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必死で20年生きてきたら、空っぽの虫ケラになっていた話
大学4年生の時に、温泉旅館でバイトしていた。
リゾートバイトの甘い香りに惹かれて、関東関西から男女4名ずつが毎年ノコノコやってくる。
「日給○○円!3食付き!休日は週1日!」
リゾートバイトで稼ぎながら食と住居は用意され、週一で遊べるともなればいい話に見えるが、その浮ついた目算は勤務1週間で粉々に砕け散る。
「週一の休み? あれは嘘だ」
と無慈悲に告げられ、「詐欺じゃねえか!」と叫ぶ間も与えられず、朝5時に起きて夜10時以降に睡眠する怒涛の日々がいきなりスタートする。
今は無き奴隷生活を体験できる闇のキッザニアであり、貴重な体験をしながらお金まで貰えてありがたいよね!と思考が湾曲し、金を使う暇がないのでお金を稼ぎにきたはずなのにお金の価値がわからなくなってくる極限空間に閉じ込められると、8名の若者は仲の良さなどというものでは表現できない「同志」になる。
その同志の一人であるO君とは同級生だった。
O君は愛知県からバイトに来ていて、働きぶりはまあ普通といった感じであったが、チャラさが滲み出る人物であった。ナンパばかりしていると言っていた気がする。
そんなO君は大学生なので、翌年は社会人になれなければならない。しかし、内定は取れていないようだ。4年生の夏なので、実質的に詰みである。
一方の僕はとっくに就職が決まっていたから余裕があった。内定は、就職氷河期ど真ん中世代にとって同じ重さの金より価値があると思われていたから、僕とO君の間にはとてつもない格差があることになる。
「猫山はいいよなあ。会社が田舎でもぜんぜんいいじゃねえか」
そんな嫌味にもならないことを言った彼の目には、絶望の色が浮かんでいた。
とにかく就職がない1990年代後半は、就職が極めて貴重でだった。
とは言え大学生を5人集めると2人が就職できない程度の話だから、貴重と表現するのは過大だとは思う。でも、「5人のうち2人は○ぬゲーム」だとしたら、その3枠は貴重だと感じるだろう。
今からは想像もできないだろうが、当時の就職はまさに「死活問題」だった。
それで人生が決まる。そう言っても過言ではなかったし、令和において就職氷河期世代への支援策が用意されていることからみて、それはやはり死活問題だったのだと証明されている。
とにかく就職する。できなければ、未来は真っ暗。
そんなマインドに彩られた時代にあって、「就職してどんな自己実現をしたいか?」などの命題は後景にすら届かない甘い戯言だ。
とにかく就職して、とにかく首にならないよう頑張る。次などない。
それが僕たちの共通認識だった。
だから、発展的な目標設定などなく、ブラックな環境にも文句一つ言わずに盲従した。
そのツケが、何もかも擦り切れた後にやってくるなんてヒドイじゃないか。
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運良く金融機関に滑り込んだ僕は、とにかく毎日働いた。純度100%で働いたと言っていい。
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