった。
ドイツ国内の三弦トラス橋はもう1か所 Seppenrade という町にもあるので、そこも今回の旅行で見に行く予定でいる。

カスターに着いてガルツヴァイラー露天掘りの見学バスツアーの受付をする。三弦トラス橋を見るためにDürenに寄り道をしていたので、受付場所に着いたのは11時過ぎだった。待ち行列はなかったけど、この時点で入手できたツアーバスの整理券は14:15のもの。15分おきにバスが出ているということだが、うっ、3時間待ちか。早く来ていても3時間分の見学者が行列していたはずなので、行列嫌いの私としては、これで良かったかもしれない。

ガルツヴァイラー露天掘り炭鉱の周辺には、「のどかな」田園風景が広がっている。そこに唐突に突き出たバケットエクスカベーターの主塔。これまた現実離れした光景だ。

ガルツヴァイラー露天掘り炭鉱の一般公開は、年3回程度実施されている。詳細は炭鉱を経営しているRWEのホームページで確認。
受付は炭鉱近くのKasterという町の広場で行なわれている。レンタカーで行くと炭鉱周辺の展望台にも行けるので便利だが、一般公開のバスツアーに参加するだけならケルン中央駅からKasterまで公共交通機関で行くことも可能だ。Sバーンでホルレム Horrem まで行ってそこでバスに乗り換える。

帰り道にアウトバーンのサービスエリアから眺めたケルンのスカイライン。大聖堂の双耳の尖塔が見えて感激した。ここからは直線距離で13km離れている。ケルンの大聖堂が建設されたのは、1880年。それ以来、ずっとこんなふうにランドマークであり続けたことだろう。

ケルンの大聖堂の尖塔は高さ157m、写真中ほどに見えているのが電波塔(コロニウス Colonius-Turm Köln)で266m

宿泊地:Troisdolf (前日と同じ)

3日目(2016.09.19) ケルン観光とヴッパタール

今日もホテルは同じで、近場を巡ることにする。せっかくケルンの郊外にいるので午前中はケルンを散策する。帰国後に「ドイツどうだった?」と聞かれて「ケルンとか楽しかったよ」というアリバイ作りでもあるが。
午後はヴッパタールにモノレールを乗りに行く予定だ。

ケルン観光

レンタカーはあるけれど大都市のど真ん中に乗り入れて駐車場を探すのも億劫だ。駐車場代がどれぐらいかかるのか予想がつかないが、車で出かけるとそうした出費もある。そこでホテルの最寄りの郊外電車(Sバーン)の駅まで行って、電車で行くことにする。正直ドイツの鉄道にも乗っておきたいという気持ちも少しあった。
駅前の駐車場はちょうど1枠空いていてラッキーだった。パークアンドライドでお出かけ。

Spichというケルン近郊のSバーンの駅

ケルンといえば大聖堂。ケルンのランドマークとして、昨日もアウトバーンのサービスエリアから眺めていた。そしてとりあえず塔の上に登ってみる。足元にはライン川と、それを渡る3複線のホーエンツォレルン橋(鉄道橋)が見えている。

ライン川の川岸を散策していたら、運河に架かる小さな可動橋を見つけた。橋の上の小屋が操作室だろう。

ケルン中央駅は多くの番線がドームで覆われたヨーロッパの駅の典型的なスタイルをしている。

様々な列車がひっきりなしにやって来ては、出発していく。いくら見ていても見飽きることがない。ひたすら列車を眺めていたらあっという間に1時間経ってしまった。まだまだ居れるけど、時間ばかりが過ぎてしまうので、切り上げることにした。

ミュングステナー橋

Müngstener Brücke
午後はヴッパタールに向かうが、途中でミュングステナー橋に立ち寄る。主目的地を決めておいて、その近くにあるちょっとした名所に寄り道をする。車で旅行する際のだいたいのパターンだ。
ミュングステナー橋はドイツで一番高い鉄橋で、谷底からの高さは106.8mある。橋の構造は鋼製アーチ。アーチの幅は170mある。1897年に完成した。当時ドイツは帝政下にあり、ドイツが誇るべきこの橋はウィルヘルム皇帝橋(Kaiser-Wilhelm-Brücke)と命名された。1918年の第一次世界大戦の敗北と十一月革命によって皇帝ウィルヘルム2世が退位、帝政が崩壊すると、近くの集落の名前をとって現在のミュングステナー橋に改称された(その集落は今はない)。

