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近代の皇帝像の理想形か~「怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史」

"フランス"、"三世”、
こう聞くと大方の日本人が思い浮かべるのは、ルパン三世だろう。
しかし、今にいたるフランスを形作ったかつての皇帝も”三世”を名乗っていた。
それはナポレオン三世である。

まずはじめに触れておきたいのが、”ナポレオン三世”という名称。
もちろん一世は、ナポレオン・ボナパルトを指す。
二世は、一世の嫡男でローマ王となった人物。
そして三世は、一世の甥。”ナポレオン”というとファーストネームでは?と思うところだが、正式にはシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルトという。フランスの名前の付け方についてはあまり詳しくないが、ボナパルト家ということには変わりないようだ。
ちなみに”ルイ=ナポレオン”というと、キャプテン翼に登場するちょっとオラついたプレーヤーを思い出す。

さて、このナポレオン三世。ルパン三世の如く、その実像はとらえどころがない。学校の世界史を普通にさらっただけの知識では、叔父のナポレオンの威光で皇帝となり、普仏戦争で捕虜となった残念な皇帝、というイメージくらいか。もう少し詳しくとも、今のパリの街並みを整備した人、という程度ではないだろうか。

本書によるとナポレオン三世は、生涯国民主権を強く意識していた皇帝であったというから、当時ヨーロッパ各国にいた”皇帝”像をもって捉えようとするとますます理解に苦しむ。

彼について著者が記した箇所を引用しよう。彼も狙っていたこと、考えていたことが端的にわかる気もする。

反動勢力と共和派の不毛な争いを止揚し、民衆の生活の向上を図るには、ナポレオン思想に基づいた皇帝民主主義が緊急に必要であり、それを実現できるのはナポレオンの甥であるこの自分以外にはないというのが、ルイ=ナポレオンの訴える眼目である。
ある意味では、いかにも亡命生活の長かったプリンスらしい夜郎自大な言い分だともいえるが、また別の意味では、きわめて実際的な主張だともいえる。

この時代を第二帝政と呼ぶ。しかし”第二”と言っても実質ナポレオン三世のみの時代。このような大志を抱く彼だったからこそあのような時代になったのだろう。
帝政ではなくともその後に勃興してくるファシズムも、システム上はさほど差異はない。時代が求めた人物がこのように啓蒙的であったことは、極めて幸運なことだったと言える。そして、同時にそのような評価は決まって後からなされるものだということの証左ともなっている。

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