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汝、子に言うだけの説得力はあるか。

月曜日だというのに、今日もバイト先の動物園は大盛況。三連休だもんね。

今日はかなり気温が高かった(真冬の北海道で最高気温1℃はめちゃくちゃ温かい)。そのため、雪や氷が解けて固まり、路面がツルツルに滑りやすくなっている。
そこで我々除雪隊の出番である。階段にこびりついた氷を角スコップでガシガシ砕く。見た目は地味だがなかなかの重労働で、しかもお客様がひっきりなしに通るからけっこう疲れる。

いや、これしきのことで音を上げるアルロンではない。隊長!自分やれます!

そんなときに励みとなるのが、道行くお客様の温かい声かけ。
たまに「お疲れ様です」とか「ありがとうございます」とか「センキュウ」とか言ってくれる人がいる。お客様にそう言われれば、枯渇したモチベーションも復活するというもの。
今日も何度かエールを頂戴した。まったくありがたいことである。


群衆でごった返す中、エイシャオラエイシャーと階段の氷を割っていると、背後から声がした。

「なにやってるんですかぁ」

振り返ると、お子がいた。おそらく未就学児、3歳くらいの男の子だ。

どうやら彼は、僕の仕事に興味を持ったらしい。バイトの面接に来たのかな?バイト希望だけどとりあえず今日は見学の子かな?

そんなことを考えたり考えなかったりしながら口を開こうとしたら、そばにいた母親(と思しき女性)が僕より早く答えた。

「歩きやすいようにしてくれているんだよ。ほら『ありがとう』って(そう言うよう促す仕草)」

すると男の子は「ありがと」と僕に言った。
僕は「いーえー」と笑顔で返した。
まぁなんて可愛らしいお子なのでしょう。ほっこり。

・・・


あれ、お母さんは言ってくれないんですか?



お子に促したまでは良かった。でもね、自分が何も言わないのはいかがなものでしょうか。ねぇ、お母さん?僕に一言「ありがとう」と言うだけの簡単な作業ですよ?そういえばあなた、僕に目も合わせませんでしたよね?いいんですか、そんなことで?いいんですね?ねぇ!ねぇ!

と、内心思っていたが、しっかりと飲み込んだ。
“ほっこり”に“モヤっと”が混ざってしまった。これじゃ“モっこり”じゃないか。冴羽獠かよ。

なんとも複雑な気分である。



子どもの頃から、「大人はいいけど子どもはダメ」みたいなことが納得できなかった。

それは酒やタバコといった科学的根拠に則ったものではなく、慣習に関するものだ。

たとえば、我が家では「ひじをついて食べるな」など食事作法は割と厳しく躾けられていた。しかし、父が肘をついていたり寄せ箸をしたりしていたので、僕は不満に思った。父に抗議すると、「大人はいいの!」と一蹴された。

父の言い分としては、「一家の大黒柱はその家の中で一番えらいから、好きなようにしていい」とのこと。実際、余所ではそんな風に行儀の悪い食べ方はしないらしく、一応筋は通っている。
大人になった今になってみれば、まぁ多少はわからなくもない。

しかし、これで本当にいいのだろうか。
「大人はいいけど子どもはダメ」がまかり通ってしまうと、子どもは大人にとって都合のいい存在になってしまわないだろうか。子どもの信頼をなくしてしまわないだろうか。

「医者の不養生」や「紺屋こうや白袴しろばかま」のように行動が伴っていなければ、どんな説教も意味がない。むしろ逆効果だと思う。

ならば、山本五十六の有名な格言「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」にあるように、まずは“やってみせる”ことが大切なのかもしれない。

子どもはとても賢いから、大人の言動をしっかり見ているし、しっかり覚えている。口うるさくするよりも行動で見せた方が、よっぽど効果的なように感じる。
子どもになってほしい人物像があるのなら、まずは自分がそこに近づく努力をした方がいいのではないのか。


まぁ、子育て経験も教員免許もない僕の考えなのでね、「一理あるな」と思うも自由、若造の戯言と切り捨てるも自由だ。


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