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チャンスを素通りし続けた末路がこれ。


今日も今日とてフランケンさんの時事ネタラジオを聞きました。その内容が非常に示唆に富む内容でした。

いつも通りにクソを捻り出すと、「学習にはそれを自分のものにするための経験が必要で、それがないとチャンスや学びが目の前に来ても平気で素通りしてしまう」という内容です。

捻り出し終わります。

この話には首がもげるほど同意です。
なぜなら私自身がチャンスを目の前にして素通りしまくってきた人間だからです。

私のような方も多いのではないでしょうか。
ぜひこちらのnoteを読んで自らの過去を省みていただければと思い今回の内容とさせていただきます。

会社員を全うした先に何があるのか?


例えば最近ではよく話題に上がる「会社員生活を全うした先に何があるのか?」「どれだけ会社で頑張って成果をあげたとしても、それは単なるラットレースとしての結果を追い求めているだけである」という論調が列挙されています。

昨日、猫山課長が更新されたnoteもそちらの内容についてでした。
私も窒息しかけながら読んだ重いコンテンツです。

同感しつつも、私は奇妙な既視感を感じていました。

久しぶりにkindleを見直してて気づきました。
木暮 太一さんという作家さんが、こちらについての内容を掘り下げた本を何冊か出版されていたのです。

労働力ではなく商品を自分のものとする。
そしてそれを売買する方法を考える。
当時の私は確か20代だったと思うのですが、それくらいの時分に既にその考え方に触れていたのです。

その後、私が触れたのがどこで出会ったか忘れましたが聖丁の行っているvoicyラジオです。


いや、本当に…
今考えると当時サウザーラジオという名前だったかと存じますが、「よくぞ出会えた!」と思える出会いでした。(と言って全然聞けてないですが…)

その中で聖丁はラジオの主軸として一貫して
「ニートを目指す」という方向性、そのための武器として「己の商品を持つべき」ということを発信し続けてくれていました。

また木暮さんの本の内容も同様です。
書籍の内容は読んだのがだいぶ前過ぎて失念しておりますのでこちらのまとめ記事を参考にしましたが、マルクスの【資本論】や【金持ち父さん貧乏父さん】に言及する内容は丸被りと言って差し支えないのではないでしょうか。

確か時系列的には、

26歳頃に木暮さんが出版した本がベストセラーになり、手に取って読む
30歳すぎて、聖丁を知る機会を得て、リスナーになる
そして現在。聖丁を介して知ることとなったあだち先生・猫山課長氏・フランケン氏といった方たちのコンテンツに触れる機会を得て、今に至るという状況です。

私はこれだけチャンスに恵まれながらすべて素通りし、都合10年近くをなんの変化もないまま過ごしてきました。

脳裏の三井寿が私に問いかけます。

あの時彼はこういう気持ちだったのか…

完全に飼い慣らされた10年間


なぜ私はこのような環境下で何もやらなかったのか。
そして今こそやるべきと考えられたのはなぜか。

時系列にしてようやく気付きましたが、会社員として飼い慣らされていました。
いや、飼い慣らされた、は他責で不適切ですね。

飼い慣らされることを選びました。

26歳➡前職からの転職活動&転職
31歳➡転職活動やコンテンツ作成に興味を持つ中、コロナ蔓延&人生初の部署異動

26歳の私は前職の仕事に見切りをつけ、転職活動を行っていました。
私はリーマンショック時の就職氷河期ド直撃世代でしたため、新卒時には希望の業種と職種には就けず、なんとか拾っていただいた会社で4年ほど勤務を続けていました。

この時なぜ私は会社員というラットレースから逃れられなかったのか。
簡単です。理解できなかったからです。

当時の私は木暮氏の主張するラットレースや資本論についての理解が何一つ出来ず、ただ読んで満足してしまっただけなのです。
しかも、すぐに内容を忘れます。当時の会社から逃げ出したいと強く考えていましたが私は重要なヒントとチャンスを見逃しました。


その数ヶ月後、私は新卒時から4年の時を経て当時恋焦がれた仕事への内定という切符を手に入れることが出来たのです。
まさか、この経験が人生を変えるチャンスを大きく逃す一助かもしれなかったとは、つい最近まで思いもよりませんでした。