ヴッパタールの懸垂式モノレール(空中鉄道)

Vohwinkel駅とOberbarmen Bf駅の間、13.3kmを全線乗車してみた。この時はモノレールのことで頭がいっぱいだったが、ヴッパタールはコンテンポラリーダンスの中心地でヴッパタール舞踏団があったり、次回行く時はちゃんと観光もしよう。

モノレールのことはschwebebahnと言うらしい。schwebeは宙に浮かんでいるとか宙吊りになっているという意味で、そのまま直訳すると「宙吊り路線」とでもなろうか。訳語としては「空中鉄道」という呼び方が定着しているようだ。schwebebahnの語感を生きていて良い訳だと思う。

街を歩いているきつね。
そうそう、こういうかわいい系のものも見たかったんだ。

食事は帰りのサービスエリアの食堂で。

宿泊地:Troisdolf (前日と同じ)

4日目(2016.09.20)ルール工業地帯の産業遺産めぐり

行程的にはデュイスブルクやボーフムあたりを観光しながら、その後は一気にキールまで行ってしまうつもりだ。移動距離は500kmを超える計算。
途中で三弦トラス橋を見たいので Seppenradeという街に立ち寄るのも忘れないようにしなければならない。

Landschaftspark Duisburg-Nord

直訳すると景観公園だが、閉鎖された製鉄所を公園として整備して一般公開している。自由に見学できるようになっていて、製鉄所の高炉の頂上(高さ70m)に上がることもできる。


ツォルフェライン炭鉱跡

ここは完全に時間配分を間違えてしまった。じっくり見学すると1日はかかるボリュームだ。というより、1日かけてじっくり見学したい。世界遺産として保存されているのでまた来る機会はあるだろうと、今回はざっくり外観だけを眺めて退散することにした。

ボーフムの鉄道博物館

Eisenbahnmuseum Bochum

ボーフムの鉄道博物館は小さいながらも、おもしろい車両が保存されていて、いわば通好みな感じだった。
例えばドイツ内で運行されていたDMV(デュアル・モード・ビークル)の車両が保存されている。DMVは2021年12月に徳島県の阿佐海岸鉄道・阿佐東線で運行が始まって注目されたが、その先例となる車両だ。

Seppenradeの三弦トラス橋にも忘れずに立ち寄ることができた。

夕食はアウトバーンのサービスエリアにあったバーガーキングで。
道路地図を広げて現在地を確認。キールまでの先はまだ長い。

宿泊地:キール

5日目(2016.09.21)レンツブルクとワッデン海の島鉄道

昨晩泊まったキールのホテルには朝食は付いていなかったので、近くのスーパーマーケットに立ち寄って買い出しをする。
買い出しついでに車に溜まっていたペットボトルのrefundにも挑戦してみた。空のペットボトルを機械に入れると50セントのクーポン券が出てきて、わずかだけれども節約になった。
クロワッサンともう1つ菓子パンみたいなの、それから魚(サバかな?)の燻製、ぶどうとミネラルウォーター。ハムやソーセージはこれまでホテルの朝食でも食べてきたし(ソーセージは過熱が必要だから今回は無理)、趣向を変えて魚を選んでみたが、これが正解だった。なかなか美味しかった。

