見出し画像

「子どもが欲しい」って言える人は、それだけで自己肯定感が高い気がする。

こんばんは、結婚と出産についての偏見です。

上記の2つは、社会に出た人にとっての重大なライフイベントだ。

それを私は放棄しようとしている。

私は結婚してもいいが、子どもは欲しくないマイノリティに属している。

異性を好きになっても、「いつか子どもが欲しい」と言われると身体からスーっと感情が引いていくのが分かる。まるで死神に魂を持ってかれるかのように。

LGBT・不妊症など様々な問題があるが、私はそれには該当していない。

では、なぜこのようなタイトルにしたのか。

理由は、「自分の遺伝子を後世に残したい」と思えないからだ。

生物であれば繫殖するのは当たり前の摂理であるはずなのに、どうしてこうも捻くれてしまったのか。

遺伝というのは、恐ろしい。

容姿・生涯年収・思考や性格などがほぼ反映されてしまう。

いろんな本を読んだが、環境要因を除くと25~50%は親の遺伝によって決まる遺伝子学的研究が多かった。

私は、やはり自分の事が好きになれない。この容姿・生涯年収・思考や性格が反映されるとなった時に、その子への申し訳なさでいっぱいになってしまう。

そんな考えが、「インドのガンジス川にいったら変わった」という漫画があったがいつか変わる日が来るのだろうか。幸とか不幸とかそんな理由ではないと達観したとのことだが私には理解できない。

ならば子どもの能力が親のスペックを無視したガチャであるならば、私は子どもが欲しいのだろうか?この記事を書きながら少し分からなくなってきてしまった。

たぶん私は、自分の事が愛せていないだけなのかもしれない。

だけど「このままの自分を受け入れて、1人で死んでいけたらいいな」と思いもう3年が経った。

やっぱり3年経った今でも意図的にこの世から消え去りたくなる衝動に駆られる時がある。それでも自分で命を絶つのは恐怖や痛みから実行に移せなかった。3年前が特にそのピークで実行したこともあるが、そっからは実行はしていない。

この世に自分に残せるものはなんだろうか。もう少し生きてみようと思う。

またどこかで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?