現職はとにかくハードです。
働き方改革を経てとにかく残業はするな!とどれだけ言われたところで、仕事が終わらずお客様が待っている状態では机上の空論です。

加えて、私には「ずっと憧れてた仕事してる俺幸せ(笑)」という呪いのような思考に陥っているため、とにかく働き詰めでした。

「残業するな」と指示されている、ギリギリの時間を攻めながら毎日仕事を終わらせる。
帰宅後や休日は疲れ切ってしまい、YouTubeやマンガなどの娯楽に費やすか、寝て過ごす毎日。

自己投資(笑)と称してビジネス書を買って読んだりもしたものの、前述の本ですらこの体たらく、当時より歳もとり体力も落ちる中、当時より働く私に理解できるほどの余力は残されていませんでした。

ですが数年働き出来ることや先が朧げながら見えてきたことと、世間で言われる30歳前後の転職限界説。

ご多分に漏れず私は「これからどうするべきか?」という全中年が一度は通りそうな難問にぶつかり私は惑っていました。

そんな中での2度目の出会い。
サウザーラジオとの出会い。

「給料は明日も元気に出勤してもらうために与えられるだけのものであり、上がりようもない。そこから脱するには自分の商品を持て。」

檄文を受け取る。
なるほど、やったぞ。今回は理解したぞ!

理解したにも関わらずなぜ動かなかったのか。
またも会社の甘美な罠にハマりにいってしまいました。

「君だから任せたい。」そういって私は異動の道を勧められます。

「まぁ行ってみてから考えてもいっか。」
檄文を受け取ったはずなのにシュークリームのように甘ったるい思考で軽々と受け入れてしまった私はしっかりとその仕打ちを受けることになります。

「今までやってきたことしか出来ない無力なオッサン、一丁上がり。」

以前にあげたこちらのnoteで書いたが、異動後の私の状況は燦燦たるものでした。

とにかく何をしたらいいかわからない、お客様が何を求めているかわからない。会社の仲間は上司も部下も関係なく私を見下し卑屈になる…

精神をすっかり病んでしまいました。
〇んでしまいたいと朝から晩まで思い続け、眠れない夜を過ごす毎日。

この状況を抜け出すのに丸2年もかかってしまった。
人生で1番脂ののった時期をみすみす浪費してしまいました。

一方でそれだけ追い詰められることは私にとってはチャンスだったのかもしれません。

私はしがみつくことを選びました。
「こんな俺が何かを成せるわけがない。」
会社という安寧の揺りかごから引きずり降ろされないように、必死でしがみつくことを選んだのです。

しがみついた後に残ったもの。そして…


2年間の地獄を見たものの、幸運なことになんとか私は精神的な安定を取り戻すことに成功した。
そしてそれから丸2年。とにかく必死に働きました。

結果を出すまでには時間がかかる。だから誰よりも残って働きました。
だから普通そんなキャリアでないことを承知でドブ板営業もやり続けました。

後輩に頭を下げて、お客様とどんな会話をしているのか、どんな仕事をしているのかを聞きに行き、自分の仕事に落とし込みました。

それでも、結果と査定は残酷なるものでした。

まだ道途中です。私は今も同じ職場に勤め、同じ仕事に就いています。
そして少しずつ結果と評価は変わってきました。
ですが、その速度は果たして私を本当に行きたい場所に連れてってくれるのでしょうか。

昨日の猫山課長のnoteに書かれた一文。
(お読みでない方はぜひご購入して読んでみることをオススメします。)

「この歳で、ここにおいて行かれるのかよ! そりゃねえだろ!」

息が出来なくなる一文。

あの方のような優秀なビジネスマンであっても陥るこの状況から、果たして私が逃れられるはずがない。

どうするべきかを考えました。

私は足掻くことを選びました。
「こんな俺が何かを成せるわけがない。」
だからこそ、いつ【会社という安寧の揺りかご】から引きずり降ろされても自分の足で立って歩けるように、足掻くことを選んだのです。

3度目の正直でようやく気付くことが出来ました。
私自身が何かをしたわけではありませんが、ようやくチャンスを素通りさせずに首根っこひっ捕まえるくらいのことはできたようです。

ただ、ここからです。
私が本当に自分をどうにか出来るかはここからにかかっています。

私が逃げずに毎日を成し遂げて、失ってしまった10年を取り戻すための歩みがようやく始まりました。

私も何が何でも、自分の人生を自分で正解にできるように歩み続けようと思います。

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