一番楽しみにしていたレンツブルク Rendsburg の運搬橋は、前年、ゴンドラと貨物船の衝突事故があったため運航中止中だった。
この橋は、キール運河(北海バルト海運河)を跨ぐために建設された。北海(ワッデン海)とバルト海を区切っているユトランド半島に運河を掘れば、船が行き来しやすくなる。そうして1895年に長さ98kmのキール運河が開通した。逆に、運河の開通によってユトランド半島の南北移動が断ち切られてしまうことになったが、1913年にこのレンツブルク鉄道橋が建設されて鉄道で行き来できるようになった。ただし、運河を行き来する船舶に支障がないように、運河から約42mの高さを確保してある。そこまで登るために北側のアプローチはループ線になっている。とにかく大掛かりだ。
だけどただの鉄道橋で終わらないのがドイツだ。
せっかく橋を架けるのだから、車も通したい、でも車をこの高さまで上げるにはまた長いスロープが必要になる… それならばと、この橋からゴンドラを吊り下げてそのゴンドラに車を載せて運河のこちら岸とあちら岸を行き来させようという発想になった。どこからその発想が出てくるのかは知らないが。その、ゴンドラで車や人を渡す橋のことを運搬橋と言う。

本来ならここがゴンドラ乗り場なのだが、無情にも閉鎖されている。

橋の下が公園になっていたので、先程キールのスーパーマーケットで買ってきた朝食はここで食べた。巨大な鉄橋と運河を眺めながら食べる朝食は格別だった。
さて運搬橋が閉鎖されているのは困った。とにかくキール運河より北に行きたいので、なんらかの手段で運河を越えなければならない。アウトバーンまで迂回してもいいのだが、閉鎖されているゴンドラ乗り場に代わりの交通手段としてフェリーが案内されていたのでそれを使ってみることにした。ドイツでのフェリー初体験。料金は無料だった。

ダゲビュル Dagebüll という小さな町に向かう。この町はワッデン海に面していて、フェリーターミナルや島鉄道の車庫があり、島へ渡る本土側の交通拠点になっている。
そういうことも関係しているのだろうか、小さな港町に都市間列車のICEが乗り入れてきていた。それにしても変な編成だ。ディーゼルカーに牽引される格好でICEの車両が乗り入れてきているが、それでは電気までは確保できないので、間に専用の電源車を挟んでいる。
北ドイツ鉄道会社・ニービュル(NEG, Norddeutsche Eisenbahngesellschaft Niebüll)

ケルン中央駅の表示が出ている。今回は車で来てしまったけど、ケルンからここまで直通列車で来ることもできるのだ。わずか2両とはいえ、ワッデン海沿岸の小さな町が大都市と繋がっている。新幹線を作っては並行在来線を切り離して「特急が停まらない町」を作っていく日本とは、鉄道交通網がどうあるべきかという発想が全く異なっている。

オラント・ランゲネスの島鉄道


アインフェルダー湖(Einfelder Sea)の夕暮れ

ホテル近くのデリに行ってハンバーガーとビールを調達。ハンバーガーのパンズに縞模様の焦げ目が付いているが、グリルで焼くスタイルのお店で、ハンバーガーも香ばしくて美味しかった。

宿泊地:ノイミュンスター Neumünster

6日目(2016.09.22) ムンスター戦車博物館とフェロポリス

屋根裏部屋みたいなところで朝食

ムンスター戦車博物館

戦車好きにはたまらないドイツ戦車の博物館。開館と同時に中に入って2時間半もいてしまった。それでも最後は駆け足になってしまって、ここは1日かけて見学しても損はない。

個々の戦車の紹介はこちら

フェロポリス

ムンスター戦車博物館から車を走らせて4時間半、予定ではもっと早く着ける計算だったのだけど途中で渋滞に巻き込まれてしまって、フェロポリスに到着したのは17時過だった、夏の観光シーズンは20時ぐらいまで開園しているようなのだが、9月も下旬となっているのでそれも終わり、「今日は18時には(ゲートを)閉めるよ」とのこと。あと1時間もないではないか。
フェロポリスとは「鉄の町」を意味する。ドイツ語では鉄は Eisen だが(鉄道の Eisenbahn でおなじみ)、ここではちょっと気取ってラテン語由来のFerroを使っている。鉄の元素記号 Fe はラテン語の Ferrum から採ったものだが、Ferro もそこから派生している。もっとも、直接的に元素の鉄と言うよりも、鉄でできた重機の町というニュアンスである。

