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気象警報とモーニングコーヒー

   2015年7月3日

 朝方からひどい雨が降り、私の住む町にも土砂災害・浸水害の警報が出ている。だが、それでも仕事はしなければならない。まだ眠気から覚醒していない脳を起こすべく、いつも通りモーニングコーヒーを淹れてみた。

 「モーニングコーヒー」とはいえ、決して本格的で豪華なものではない。ただの市販のインスタントコーヒーである。だが、一杯の熱いコーヒーには仕事前の気分を整えるには十分すぎるくらいの力がある。

 そして今、降りしきる雨の音を聞きながらコーヒーの香りを嗅いでいる。猫舌のため、淹れたてのコーヒーは飲めないのだ。

 ところでこの雨音とコーヒーの香りの組み合わせは、私の幼少期の雨の日の思い出に直結している。それも、学校が休校になるくらい激しい豪雨の日の思い出に。

 学校に行く時間だというのに、雨が降っているから外だけでなく家中もまるで海底にいるかのようにほの暗い。そして雨音が聞こえるほかは全く静かだ。時折、休校を伝える電話連絡網の音や、気象情報を伝えるテレビのアナウンスがどんよりと響く。

 そこに香ってくるのが親たちが飲むモーニングコーヒーだ。当時の私は子供なのでまだコーヒーは飲めないが、香りだけは何だか印象的に感じていた。外では雨がざんざんと降り、薄暗い室内で聞こえる母親の抑えた声や気象情報の音。その非現実感と学校が休みになるというちょっぴりとした期待を保証するかのような、コーヒーの香ばしい香り。このすべてが絡まった舞台装置は子供時代の私にとっての特別な何かであった。豪雨を喜ぶなんてという罪悪感は勿論しっかりとあったけれど。

 嗅覚はあらゆる感覚の中でも記憶に一番結びついていると言われている。そのためか、雨の日にコーヒーを飲む時に思い出すのは、大雨のため学校が休校になった時の思い出だ。強くなったり弱くなったりと繰り返す雨音のループ、くぐもったような電話と天気予報の音、そしてコーヒーの香り。期待感と後ろめたさが混じり合ったような不思議な気持ちに、大人になった今でもさせられる。

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