現代美術は”美術”か?~「西洋美術の歴史8」
「西洋美術の歴史」シリーズも最終巻、20世紀まできた。
20世紀美術で自分自身一番わからないのが、「現代美術」「抽象画」の扱いである。これはどのように向き合えばいいのか分からないでいたのだ。
画家たちが絵画を制作する目的について、本書では以下のような記述をしている。
彼(アルフレッド・H・バー・ジュニア)の見解によれば、絵画の主たる価値は、色彩、線、明暗という造形手段の後世にある。自然の対象の描写は絵画の本質的な要素ではなく、むしろ絵画の造形的な純粋さを損ねるものである。抽象絵画は対象を放棄することによって、絵の主題をめぐる多様な解釈や再現描写の技術を味わう喜びを失ったが、その代わりに、自然の外観を借りず絵画固有の手段のみによって構成される、絵画そのものを目的とした作品が生まれることになったと彼はいう。つまり、抽象絵画は再現的イメージとそれにともなう意味の喪失と引き換えに、絵画の「自律性」と「純粋性」を手に入れたということである。
19世紀までの絵画は、「絵の主題をめぐる多様な解釈や再現描写の技術を味わう」ものだったという。それまでの画家たちはいわゆる芸術家というより職人の色合いが強く、パトロンやクライアントからの注文の範囲の中で自身の技量を奮っていた。
一方で、抽象絵画は「自律性」と「純粋性」を追求し、その結果であるアウトプットなのだという。
詩人・批評家アルベール・オーリエ(中略)は1891年の評論「絵画における象徴主義―ポール・ゴーガン」において、芸術の究極の目的は自然の模倣ではなくプラトン的な「イデア」の表現にあり、対象はイデアを特殊な「言語」に置き換えて表現するための記号にすぎないと主張する。
抽象絵画を見るに際しては、それまでの絵画と同じように鑑賞するのではなく、色や筆遣いといった物質としての絵画を通して、その深奥に表現せんとしている「イデア」を感じ取ることがあるべき姿勢ということか。うーん、難しい。
当然それは、画家たちの絵画を描くことに対する向き合い方も変わってきたということ。
彼(カンディンスキー)は予見の能力を与えられた数少ない人間としての自負のもとで、目に見える現実の奥にあるものへ向かう芸術の創造によって現代の精神的危機から人々を救済し、未来のユートピア的世界への道を示すという、宗教家のような熱情に動かされていた。
もはや職人ではない。自ら道を示す伝道者である。
ここに根本的な相違があるのだと思う。
「芸術家」とは何か。
かつては絵画や彫刻で自然を再現する技術を持つ人ということだったが、20世紀ではそれだけでは足りない。伝えるべき道や思想こそが必要とされるようになったのだと思う。
社会の抱える問題や、多くの人が気づいていないが確実に存在する課題など。それを直接的な言説で表明するのではなく、いかに人々の心に届きやすいかという点に腐心して作品を作り上げる。
だから現代美術・現代アートとは、各人の意見表明、論文のようなものなのだ。
・・・と言いつつ、最近見た現代のアートは、そういう硬派な感じではなくポエムのように作家自身の思いを様々なモチーフに託して絵画にしているものもあり、このように簡単に言い切れるものばかりでもないなぁと思ったりするのである。
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