ガルツヴァイラーで見た超巨大重機の仲間が5体保存されている。こちらは廃鉱になっていて現場ではないのだが、その分、すぐ近くまで近付いて見ることができる。中には通路を通って上まで登ることができるのもあった。

1時間しか見学時間がなくて物足りないような、それでも超巨大重機を一通り見て回ることができて満足したような、不思議な気分でフェロポリスを後にする。

オラーニェンバウムのオランジェリー

今日の宿はライプツィヒに取ってあるので南へ向かうべきなのだが、反対方向の北側に車を向ける。まだ日が暮れるまで時間があるので、オラーニェンバウム=ヴェルリッツ Oranienbaum-Wörlitz の街を見に行こうというのだ。

オラーニェンバウム=ヴェルリッツはフェロポリスに行く時に一度通り過ぎた街なのだが、車の中からちらっと見えた街の案内にOrangerie(オランジェリー)とあったのが気になっていた。
オランジェリーとは17世紀から19世紀にかけてヨーロッパの支配層や領主が盛んに建てた温室のことで、その名前は本来寒冷なヨーロッパでは実らないオレンジを育てたことに由来している。南国への憧れという貴族趣味と、それをオレンジの果実という形で実現させるだけの権力や経済力の誇示が、こうした温室を建てさせた。フランスのパリにオランジェリー美術館があるが、庭園の中にあるオランジェリーの建物を美術館に転用しているからその名称になった。
温室なので大きな窓が特徴的なのだが、同時に建物の基本的な部材には木や煉瓦が使われていることも特徴である。個人的にはこのアンバランスな建築様式も魅力的に思える。このオランジェリーの様式を知っていると、1851年にロンドン第1回万国博覧会で建てられた鉄骨建てでガラス張りの「水晶宮」の衝撃がよく理解できる。
そういうわけで、実際のオランジェリーを見たくて寸暇を惜しんで引き返してきたのである。

オラーニェンバウム=ヴェルリッツにオランジェリーがある所以であるが、この町は、17世紀、土地の領主アンハルト=デッサウ侯のヨハン・ゲオルク2世が、その妻ヘンリエッテ・カタリーナに与えた町で、どうやら彼女の趣味らしい。オラーニェンバウムという地名も彼女の実家のオランダの名家、オラニエン家(後にナポレオン戦争後に創設されるオランダ国王の血筋につながる)に由来するという、何気にすごい土地だった。
彼女が過ごした宮殿もある。
この宮殿は中国式の庭園があることで有名で、オランジェリーといい、当時のヨーロッパ貴族階級のエキゾチシズムへの傾倒が伺える。

オランジェリーがあるということはそれなりの領主がいた証ではあるが、まさかオランダ国王につながる名家が出てくるとは思わなかった。
ふと立ち寄った町の歴史を調べるのも楽しい。

歩行者用信号機のピクトグラムがかわいくて写真を撮ってみた。これは旧東ドイツ独特のデザインで、日本では「アンペルマン」として紹介されている。

「アンペルマン Ampelmännchen」を直訳すると「信号機の男」という意味になる。ドイツ語では一般名詞的な響きになってしまうので、旧東ドイツのキャラクターを特に Ost-Ampelmännchen と言うこともあるようだ。

宿泊地:ライプツィヒ
ホテルのフロントで2時間有効のwifiのパスワードをもらう。ネットをやっていると2時間はあっという間に経ってしまって、あと2回、追加でパスワードをもらいに行った。

7日目 (2016.09.23)ザクセン平原の村々をめぐる

この日は特に大きな目玉があるわけではなく、ザクセン地方のいくつかの橋を見に行こうと思っていた。結果的にザクセン平原の村々を巡るドライブの日になった。
ライプツィヒの街を散策してもよかったし、ドレスデンのアルトシュタット機関区鉄道博物館やケムニッツのザクセン鉄道博物館も候補としてピックアップしていたけれども、どこか1か所を集中的に見るというよりは、気ままにドライブを楽しみたいという気分だった(のだと思う)。

