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銃を捨てよ、町へ出よう~「許されざる者」「ダーティハリー2」

アメリカという大国が抱える病理について50年以上も自問し続けているのが、クリント・イーストウッドという映画人ではないだろうか。
その彼のひとつの到達点が1992年公開「許されざる者」だという。

詳細な解説はいつものとおり、町山氏にお願いしよう。

つまり、善と悪、正義と不正、そのボーダーを行きつ戻りつする、そんなテーマが彼のライフワークということであろう。
そう思うと、この後の彼の作品も同じ視点を保ち続けていることに気がつく。

そしてそれが、特に戦後アメリカが国として抱えてきた矛盾でもあり、昨今の銃乱射事件などを見るにつけても国民一人一人が抱える問題のようにも思える。無論、我々日本人だって無関係ではない。

「許されざる者」とはイーストウッドの告解であり、救いを求める声である。キリスト教、いやすべての宗教の本義は、この透徹した人間観があってこそなのではないか。日本でも親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の悪人正機の教えが大衆を救いに導いたのだ。

ところで、上の町山氏の解説にあるように、1973年公開の「ダーティハリー2」もその根っこは同じ主題である。

こちらもなかなか破天荒である。
最後の場面では、もう容赦がない。そこにあるのは正義と悪ではなく、殺すか殺されるかという、ヒリヒリした命のやりとりのみ。

それでも悪と言えるのか。銃を捨てよと言うのか。

20世紀には解決できなかったこのテーマ。
21世紀中に何かしらの答えを見いだすことができるだろうか。

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