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印象派への道を追体験~SOMPO美術館「風景画のはじまり」

最近は多くの展覧会が日時予約制を取り入れているのだが、それは人気の展覧会だと「売り切れ」が起こり得るということを意味している。
だから、今まで以上に”これは”と思う展覧会へは早め早めに足を運ばねばならないのである。

さて、今回はSOMPO美術館で開催している「風景画のはじまり」展へ行ってきた。先の「売り切れ」は、この美術館の前の展覧会であった「モンドリアン展」で起きていたことなのである。

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19世紀の絵画は風景画から始まったと言っても過言ではない、と思う。そしてその後セザンヌが風景画から絵画の在り方について思索を深め、ピカソがキュビスムを創始し、20世紀抽象絵画が展開していったと思えば、大きな画期の一つとも言えよう(だいぶ単純化して言い切れば)。

この展覧会を見るにつけ、重要な画家を三名あげてみたい。

コロー ~ 印象派の兆し

それまでの風景画と比べてコローが画期的なのは、その作品が視覚だけではなく五感すべてに訴えてくるような点だと思う。言いかえると、その場の空気が伝わってくる、絵の中に没入できる、そんなイメージでいる。
もっと具体的にいえば、木々の葉の描き方がそれまでの風景画とは違っている。いや、実は彼の後に出てきた画家たちにもこのような描き方をしている者はあまりみられない。なんとも柔らかで湿った葉なのだ。物体としてだけではなく、感じた印象をそのまま絵にパッケージとして収めているようだ。

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コロー「水辺で選択をする女性たち」(1860-1870)
どうだろうか。風や川の水の音や女性たちの声も聞こえてくるようだ。湿った緑の匂いも漂ってくる。絵の中に入り込み忘我の境地に誘ってくれるのだ。
そんなコローのフォロワーの一人とも言うべき画家の作品も展示されていた。

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アルピニー「ヨンヌの思い出、サン=プリヴェからブレノーへの道」(1885)
画面の半分を占める青空が爽やかで、観ているだけで心地よくなってくる。彼はコローの友人だったようで、当時は高名な風景画家だったという。

ブーダン ~ 空と海の王者

19世紀の風景画家といえばブーダンは外せない。
森を描かせたらコローだが、海はやはりブーダンである。
以前の記事にも書いたが、若き日のマネを連れ出して野外で描くことを教えたというその功績は計り知れない。

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ブーダン「上げ潮」(1888)
1888年というと印象派は後退気味で、若き画家たちは新たな画風を求めだしていた頃だ。そのような時期にあっても、変らず海と空を描き続けている。

ルノワール ~ 色彩の解放

印象派というとマネやルノワールの名前があがるだろう。現代の視点から見るともはやその画風に何の違和感も持たないのだが、上にあげたような先人たちの作品から比べるといかに革命的だったことだろう。

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ルノワール「ノルマンディーの海景」
この写真は、図録をカメラでとったため影も映りこんでしまって見にくいが、この色彩の豊潤なことといったらない。
空と水は青、葉は緑、土は茶、そういう一つ一つのモノに色がついていてそれをトレースするのがそれまでの描き方だったとしたら、印象派はどのように”見えているか””感じられているか”を素直に表現したことになる。
我々の感覚はとても強固なバイアスに捉われている。それから自由になり、感じるままに描くというのは、思うほど容易いほどではない。彼らは自然と対峙すると同時に自己の五感に対してもとても鋭敏な感度を持ち合わせていたのだろう。

このように風景画というモチーフを通して、画家たちが自然とそして自己とどのように向き合ってきたかを追体験できる、とても素晴らしい展覧会であった。

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