ウンシュトルッタール(Unstruttal)高架橋

ゲンゼバッハタール(Gänsebachtal)高架橋

ゲルチュタール橋

アウトバーンを西に向かっている。今日の宿の方向でもあるけれども、明日の帰国日に備えてフランクフルト国際空港の方向に向かっている。これまで6日間、ドイツ国内のいろいろな場所を巡ったけれども、いよいよ帰還コースに入って来た。
その途中、もう夕暮れ時だったがまた寄り道。なんとなくチェックしたtwitterでドイツにモンテカリ(塩の山)という奇抜な景観があると知った。調べてみると今走っているアウトバーンの沿線にある。インターチェンジを降りてみた。
Heringen(Werra)のモンテカリ。日も落ちて写真もなんとか写せるような状態だが、それでも純白の塩の山がはっきりと浮かんでいる。
このことが次の日の発見にもつながるのだが、それは明日(8日目)の話。

宿泊地:Kirchheim

8日目 (2016.09.24) 帰国日

Kirchheimで泊まったホテルの朝食。ソーセージの中身を炒めたようなものが出てきた。ポロポロソーセージって勝手に命名。

今日は帰国日。出発は14時なので、空港には12時前に着いておきたい。レンタカーの返却手続きとか考えるとさらに前倒しが必要になる。フランクフルト国際空港までは150kmの地点まで戻って来てはいるが、ほぼ移動で終わってしまうだろう。
ただ、全く余裕がないわけではない。ルートから外れない限りは車を停めて最後までドイツを楽しんでおきたい。

というわけで、早速寄り道。これはホテルの近くにあったので寄り道というほどでもないけれども。

最初は蒸気機関車と客車が保存してあるなぐらいの軽い気持ちだったのだが、調べてみると、無火蒸気機関車(無火機関車)と3軸客車(中間車軸をもった客車)というそれぞれが特徴をもった車両だった。保存されている車両の来歴も追えた。思わぬ掘り出し物だった。

ロンバッハタール(Rombachtal)高架橋、高速新線・ハノーバー-ヴュルツブルク高速線の橋で、高さ95mを誇る。
これも前日に見たウンシュトルッタール高架橋やゲンゼバッハタール高架橋と同じ設計思想で造られている橋だ。こちらはあらかじめ下調べをしておいた寄り道。

アウトバーンを走っている途中で、ちらっと白い山が見えた気がした。
普通ならばそのまま通り過ぎてしまうが、昨日Heringen(Werra)で塩の山に立ち寄っているので、すぐにわかった。次のインターチェンジで引き返して立ち寄ってみることにした。地図を見ると Neuhof という町だ。
Neuhof というのは日本でいう「新町」で、もしかしたらこの塩鉱山の開発によって形成された新興の町かと思ったが、全然違ってて、文献上13世紀にまで遡る歴史ある町だった。そういう町に限っていつまでも「新町」と名乗っているところが、地名の面白さだったりするが。ちなみこの地の塩の採掘会社が設立されたのは1905年のことらしい。
昨日見に行ったモンテカリはもう夕暮れであたりは薄暗かったが、今日は青空だ。塩の白が眩しい。

この記事は後から書いているので全部知った上でストーリーを組み立てているけれど、現地を旅行していて、前日に見つけたものが次の日の発見につながった時のその場のワクワク感というのはたまらない。こういう体験が楽しくて、また旅行に行きたくなるのだろう。

フランクフルト国際空港の出発案内は、アナログなパタパタがまだ残っていた。それも4面あるから大迫力だ。

帰国便はプレミアムエコノミーで座席がちょっと広かった。

宿泊地:帰国便の中で日付変更

9日目 (2016.09.25) 北京を経由して帰国

トランジットの北京国際空港に到着。画像ファイルのタイムスタンプを見ると、ドイツ時間では0時24分、真夜中だ。北京時間でも朝の6時24分。どちらにしても眠いことには変わりない。

北京国際空港から日本へのフライトの機内食。朝食タイムなのでおかゆは有難かった。


そしてまたドイツへ

次の年、またドイツに行っちゃいました。
「ドイツ旅行2017」旅行記はこちら


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